私は、自分が男であることに誇りを感じられないし、むしろ劣等感の根源です。
誤解が無いように説明しますが、心が女性というわけではありません。
恋愛対象は女性です。

しかし、初めて会ってお話をした人に、中性的な人だねと言われたことが何度かあります。
そのせいか、仲良くなった異性の友達から女性特有の問題の相談が来たり、何の警戒もされなかったりします。
それは私としては、良き友人関係だと思うので良かったと思っています。

男性的、女性的とは何でしょうか?

「女子力高い男子」はよく聞くが、「男子力高い女子」はあまり聞きません。
「中身がイケメンな女子」は聞きますね。

私は身長は178cmで力もある方なので男っぽいでしょうか。
でも、肌の色は女性といい勝負をするくらい白いです。これは女性的ですか?

幼稚園の時に最初に無くなったクレパスはピンク色でした。
声も高い方で、カラオケでは男声の低い曲のほうが歌いづらいです。
しかし、運動をそれほどしていなくても足は速い方でした。
髭が生え始めたのは同級生の中では早い方でした。

何が男性的で何が女性的要素なのでしょうか。
何が私を中性的たらしめているのかはっきりとはわかりません。

私が大学生の時に、男友達の輪の中で唯一嫌悪していた話題が「下ネタ」と言われる性に関するものでした。
見ず知らずのすれ違った女性の体の感想を言い合ったりする男性が本当に、そして、かなりの数います。
パートナー以外との性交渉や女遊びを誇らしげに語る人と、それをほめたたえる周りの男性たち。
これも結構います。

そして、さらに驚きなのが、こういった下ネタを大学生だけでなく、社会人になっても、結婚していても、お子さんがいても、娘さんがいても、そんな話を嬉々とする人たちが一定数いるというのも私にとっては絶望でした。
周りの同級生も若気の至りだろう、成長すれば、結婚すれば、子供ができれば変わるものだと思っていましたが、どうもそうとは限らないようです。

そんな会話を聞くのも、そんな話をしている人と性別が同じだということ、性別が同じだから「男ってこんな奴」としてくくられるのも嫌でした。
だから今でも、私は自分が男であることは劣等感の一つです。

だからもちろん、男性は、この記事に書かれたような非難されるべき男ばかりではありません。

当事者「みそぎ」として活動をしているときは特に、女性だったら活動をやりやすかっただろうと思う場面が多々あります。

当事者の方と繋がって会ってお話をするまでに、異性相手だと、1対1にならないように気を遣ったり、女性の知り合いの当事者に同伴してもらったりしなくてはいけません。
子供たちと遊ぶのも好きですが、私が男だというだけで、「子供が好き」という言葉に警戒する人が一定数いるであろうことも認識しています。

しかし、それらは残念ながら正しい警戒だと思っています。
危険な男ばかりではありませんが、間違いなく危険な(もしくは危険だった)男性たちがいることも事実ですので。

この活動をしているときだけは、本当に自分が女性だったらやりやすかったのにと思います。
(重ねて言いますが、私は自分が男性であることを恥じているだけで、心が女性というわけではありません。)

(むしろ性別という概念が無くなって全員中性的になれればいいのにと思ったりします。)