他の町の同志 | 鼻たれ小僧とタイツ足

鼻たれ小僧とタイツ足

懐かしき小学校時代

男の子がタイツを穿いてても当たり前だった

突然‼ あの頃の事を思い出してみたくなった

僕がタイツを穿いて写っている写真は、2~3枚しかない。

僕が時たまコメントさせていただくブログ主様は、小学校高学年のあたりまで、ご自分がタイツを穿いて写っている写真があるそうで、今の僕からすれば、大変に羨ましい。

断片的な記憶を繋ぎ合わせ、ウソではないにしても、話に膨らみを持たせるというか、枝葉を付けて、起こった出来事を順序立てて説明したくなる。遥か昔の出来事を朝から晩まで全て覚えてる訳ではない。一つの話にまとめなければ、ただ、〇年○月僕は黒タイツを穿いていた。等の箇条書きにしかならない。

 

僕は、小4の春以降学校には半ズボンタイツで行った事は無い。

もうしばらくしたら、その当時起こったちょっとした事件や、どういう風にからかわれて、タイツ足で登校できなくなったか、それについて書くつもりだ。

 

以前、”ちょっとした冒険”だったかに書いたように、タイツ登校できなくなってからも、隠れるようにタイツを穿いていた事があった。

親戚の家がちょっと街よりの乗り継ぎ駅があるところにあった。叔父夫婦と従弟2人である。

どっちかの町でお祭りなんかがあると、お互いに行き来したり、夏休みにはどっちかで泊まったりで、僕が進学するまでは、かなり密に付き合いがあった。

その乗り継ぎ駅近くの商店街に、個人経営の模型店があった。A模型店とするが、小2ぐらいからだったか(従弟の兄の方は小1)、親戚に行くたびに、叔父は僕らをそこに連れて行ってくれた。当時は羽振りが良かったのだろう。

それはいいとして、何度か行ってるうちに、その店には従弟の1級上、すなわち僕と同い年の男の子がいるのがわかった。従弟と同じ小学校である。K君とするが、僕が小3の冬休みにもなって、一人で電車でA店に行くようになると、いつもK君が出てきて、よく話をするようになった。ほとんどはWW2の各国戦闘機や爆撃機の模型の話だったが、タイツの話もしていた。

その訳は、時期が来ると僕はタイツだが、従弟は長ズボン。K君もタイツを穿いていたからに他ならない。

「Poloちゃんも学校にタイツ穿いて行ってんの?」

「K君もタイツを穿いてってんの?」

「Poloちゃんはいつも黒か肌色だけど、僕んとこは制服が黒だから、茶色が気に入ってるんだ。」

K君はなじみになった僕の格好に注目していたんだろうし、僕も、K君が茶色や青のタイツを穿いているのに着目していたのだ。

それに、真冬の時期で、さすが僕もタイツ晒して歩けなくなって長ズボンでいても、日曜とかに店に行くと、K君はタイツを穿いていた。寒いからか靴下も履いていた。

「Poloちゃんやっぱ寒いかい?」

「K君こそ頑張ってるよね、でもソックス穿かないと足冷たいんでしょ?」

「それもそうだけど、ほらね…。」

K君は、おもむろに店の椅子に腰かけ、左右どっちだか覚えていないが、靴を靴下を脱いで、タイツを晒した。

「ほら、ここんとこ縫ってるだろう、足の爪の切り方が悪かったから、破けてきちゃった、いつも両足親指の隣の指んあたり、Poloちゃんは大丈夫かい?」

僕はタイツや長靴下の時、あまりソックスと合わせた記憶はない。

「僕も学校に行くときは靴下穿かないよ、靴で行くし、学校も上靴履くからばれないし」

僕が小4の春、タイツを表で穿かなくなって、連休前少し暖か過ぎた感もあったが、僕は土曜の半ドンの日、肌色タイツを穿いて、電車に乗ってA模型店へ行き、タイツを穿けなくなった悔やみ事をK君にぶつけたのだった。

 

A模型店も、僕が高校の時に親父さんが亡くなって、廃業した。

K君とは別の高校へ行ったために、その後は会っていない。

 

もっと冒険するんだった、色も、黒か肌色しか知らない。茶色や紺や青。

家で穿くのに少し違う色もトライしておくべきだった。

今更ながら思う変なおじさんなのである。