お正月より東京国立博物館〔平成館〕にて特別展示

第一章 宮廷貴族の生活

第二章 近世の近衛家

第三章 家熙の世界Ⅰ

第四章 家熙の世界Ⅱ

第五章 伝世の品Ⅰ

第六章ーⅠ 伝世の品Ⅱ-1

第六章ー2 伝世の品Ⅱ-2

 日本の歴史・文化の中で、’書’が芸術の分野で大きな部分を占めることが理解できる。それは限られた情報の中で、印刷技術の無い時代に、読んで、書いて、写して、真似るという行為により文化がすこしづつ醸成されていったのではないだろうか・?紀貫之、空海、孝明天皇、近衛家熙、藤原道長などの実筆の書を見ることができる。

近衛家とは? 参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 近衛家は、五摂家 のひとつで公家 である。家名は、平安京の近衛小路に由来する。本姓 藤原氏 藤原北家 近衛流の嫡流にあたる。近衛流と九条流は、どちらか一方を、本家とは、決めることはできない。

 藤原氏は本姓の藤原を称するが、鎌倉時代以降は、姓の藤原ではなく、家名(苗字に該当)である近衛、鷹司、九条、二条、一条(五摂家)などを名のり、公式文書意外では藤原を名のらない。つまり藤原氏を継承しているのは近衛家と九条家ということになる。


 (我々のルーツを探る上でも本姓と苗字の関係を改めて確認する機会となったので、下記さらに引用する。)

 本姓(ほんせい)は、明治 以前の日本 において名字 (苗字)とは異なり、「本来の姓」の事。単純に「姓(せい)」とも言う。

日本古来の氏族制度が元となっており、氏(うじ) 姓 (かばね) と呼ばれる朝廷から賜った姓氏をそれぞれの氏族が持っていた。しかしながら律令制 の時代に入ると氏姓はあまり意味を持たなくなり、これらが混同し、朝廷の文書に記述する時に使う「氏」を「姓」と呼ぶようになる。その後、苗字(名字)が生まれ、公的な文書その他では「姓」が、それ以外の場では「苗字」が用いられたが、やがて苗字がそれまでの姓のように使用されるようになり、姓を本来の姓という意味で「本姓」というようになる。公家 の場合、その屋敷の所在地が苗字 として用いられた(一条 、萬里小路、姉小路 、押小路など)

姓は、しばしば「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」といわれるが、これは 藤原 という代表的な四姓のことである(ただし橘氏は他の3氏に較べ圧倒的に少ない。中国 の四姓に倣ったもので、語感合わせの為に橘氏を挿入した面がある)。姓にはこの他にも、菅原 土師 坂上 物部 蘇我 賀茂 在原 中原 大江 清原 、多々良、豊臣 その他のものがある。

姓(本姓)と苗字(名字)の違いは、姓(本姓)は「天皇から与えられる」ものであるのに対して、苗字(名字)は元来「自分で名のる」ものであった。しかし、後世になると姓(本姓)は主として朝廷から官位をもらうときにしか使用されなくなり、同じ家でも本姓がいつの間にか変わってしまったり、戦国武将のように時に応じて都合のよい本姓を名乗った例もある。

明治3年(1870年)の平民苗字許可令、明治8年(1875年)の平民苗字必称義務令により、国民はみな公的に苗字(名字)を持つことになった。これによって姓(本姓)と名字・苗字の区別は失われた。

ゆえに、源、平、藤原、橘は、姓であって苗字(名字)ではないので、現在の源さん、平さん、藤原さん、橘さんは、歴史上の源氏、平氏、藤原氏、橘氏と必ずしも関係があるわけではない。ただし、一部には姓と苗字が同一である場合もある。また、明治時代に以前の苗字を捨てて本姓を新たに苗字にした事例もある。安直に、現在の苗字から先祖を想像することは慎まなくてはならないが、苗字だから歴史上の人物とは無関係と考えるのも早計で、個々の事例を勘案することが必要である。


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雨の寒い日に見に行った甲斐はある。

我が家系は明治3年に勝手に名乗ったのだろうなぁ~。