これは、『勇気くじきの社会をなくしたい』 私の挑戦物語(仮)

これは、『勇気くじきの社会をなくしたい』 私の挑戦物語(仮)

『みらいふコーチングの徳永光彦です』
みらいふ=未来+if  未だ来てないライフ(人生)

過去の延長線上に未来があるんじゃない!未来(残りの人生)は、今から創れるんだ!
素敵な明日が訪れますように…   と、祈りを込めた造語です。

  これは、『勇気くじきの社会をなくしたい』私の挑戦物語(仮)

アドラーの言葉
「人の心理は物理学とは違う。問題の原因を指摘しても、勇気を奪うだけ。解決法と可能性に集中すべきだ」

職場でも、家庭でも、問題が起きたとき「原因分析」をしっかりやっていませんか?
「誰がやったんだ?」「なんでこうなったんだ?」「問題が起きた原因は何か?」
TVのワイドショーまでもが、「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」と問い、原因分析をする。それを見て洗脳された親までもが、子供に対して「なぜ?」と繰り返す。


この『原因志向(原因は何か?)』が蔓延する現代…実は、これが今日本が患っている慢性的な病気のように私は思えます。原因究明の名の下に、ミスや失敗を二度と繰り返さないようにという『善なる目的』。親や、先生、会社の上司たちは、それを「よかれ」と思って行っています。
この原因分析が相手にとっては、思わぬ「勇気くじき」を引き起こしていることに気づいている人は少ないでしょう。

問題の原因を分析し、適切な対策を取る。これは、物理学の発想です。工場でモノを造る際には、とても有効的な考え方ですが、それを人間に応用してはいけないと思うのです。

原因究明のなぜ?は、子供や部下にとって「ダメ出し」にしか見えず、相手は「勇気をくじかれ」て建設的に生きる勇気を失ってしまいます。

そして、勇気をくじかれた相手は、困難に挑戦することなく諦めて、課題から逃げ出すようになってしまうのです。 
『勇気をくじかれた人を、これ以上増やしたくない』これが、私がアドラー心理学を学び「勇気づけをしよう」と思った原点です。

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先月、高齢の母がやっと退院しました。

今回も、長期7ヶ月の退院でした。

 

とはいえ、本当にこの日を迎えることができて奇跡のこととしか思えません。

 

1月〜2月が一番「どん底」で、集中治療室に1ヶ月半いました。

先生からも、「延命治療はどうされますか?」って尋ねられました。

 

よくドラマとかある、あのセリフです。

皆さんは、どう答えますか?

このまま治療を続けても、回復の望みがない身内(親)に対して、

そんな決断を迫られたら?

 

私は、臆病だったので、

「こういう場合は、延命治療はお断りするのが普通なのかもしれません。

でも、私にはまだ母と別れる覚悟ができてません。

私のただのワガママですが、延命治療をお願いしたいです。

本人は嫌がるかもしれませんが、私は母に生きていて欲しいです。

ごめんなさい。今は、そうとしか言えません」

 

と、涙ながらに訴え、わがままを押し通しました。

 

一応、家に持ち帰り、家族会議もしました。

家族も、「延命治療に賛成してくれました」

 

 

本当に今思い出すと、あの時期はどん底だったと思います。

 

集中治療室から出たのも、「手術は、高齢なので身体が保たない」という理由。

それからも、余談を許さない、長い長い道のりでした。

 

 

退院を期待しても良いのですか?

 

「できたとしても、早くて半年とか一年の類です」

「状態が急変しても、手術はできません」

 

少しの期待と、大きな不安の

長い投薬治療の道のり。

 

 

ボツボツ、

ゆっくり、

でも、地道に

コツコツ。

 

少しずつ、少しずつ数値を上げて、良くなって来ました。

 

切れそうな糸を、ずっと手繰り寄せて退院することが出来ました。

菌に、打ち勝つことが出来たのです。

 

先生も、「奇跡としか言えない」と驚いていました。

 

 

 

母は今までも、何度も三途の川の様子を見に行って生還して来ました。

母の強さに、今でも学ばせてもらっています。

 

人間は、強い。

 

今回の一件で、

改めて、人の強さを感じました。

 

 

人間は、強い。

 

大丈夫、乗り越えられる。

 

 

仮に、あなたが無理だと思っても、

私は無理だと思わない。