これは、『勇気くじきの社会をなくしたい』 私の挑戦物語(仮)

これは、『勇気くじきの社会をなくしたい』 私の挑戦物語(仮)

『みらいふコーチングの徳永光彦です』
みらいふ=未来+if  未だ来てないライフ(人生)

過去の延長線上に未来があるんじゃない!未来(残りの人生)は、今から創れるんだ!
素敵な明日が訪れますように…   と、祈りを込めた造語です。

  これは、『勇気くじきの社会をなくしたい』私の挑戦物語(仮)

アドラーの言葉
「人の心理は物理学とは違う。問題の原因を指摘しても、勇気を奪うだけ。解決法と可能性に集中すべきだ」

職場でも、家庭でも、問題が起きたとき「原因分析」をしっかりやっていませんか?
「誰がやったんだ?」「なんでこうなったんだ?」「問題が起きた原因は何か?」
TVのワイドショーまでもが、「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」と問い、原因分析をする。それを見て洗脳された親までもが、子供に対して「なぜ?」と繰り返す。


この『原因志向(原因は何か?)』が蔓延する現代…実は、これが今日本が患っている慢性的な病気のように私は思えます。原因究明の名の下に、ミスや失敗を二度と繰り返さないようにという『善なる目的』。親や、先生、会社の上司たちは、それを「よかれ」と思って行っています。
この原因分析が相手にとっては、思わぬ「勇気くじき」を引き起こしていることに気づいている人は少ないでしょう。

問題の原因を分析し、適切な対策を取る。これは、物理学の発想です。工場でモノを造る際には、とても有効的な考え方ですが、それを人間に応用してはいけないと思うのです。

原因究明のなぜ?は、子供や部下にとって「ダメ出し」にしか見えず、相手は「勇気をくじかれ」て建設的に生きる勇気を失ってしまいます。

そして、勇気をくじかれた相手は、困難に挑戦することなく諦めて、課題から逃げ出すようになってしまうのです。 
『勇気をくじかれた人を、これ以上増やしたくない』これが、私がアドラー心理学を学び「勇気づけをしよう」と思った原点です。

先日、病院の待合室で見た話です。

娘さん(6歳ぐらいかな)と母親の話です。

 

少し落ち着かない娘さんらしく、

診察中も、看護師さんから「〇〇しようね」と言われて、駄々をこねている。

母親も「〇〇ちゃん、良い子だからちゃんとしようね」と声をかけているが、ダメな様子。

娘さんからすると、嫌なのだろう。

母のいう「ちゃんとしたくない」様子。

 

私は、遠くから「でも、色々と言うことを聞いてくれる子だな」と思ってみている。

病院に来てくれて、一緒に行動してくれている。

母親が好きなのだろうと思ってみていた。

 

私は「相手の悪い所」を見ないように気をつけている。

それよりも、「相手の良い所」を探したい。

そして、そこに声をかければ「良いことが増える」と思っている。

 

娘さんの目的は、「親の注目関心を引きたい」のだろう。

受診後、ウソ泣きをしている。

泣くのも、注目関心を引いている行為。

私は悪くないと言っているのだろう。

 

そんな主張はどうでもよい。放っておけば収まる。

 

 

 

その後、たまたま近くのデパートでその親子に遭遇した。

 

母親はスマホをずっと見ていて、

娘さんは大人しくしている。

 

その後、娘さんがウソ泣き(こっちに注目して)をして、

母親はめんどくさそうに対応している。

 

 

「ああ、こういうことが日常で起こっているんだ」と納得した。

 

だから、母親が病院で「余所行きの行動」をしても、

すぐバレる。

 

母親は、娘さんさんのことを尊敬していない。

良い子だとも思っていないのが、垣間見えた瞬間だった。

 

 

目の前に子どもがいるのに、ずっとスマホを見ている親をよく見かける。

 

子どもより大切な用事なのだろうか?と時々思う。

 

 

 

 

親がスマホをずっと見ているから、

子どもはスマホを親から取り上げたいと思うし、

スマホを持ちたがるのだろうと思う。

 

 

スマホを持つと、ますます自分にしか関心を持たない(自己中心的)な子どもになるような気がするので、

親はスマホをあまり見ないほうがよいと思う。

 

 

そんなに大切なことがスマホにあるのだろうか?