徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 秩父盆地の中心部に位置する秩父神社(妙見宮)。後に三十四ヵ所観音霊場の創始は、午年の文暦元年(1234)と伝わり、当初は秩父神社の周辺の寺が霊場とされていた。15世紀後半の秩父札所番付で、霊場の数は三十三ヵ所であったが、16世紀に1カ所増えて三十四ヵ所となり、西国三十三ヵ所、坂東三十三ヵ所とともに日本百観音霊場を構成することとなった。弘治3年(1557)に開かれたと伝えられる三十四番札所の水潜寺は、秩父札所だけでなく、日本百観音霊場の結願の寺でもある。

 霊場が近距離に点在する秩父札所は、『秩父三十四所観音霊験円通伝』に「此の地は僅(わず)かに一郡の中を出ずして悉(ことごと)く不日に巡礼なる事、大慈の利益衆生の深恩也」と記され、江戸の人々にとっては、ほとんど日数のかからない身近な巡礼地であった。近世に入って街道が整備され、江戸方面からの巡礼者が増加すると、番打(ばんうち)や巡礼の道筋は変更されることになる。江戸からの交通の便が優先され、川越や長瀞方面から見て秩父への入り口近くにある四萬部寺(しまぶじ)が一番札所となった。

 元禄年間(1688~1704)には、江戸商人の寄進によって全長約100㎞の巡礼道に道標が建てられた。案内記や紀行文も刊行されて秩父詣では人気を呼び、総開帳があった午年の寛延3年(1750)には、1~3月だけで巡礼者は4万人を超えたという。禅宗を中心とした質素な寺院が、山間の村に点在する秩父札所。堂の前で手を合わせる人々の背は、巡礼道の往時の姿を今に伝えている。