私は養親とあまり関係が良くなかったからか、

自分が困ったときに親に助けを求めることはしませんでした。

 

しなかったというか、そうしようと思いつきもしませんでした。

 

反抗期を終えた子供は、むしろ全員、もう親を頼りはしないものだと思っていました。

 

そうでもないのかもしれないと感じたのは同期の就活について聞いた時でした。

 

よく就活の相談には乗っていましたが、就活はなかなか心がすり減る活動です。

そんな中、私ができるのは、ESを添削したり、面接の回答を一緒に考えたり、愚痴を聞いたりすることくらいでした。

 

ある同期の友達にとっては、就活期間は人生で最もしんどかった時期の一つでした。

彼は、就活期間の途中で、就活が終わるまで、実家から通学するようになりました。

 

私は就活に関して親に相談はしたくありませんでした。

操作しようとしてくるとわかっていたからです。

たとえそれが私のためを思う行為であったとしても、私が求めるのはそういう行為ではありませんから。

 

しかし、彼は就活で心がすり減った分を、兄妹や両親と話したり関わったりすることで間違いなく癒せているように感じました。

 

一緒に過ごすだけで充電される、そんな家族の関係があるのかと、初めて知りました。

そしてうらやましくも感じました。

社会人になってもこのうらやましさは消えません。

実家から仕事に来ている同期の話を聞いていると同じように思います。(ないものねだり、隣の芝生は…というのは承知していますが。)

 

大学生の時に自分の過去と向き合った時も、当事者活動で行き詰っているときも、社会人になって仕事がしんどい時も、私にはそれを共有したいと思える家族がいません。

 

「共有したいと思えるか」が大事なのだと思います。

どんなに受け入れ態勢が整えられていても、当の本人がそこに助けを求めたいと思えなければ意味がありません。

 

子供とのコミュニケーションや、信頼関係の構築がどれだけ大事なのか、そして、親がそのために費やせる子供と過ごす時間がどれほど短いのか、よくわかりました。

 

もちろん私が当事者活動をするうえで、これからの子供たちの相談役や拠り所になっていければと思います。

しかし、何よりも願うのは、子供たちが養親さんや兄弟と素敵な信頼関係を築いていくことです。