講演会の時に話したことがある気もするので、ご存知の方もいるかもしれませんが、私は大学生の時に子育て教室に何度か行ったことがあります。

偶然、子育て教室の講師の方が別のテーマで話されている会に参加しており、そこで知り合いました。

私は、良い父親像が身近にありませんでした。
実の父親に関しては、顔も名前も知りません。
実の父親がしっかりしていれば私が特別養子になることはありません。

養父も尊敬する父というよりは、反面教師であり、「あぁはなるまい」という対象でしかありません。
いつか自分が父親になるのかと思うと不安しかありませんでした。

私は本当の意味で子供のための子育てができるのか、子供を守るという名目で必要以上のコントロールをしてしまう毒親になってしまうのではないか。
今は自覚できていても、実際に子育てが始まれば自制が効くのかわかりません。

その不安を払拭するべく、「一般的で正しい」子育てを学ぼうと、子育て教室に行きました。

小さい子供連れのご夫婦の中に大学生が一人。

立場や年齢、価値観が大きく異なる私の視点は歓迎されました。
今でもその子育て教室関連で知り合った方々とは親交があります。

その子育て教室で学んだこともまた、今の活動の中に活かされています。
結局は子供と対話するしかないこと。
そして、親も親である前に人間だからいろんな感情や衝動が起きるということ。

一般的で正しい子育てなんて存在しないこと。
いろんなことを学び、それが特別養子縁組家庭において重要なポイントとして、どのような論理設計ができるかを考えました。

もともと考えることが好きな私にとっては、子育てを哲学することがとても楽しいと感じました。
「子育て」と言っても、中身は「人と人のコミュニケーション」でしかありません。

もちろん、この教室に通ったくらいで、父親になることへの不安が完全に払拭できたわけではありません。
ただ、それでも大きく私に影響を与えてくれる他のは確かです。
ほんと、世の男性たちには大学生の時に一度子育てを学んでほしい。
高校の家庭科で幼児とのふれあいについて学んでいる場合じゃない。(好きでしたが)