「私は、いったい何人(なにじん)だろうか?」と思ったことがありますか?
特別養子縁組の当事者全員が思うわけではありません。
私個人の経験をもとにこの記事を書いています。
私は、出自をたどった結果、どんな方法を使っても、実親を知ることができない(この世の誰も私の実親を知らない)ことが分かりました。
私は大学生の時、何人かの日本人と初めて話したときに、「話すまで韓国人の留学生かと思っていました。」
と言われたことがあります。
なぜそう思ったのか、思った方もなんとなくだったと思います。
しかし、よくよく考えてみれば、
「いやいや、日本人だよ」
と断言することもできないことに気付きました。
それを悲しいと思ったことはありません。
ハーフかもしれないし、クウォーターかもしれません。
もしかしたら、純中国人や、純韓国人かもしれません。
まぁ、そう考えると、何人(なにじん)かなんて問題は非常にあいまいで、親を知らない私からすれば、育った国が日本というだけで何人(なにじん)でもありません。
もし私の目が青かったら?
私の肌が黒かったら?
私の髪の毛が金髪だったら?(私は地毛が焦げ茶色ですが…)
日本人ではないんでしょうか?
海の向こうで起きている肌の色による差別が引き起こしている悲しい事件。
他人事ではありません。
人はみな生まれてきた命です。
誰から生まれようと、どんな風に生まれようと、大事なのはその人の人間性です。
私の実親は凶悪な殺人犯かもしれません。
あなたの大事な人をレイプしたことがある犯人かもしれません。
私が犯罪者から生まれた可能性がゼロじゃないからと言って、私を差別しますか?
私が日本人以外から生まれた可能性がゼロじゃないからと言って、私を差別しますか?
私はどんな人間から生まれていようと、同じ環境で育てば、中身は今のような人間に育ったと思います。
アイデンティティがブラックボックスであることって、本人にとっては、すごく不安なことかもしれません。
しかし、周囲の人にとっては、何の関係もないし、あってたまるかと思います。
私とかかわりのある人たちにとって、私のセクシャリティや肌の色、実親などの情報なんかよりも、私がどんな人間でどんなことを想い、考え、どんな行動をするのかがすべてではないでしょうか?
※様々な差別の長い歴史の中で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします※