タイツの破損? | 鼻たれ小僧とタイツ足

鼻たれ小僧とタイツ足

懐かしき小学校時代

男の子がタイツを穿いてても当たり前だった

突然‼ あの頃の事を思い出してみたくなった

小さい頃よく転んだりして、白タイツの膝に大穴を開けたり、血で赤く染めたりしたものだ。

保育園から幼稚園、小3くらいまでは前空きの男児用タイツがあったのかどうか、今では

思い出せない。はっきり覚えているのは、秋祭りの事だ。小1か小2だったか?。

意外と早くいわゆる「祭囃子隊」に入った僕だったので、小1だったかもしれない。

祭囃子隊は、大人も一緒の本式の”だんじり”に乗るのだが、一番前に子供が乗る小さなだんじり

があって、4人が乗って、真ん中にある太鼓を、適当にたたくだけの物だ。学級委員をしてた

からか?僕も選ばれた。衣装はと言っても稚児行列のような和式着物ではなく、丈の短い青色の法被をかぶって、ボトムは普通の半ズボンという略式なもので、なぜだかみんな白タイツだった。この衣装は、僕が中2で隊をやめるまで同じだった。

台座は以外に高く、大人が抱いて持ち上げられて乗っていた。2日目の終わりごろ、僕らは父親に降してもらったのだが、古いだんじりゆえに骨組の木部がささくれていた。他3人は無事に降りられ、僕の番になった時、その部分が一番ささくれていたのか、引きずり出された時、靴が脱げ、足の裏に木の棘が刺さってしまった。白タイツの足裏を突き抜け、5㎝はあるかという棘が足の裏に刺さり血が出ていた。よく転んで白タイツの膝に赤い染みを作っていた僕だが、またかよと思って泣きはしなかったと覚えている。

 

小3の時、まだ若かった母が、買い物に連れ出す時は、電車に乗る必要のない距離なら、スーパーカブの後ろに乗せられた。秋深くなるとちょっと寒いのだが、よそ行きなので当然タイツは穿いていた。「あれ買ってこれ買って」で機嫌が良くなかった僕は、家に着いたのに、なかなか降りようとしなかった。太ももでシートを挟んで。イヤイヤしてたんだったか。父親が来て、

「いつまでもグダグダ言ってんじゃだめだぜ」と僕を無理やり降したまではいいとして、僕を立たせた場所がいけなかった。熱く焼けたマフラーのすぐ近くに、僕を降ろした。ジュって音がしてプラスチックが焼ける臭いがしたとたん、「アチーッ」僕の左足の膝下に、肌色タイツが焼けた大穴が開き、大火傷をしていた。怪我は治ったものの、40歳を過ぎるまで、僕の左足には白い跡が残っていた。

 

また、小4の時には、親戚の叔父さんにやられた!

隣の市に住む従弟たちとは、よく遊んでいた。近いのと父親の兄弟ということで、よく行き来していた。叔父が迎えに来て、車で従弟んちまで行って、その帰りの事。

当時のことで後ろの席に荷物がいっぱいだったので、運転席に叔父、助手席窓側に従弟サイドブレーキすれすれに僕が座っていた。従弟んちに行くってことで、僕は肌色タイツを穿いていたと思う。途中当時の事だから当たり前に叔父はタバコを吸う。車の灰皿を開けて、灰をトントン

前を見ながら従弟と喋っていた僕は「イデー」と声を上げた。まえ太ももの膝上辺りからゆらゆらと煙が上がっていた。ナイロンが焼ける臭いもした。

「なにを大げさに言ってんの」

「だって火傷してるもん、耐えるってのもいやだ、痛いよ」

信号で止まった時、叔父は僕の足の水膨れを見て、

「イヤー済まなかった、俺が悪いんだな、こんど旨いもの食わせてやるから勘弁」

まあ小4になったら泣きはしまい。救急絆創膏(当時はサビオ)を貼っておけばなんとかなる。

 

何かあったら、すぐに脱げる長靴下も便利だが、尻が寒いもんな。だからって言うんじゃないけど何故タイツの方が好きだというのはどうしてだろう?