漢文の素養 

 誰が日本文化をつくったのか?

 加藤徹著 光文社新書


かつて漢文は、東アジアのエスペラントであり、日本人の教養の大動脈であった。

古代からの日本の歴史を「漢字」「漢文」からひもとくことで、日本人が何を思い、どんな試みの果てに、この国が築かれてきたのかが明らかになってくる。

日本人にとってまだ漢文が身近だったころ、漢文の力は政治・外交にどのように利用されたのか? 

彼らは、漢文にどんな知性や思いを込めたのか?

---日本の発展の原動力となり、その文化・政治力を支えた「漢文の素養」をもう一度見直し、日本文化の豊かな可能性を提言する。


はじめに

   漢文の素養

   高位言語だった漢文

   国民国家と国語

   日本文明を見すえる


第一章 卑弥呼は漢字が書けたのか

   幸か不幸か

   ヤマト民族の世界観

   三千年以上前の対中関係

   古代文明と文学

   日本最古の漢字

   漢字はファッションだった

   卑弥呼は漢字が書けたか

   倭も卑字

   言霊思想が漢字を阻んだ

   仁徳天皇陵の謎


第二章 日本漢文の誕生

   七支刀の時代

   王仁と『千字文』

   日本漢文の誕生

   倭の五王の漢文

   日本漢文の政治性

   仏教伝来

   漢字文化の夜明け

   日出ずる処の天子

   天皇号の発明

   聖徳太子はどのように漢文を読んだか

   日本語表記への苦心

   訓点の登場

   漢文訓読の功罪


第三章 日本文明ができるまで

   藤原鎌足と漢文塾

   元号制定

   「日本」の誕生

   習字の木簡

   日本最初の漢詩

   藤原京の失敗

   「日本」承認への努力

   「日本」の承認

   地名の二字化

   日本文明の自覚

   『古事記』と『日本書紀』

   『日本書記』の特長

   古代朝鮮語と『日本書紀』

   漢詩集『懐風藻』と漢風ジ号


第四章 漢文の黄金時代

   千の袈裟

   「宣教師」ではなかった鑑真

   三人の留学生

   命がけだった遣唐使

   呉音と漢音

   漢字音の複数化は奈良時代から

   孫子の兵法

   遣唐使の終わり

   平安時代の漢文の試験

   宋の皇帝が羨んだ天皇制

   清少納言と紫式部

   源義家と孫子の兵法


第五章 中世の漢詩文

   中世の漢詩文と僧侶階級

   日蓮の漢文

   フビライの国書

   後醍醐天皇と児島高徳

   洪武帝と日本人

   絶海と洪武帝

   室町時代の漢詩

   戦国武将と漢詩

   

第六章 江戸の漢文ブームと近現代

   徳川家康が利用した「漢文の力」

   江戸時代の漢文ブーム

   思想戦としての元禄赤穂事件

   四十七士を詠んだ漢詩

   朝鮮漢文と日本

   漢籍出版における日本の優位性

   武士と漢詩文

   農民も漢文を学んだ

   日本漢語と中国

   幕末・明治の知識人

   日本語の標準となった漢文訓読調

   漢文が衰退した大正時代

   漢文レベルのさらなる低下と敗戦

   漢文訓読調の終焉

   昭和・平成の漢文的教養


おわりに

   いまこそ漢文的素養を見直そう

   漢字漢文はコメのようなもの

   インターネット時代の理想の漢文教科書

   生産財としての教養

   中流実務階級と漢文の衰退

   数冊の本


あとがき

   生産財としての教養

   中流実務


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遣隋使、遣唐使、仏教伝来など、漢文を通じて大陸の文化は日本に伝えられてきた。 卑弥呼、聖徳太子、小野妹子、清少納言、紫式部、天皇家など、発する言葉とはことなるものの、漢文を読み、漢文を書くことができた知識階級の記録が多くのこっている。その記録から古代の歴史を裏から読み解く。トッピス豊富な一冊。

歴史の裏側が垣間見れる。