信長の棺
10年ほど前に滋賀県の安土城址を訪れたことがある。 琵琶湖のほとりにひっそりとたたずむ安土山の山頂より少し下った場所に天守閣跡が残っている。 うっそうとした杉に覆われ、日中でも日が差し込みにくく、石段、石垣には苔むした岩も多い。すでに整備事業は始まっていたが、天下布武の信長の居城がこの程度の整備で良いのかと不思議に思い、一方で信長の死、本能寺の変後に燃え落ちた安土城の、織田家の無念や一向宗徒や農民の怨念がまだ渦巻いているような霊気させ感じられた。
’信長の棺’は導入部分がその安土城を舞台として始まる。主人公は「信長公記」の作者、大田牛一である。常に織田信長につき、その後豊臣秀吉にもついて、多くの記録、史実を綴っている。武将や足軽、忍びのもの、農民まで事情を聞き、また、大小、出仕が不明の歴史書、記録を集めながら、その世にならい、不明な部分は多少の推理と色付けをして、自身が分析した歴史を留める。時にはお上からの史実の改ざんを迫られながら、また、新たな事実の発覚で、過去の分析を改めながら編纂を進める。 自分は歴史の証人であり、ゆえにいい加減なまやかしの歴史書は残せないという思いから。 その牛一の目や調査、分析から本能寺の変と明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、清玉上人などにまつわる現在でも明らかにされていない秘密に迫る。 そして最後は信長の亡骸の行方。
『歴史とは、歴史家と事実との相互作用の不断の過程であり、現在と過去の尽きざる対話である。』と英国の歴史学者 エドワード・H・カーが述べている。 そう、著者 加藤 廣も、本能寺の変にまつわる現在と過去の対話をとことん行ったのだ。まるで大田牛一がのり移ったように。
史実と歴史書と詳しい調査に基づいた分析により、推理などという言葉は決して当てはまらない、ロジカルな展開と目の前に読者がタイムスリップしたような生き生きとした、明快な筆遣い。 いわば、歴史時代分析小説といったは歴史小説に新たなジャンルを広げたといってよいのではないだろうか。
小泉首相が読んでいるといわれた本書をたまたま読むこととなったが、これは名作であったがゆえに、何方かが首相に推薦したのだろう。 ちなみに著者は経済関連の官民学すべての経歴を持ち、本書が作家転向の第一作となった。
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ユーシンロッジ前 ここまで車で入ってこられる。
しかし、徒歩で。
