因果者兄弟釜ヶ崎弥次喜多道中 (2012年7月27日 金曜日) | 猪名川タイムズ メモ日記 (創立1983年 改 2014.05)

猪名川タイムズ メモ日記 (創立1983年 改 2014.05)

かつて演芸とナツメロのマニアックサイト『猪名川タイムズ』をやっていた間賀凜です。更新停止から5年経過して、紆余曲折があり、その間に歌を別名で歌うようになったりしましたが、日々の活動などの日記を綴って行きます。

今日、友人で『因果者兄弟』として密かに活動をしている岩手県北上市の『喜久盛酒造』五代目蔵元の藤村卓也さんと二回目の邂逅を果たした。

そもそも、藤村さんとの出会いは2010年初頭に、母校門真第四中学校の2年先輩(パイセン)で、元ASG(あうんさん・すうじぃグループ)のベーシストだったMr.ターキーに紹介された、着物友達の泉ユウ子嬢が経営する『ビューティーバー』(大阪市北区浪花町)でユウ子嬢と雑談していて、漫画の話題で盛り上がった時に

「徳さんと同じ様に『根本敬主義者』の知り合いがいるんだけれど…」

と言われて紹介されたのが藤村さんであり、最初はmixiで文通をしていて、6月のストライキ中にバイト先が焼けてしまう3週間前の2010(平成22)年5月中旬に大阪難波高島屋の『岩手名産特産物産展』で来阪された藤村さんと初めてお会いして意気投合をした。

この時の事は、確か、日記に書いたので探していただきたいと思う。

以来、ホットライン(携帯電話)を掛け合ったり、メールのやり取りで交流を続けて来た。

実際問題として、原則的に私は喜久盛酒造と黄桜酒造と宝酒造の製品しか自発的に購入して呑まない。

それぞれ理由があり、黄桜酒造は尊敬している作曲家の一人である故田中正史先生が作詩作曲されたCMアニメソングとかCMの影響と実母千鶴子(故人)の出身地である京都市伏見区に本社がある事と、

宝酒造は父方の真澄伯父が勤め上げ、父楠元政宗の出身地である宮崎県児湯郡高鍋町に同社の焼酎の工場があり、これまた母の出身地に本社がある事、

喜久盛酒造は『電気菩薩』(根本先生のエッセイに由来)や同名の映画に由来する『タクシードライバー』などサブカルやアングラの好きな人々が興味を持ちそうなお酒を発売していたり、一方では原点である郷土に根付き東北のお酒らしく日本酒の醍醐味溢れる後口の嬉しい『喜久盛』や『鬼剣舞』を発売している事がその理由であり、

いずれも自分の口に大層合う日本酒だからである。

そうした部分とは別に藤村さんも私も周囲の人から『三島由紀夫に似てる!!!』とよく決めつけられた様に言われてしまう事に共に辟易していたり、ゲーム、聴く曲、因果などのサブカルチャー的な共通の思想や嗜好がかなり近いので、僭越ながら友人の末席に加えてもらってたりする。

私が現在メンバーに混ぜていただいているアングラパフォーマンスハプニングバンドユニット『一点のあいまいさも許さない。さすがロゴス』や同メンバーの『魔ゼルな規犬』さんの評判を以前に伝えてくれたのは藤村さんである。

『因果者兄弟』とユニット的に名乗りはしているが、どちらが兄とか弟という区別はない。

今回の藤村さんの来阪の理由は、前出のビューティーバーさんの『5周年記念イベント』に参加するためで、二週間前に連絡をいただいていたので、私とも縁が深く、共に『聖地』と呼ぶ、日記でもすっかりお馴染みの『釜ヶ崎』で呑む事にして、藤村さんの用事が終わった夜10時過ぎに待ち合わせ場所である『キャバレー味園ビル前』に行きしばし待っているとお互いに姿を見付け「やあやあ」と硬い握手を交わした。

新猪名川タイムズ (創立1983年)-味園

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で、「五月に『一点』に加入した際に一点メンバーのSkalar Nicol Tiestarと行った同じ因果なルートで行く」というコンセプトで釜ツアーは進む。

四十男のチャリンコ二人乗りで進む。千日前から釜は自転車で約15分の道のりだ。

私は釜ヶ崎の歴史と個人的名所や闇名所のガイド役を勤め、時折、藤村さんも爆笑したり、質問をしてくださり、合間にお互いの近況などを話し合う。

藤村さんは根本先生のエッセイを熟読し、釜ヶ崎に興味深い関心を持たれ、以後、ほぼスケジュールが合えば、来阪の折に釜ヶ崎を『巡礼』されているので、この街の事を驚くほど詳しく知っている。

私も政宗との雑談や映画や茂木草介先生ほかの著作で知り、20年前の西成暴動参加以降、『寄ってきまつり』のスタッフや出演を経て、釜ヶ崎を『心の聖地』と位置付けているのは二人に取って共通の捉え方である。

藤村さんに

「夜の釜ヶ崎は初めてなのでなんだかワクワクしますよ!!!!」

と言われたので、私は時間帯に応じたツアー先を用意していたら、ことのほか想定内の感じであり見所もたくさんある。

現在、私自身も『釜ヶ崎ソニック』 (『寄ってきまつり』の衣鉢を継ぐまつり。2012年10月6~7日 三角公園において開催予定!!!)実行委員会メンバーの末席なので、深い愛着があり、共通の視点は『人間が人間らしく生活出来る街』が、多くのこの街を愛する仲間たちとの違わない視点である。

閑散としている時間帯ながら、人はまばらで、まだ割と居酒屋も開いていて、満員の店もいくつかあり、極私的名所案内をした後、『釜ソニ』の会場でもある聖地である三角公園に行き、ベンチに腰掛け雑談を続ける。

すでに辺りは寝静まっていたので静かめのトーンで雑談を続け、途中、一献ということで、公園北側の酒類やジュースの自動販売機コーナーに移動する。

日本一安いと言われる酒類自動販売機の銘柄を確認する藤村さんはプロの視点で凝視をされる。

数ある商品に目をやるのだが、日本酒や焼酎は安いが、大手メーカーの商品は総じて普通の値段である。

新猪名川タイムズ (創立1983年)-謎の釜酒

一通り見ていると入ってすぐ右端の自動販売機に私たちは目を奪われた。

ショーケースには250mlの円筒形の透明ケースに『酒』とだけ書かれたラベルの貼られた商品が陳列されてあり、自販機には殴り書きで

『ご好評により値下げ

100円→50円』

藤「釜を愛する者である以上、この酒を呑まないとイケナイ気がしますね。早速呑んでみましょう」

徳「意外と当たりって事があるかも知れないことを祈りましょう。期待はないけど…f(^。^;)」

と期待薄不安大の会話を楽しむ。

前出の様に書かれてありもう、私たちの精神的ボルテージはピークに達してこの商品に「トリコ仕掛け」になったので早速購入。

さっきまで座っていたベンチに戻ってしげしげと容器を見ると、うっすらと琥珀色で透明ではなくうっすらと濁っている不安満載ながら、乾杯をして呑んでみた。

匂いをまず嗅ぐと一応日本酒の様な匂いはする。藤村さんのも匂いをかがしてもらうが匂いが微妙に異なる。呑んでみたら日本酒の様な物の味は刹那したのだが、芳香な香りとか喉を通るときの醍醐味がまったくなかった…。

藤村さんに聴くと普通のアルコールの味しかしなかったとのこと…。

普通のアルコールの味とは、アルコールランプとか注射を打つ前にこすられるアルコールの事…。

半分ほど呑んでみたところで、水を長時間放置した時の様な水が腐った時の異臭がしてきた…。まだ封を切って10分程度なのに…。

私は飲み干したが、藤村さんは半分残された。

ただひとこと藤村さんかく語りき

「…このお酒は…明らかに混ぜ酒でものすごくヤバイイお酒ですよ…f(^。^;)」

と言われともに絶句した…f(^。^;)f(^。^;)。

で、次に萩ノ茶屋駅に向かい、昭和初期の駅舎と、名物の一つとして知られる金網で頑丈に完全防備されている駅前交番や付近を散策する。

萩ノ茶屋ラジオセンター(南海本線萩ノ茶屋駅舎同様、昭和初期の建物で工具を売っている店が集中する建物。2019年現在現存せず)を撮影したりしている姿を見掛けた、自転車で通りすがりのイイ顔のおっちゃんが、政治の話を私たちに話しかけてくる。

最初は二人共真摯に耳を傾けていたのだが、段々、同じ話を繰り返され、段々しんどくなっては来たのだが、心の中でしつこすぎて怒りを通り過ぎて笑いをこらえるのが必死の蛭子能収状態になりながら、おっちゃんから

「命があればまた会いましょう(゚へДへ)ノ」

と言われ、

藤、淀「そうっすね、ありがとうございました!

と、答えておっちゃんを見送りながら、

藤「すごい、真夜中の釜ヶ崎ギグで、先ほどのおっちゃんってパンクっぽかったですね(≧∇≦)」

淀「うん、すごかったねぇ!!!!(≧∇≦)」

と興奮がしばらく冷めやらない状態で、今度は新世界に行くと、人影は当然まばらで、通天閣の下を抜けて、「坂田三吉顕彰碑」「新世界国際劇場」の新世界の歴史と古のこの街に思いを馳せながら、藤村さんの宿泊先に到着。

新猪名川タイムズ (創立1983年)-因果者兄弟

わずか2時間半とはいえ、あまりにも濃密な時間を共に共有して、再び会える日を楽しみに固い握手を交わし、

藤、淀「じゃあ、またお会いいたしましょう!!!!!!!!(へДへ)ノ(へДへ)ノ」

と言って、辞去した。

さて、ここで問題です。

この日の隠しキーワードが即座にわかる方は因果者です。

『宮沢賢治先生』『ミスターアンデルセン先生』『橋本左内先生』

※分かられた方々は私にメッセ下さい。ドゾヨロシク機械犬ワンワン▼・▽・▼。

(写真説明) 味園ビル、怪しいお酒、記念写真。

(了)