坂の上の雲 (四)


  日露戦争後、旅順は地理的呼称をこえて思想的な磁気を帯びたようであり、その磁気はまだ残っている。私はその磁気を消して単に地理的呼称としての旅順をめぐるさまざまな物事を考えてみたわけであり、そのため、いまなお磁場にいるひとびとの機嫌を損じたかもしれないが、やもをえないとおもっている。「あとがき 四」より


  明治三十七年二月、日露は戦端を開いた。豊富な兵力を持つ大国に挑んだ、線費をろくに調達できぬ小国・・・。 少将秋山好古の属する第二軍は遼東半島に上陸した直後から、苦戦の連続であった。また連合艦隊の参謀・少佐真之も堅い砲台群でよろわれた旅順港に潜む敵艦隊に苦慮を重ねる。緒戦から予断を許さない状況が現出した。


 1) 日本は日露戦争を始めるにあたり、諜報任務を明石元二郎大佐にあたえた。日本の歳入が2億5千万円のころ、百万という巨額の資金を与えた。09年度の日本の歳入が40兆とすれば、1600億の資金の使途を1大佐に任せたことになる。その明石はレーニンとも接触した。明石はレーニンを評して、「主義のためには至誠純忠、ただ眼中国家あるのみで身命なく、まして私利私欲などはすこしもない。今後革命を達成する者はおそらくレーニンであろう。」


 1大佐に1600億、金額もさることながら、当時は’軍人が不正をはたらく’ということは考えられなかったのだろう。そして明石大佐はそれに答えた。


 2) 旅順で日本は多くの兵士を犠牲にした。世界戦史上、最悪の作戦と揶揄されるなか、日本兵はなんの疑いもなく、あっても決して口にすることなく野に消えた。

ーー民はよらしむべし。 という徳川3百年の封建制によってつちかわれたお上への恐れと随順の美徳が、明治30年代になっても兵士たちのあいだでなおうしなわれていない。命令は絶対のものであった。かれらは、ひとつおぼえのようにくりかえされる同一目標への攻撃命令に黙々としたがい、巨大な殺人機械の前で団体ごと、束になって殺された。


3) ロシアには、西欧に対して劣性コンプレックスがあり、自分たちが鈍重で粗雑で粗放で、そのため多分に半東洋人であるとおもい、西欧人がそのようにおもっているということについてつねに意識しすぎていた。 そして、ロシアの存立・栄光は、軍事によって立っている。軍事的にロシアが負けるようなことがあれば、ロシアの存立も栄光もない。と考えていた。その考えはプーチンのDNAにも刻み込まれているだろう。 今、プーチンの頭のなかには軍事力と経済とどちらを重要視しているのだろうか・?


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203高地という映画があった。しかし旅順という映画は永久に作られまい。