男性の中には今目の前で起きていることしか想像できない人が多い。

性行為をする直前は快楽と愚直な好意(好きだから大事にしようとは考えられていない)しか頭にない人も多いのではないかと思います。


彼女が妊娠してもその実感はわかない。(目の前の彼女のおなかはまだ膨らんでいない)
現実味もなく大丈夫、堕ろせば、なんでも簡単に言う。

実際に大学在学中に2件、避妊していた性交渉後でも不安になった女性から産婦人科受診の相談を受けたことがあります。
その2件とも、彼はついてきてはくれなかったといっていました。
私が見聞きしてきたケースで不安になっているのはいつも女性でした。
子供ができていたら、大学を休学しなくてはいけない。
親には何といえばよいのだろう。
大学卒業後企業で働くつもりだった人生設計も完全に狂う。
子育てしながら大学行けるのか。
彼は留年せずに卒業して働いてくれるんだろうか。

子供のいる自分の想像だけでなく、彼が父親になれるかの心配まで彼女にさせているわけです。

多くの男性は、彼女のお腹が大きくなり始めてやっと、責任を取るか、現実逃避して逃げるかの選択を迫られる。(そもそも一択なのだが。)
責任を取ると豪語しても目の前には妊婦。
だから出産のことまでしか想像できません。
子供が生まれて始めて「養う」について考え始めて自分がとると決めた責任の重さを実感するのです。

就職が決まった大学四年生の男性が急に「責任をとれる」と気が大きくなり、避妊を拒否するようになったという話も意外とよく聞きます。

実際に子供を自立させるまでにどれだけのお金がかかるかその人は知っているのでしょうか?

子育ての負担について理解しているのでしょうか?

「責任を取る」の「責任」がどれほどものか具体的に言えるようになるまでは信用ならないなと思います。


遅い…遅すぎる。
全て後手後手。
若者だから仕方ないのかもしれません。
なら、そういった知識を教育で与えるのが大人の役目ではないでしょうか。

「避妊せずに性交渉しよう」という言葉は想像力の欠如と、認識の間違い、理性の崩壊が関係しているように思います。
自分たちに子供ができた様子が想像できない。
二人でする行為であり、自分の人生だけではなく相手の人生もひっくるめて影響を与えることであるということを認識できていません。
もはや免罪符のように使われる「性欲」という言葉の認識も間違っています。


大人たちは、子供同士が性交渉をすることをなんとなくタブーとし、なんとなく良くないことというイメージ戦略で抑止しようとするから伝わりません。

その中には、大人たちの中でも公には認めたがらない「子孫を残すための生殖行為」と「欲求を満たすためのセックス」という二種類が間違いなく存在するということを認めたうえでそれを親の口から伝えるのがはばかられているだけのようにも感じます…。※世の中に存在という意味で、個人個人の中に必ず二つ存在するとは限りません。

私は、中学、高校、大学で性教育について必修にする必要があると思います。
また、避妊具の装着方法をどう教えるかを議論している場合ではありません。
装着方法を知らなかったから子供ができるわけではなく(そのケースもあるとは思いますが)、装着しようと思えなかったからです。

妊娠が女性の体と、心と、人生にどのような影響を及ぼすのか、自分とパートナーの日常生活がどのように変わるのかを想像させるフレームワークが必要です。(男女共に)
「責任を取る」とはどういうことなのか、各々に考えさせて、いま自分のパートナーが妊娠してしまったら、これからの二人とこども、二人の家族の人生がこれから先どのように変化するのか自分たちの頭で考えさせなければいけません。

日本の性教育は、知識でどうにかしようとしていますが、性教育の本来あるべき姿は、90%以上が心(思いやり)、や想像力、の問題であって、もはや道徳の授業と言っても過言ではありません。

実親に育ててもらえなかった私たちの言葉が彼らに届けば少しは若年層の心を動かすことができるでしょうか?
若年層向けの性教育についても私は何かできないか模索しています。