出会いを大切に

出会いを大切に

出会い、別れ、・・・私が今までに出会った素晴らしい人たちに感謝。

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父が逝ってしまった。もともと入院していたのだけれど、最近は調子がよくて誰もが急逝なんてありえないことだと思っていた。

9月5日の朝、私は福岡出張のため空港で搭乗手続きを済ませて時間調整をしていたら、病院から着信があったことに気づかなくて折り返し電話をした。
「心肺停止です・・・詳しくは先生からお話しがありますのですぐ来て下さい」

「え???」 母が妹と向かっているとのことだったので、また何かの間違いだろうと、心肺停止の言葉をあまり深くは認識できなかった。

父が透析を始めてから33年、・・・その間に何度も死にかけては蘇生し、医療技術によって生かされてきたので、多分今度だって、・・・そんな思いがあった。母と電話をして詳細がわかったらメールをもらうことにし、大事な仕事を優先した。

フライト時間が来て、福岡に向かった。

心肺停止って、・・・停止してしまったものはもう戻らないよな、と、だんだん現実が見えてきた。
ということは明日お葬式?・・・

そういえば、出張で初めてのお客様に会うのに、名刺が3枚しかなくて、それも困っていた。

いろいろなことを考えながら機内を過ごした。

飛行機を降りると、母、妹それぞれからメールが。「5時ごろ亡くなったそうです」「お父さん、家に帰るよ」

・・・本当だったんだ・・・  死因は急性心筋梗塞。誰にも見られることなく、早朝5時ごろに息をひきとっていたらしい。

そう言えば、前の晩は私も、母も、猫も眠れない夜を過ごしていたのだった。
2時か3時ごろは皆起きていて、私、母の順にトイレに起きて、猫が鳴くので餌をあげて・・・朝方までうつろだった。

空港では会社の人が待っていてくれたけど、事情を説明したらすぐ仙台に戻れということになり、すぐ引き返すことになった。運よく伊丹経由で仙台へ乗り継ぎスムーズに戻れた。


父の闘病生活は、本当に長かった。

葬儀ではみんな、ここまでよく頑張ったと、声をかけてくれて父の今までの頑張りをたたえてくれた。

父は透析をしつつも農作業にはげみ、自給自足ができるよう尽力してくれた。近所の人への手伝いもよく行い、皆からお礼されるほどだった。 

がんばりやさんだった。

そんな父の娘が私なのだ。

子供の頃は具合が悪かったりすると八つ当たりをされて、よく口論になった。ささいな喧嘩をよくしていたから、親孝行らしいことは何もできなかった。

これからだと思っていたけど、もう、いないんだね。

少し残念だけど、お盆に祖母の実家に行くことができて、父の夢をかわりに果たすことができたから、私としては思い残すことはないかも。

お父さん、・・・長い間おつかれさま!! ゆくり休んでね。


岩手県山田町に行ってきた・・・F・Oさんとの出会い

私の祖母は、岩手山田町の出身だった。山田町といえば今回の震災でかなり大打撃を受けた地域。
祖母はもう他界して30年あまりたっているが、とても個性的な人で岩手から嫁いで1度も里帰りをしないまま召されてしまった。

祖母は、バリバリした働き者で曲がったことが大嫌いな頑固者。きつい口調でじゃじゃうま系。厳しいひとだった。私が小6の時に74歳で亡くなった。

独り息子の父は一度祖母の実家を訪ねてみたいという思いをもっていたが、寝たきりになってしまい今となっては叶わないことになってしまった。
そして今回の地震。

山田のニュースを見るたびに祖母の実家も・・・と思っていたが幸い小高い山奥に立地しており、無事だった。ただ親戚が亡くなったらしい。

父の思いとともに私もずっと行ってみたい、と思っていたからか、数日前に祖母が夢にでてきて、写真のなかから飛び出してきてしゃべった。。。(何をしゃべったかは思い出せない夢だった)

お盆だからかな。

そして、今日、片道4時間かけて、やっとたどりついた。
私のハトコにあたる方と会うことができた。

祖母系の親戚の方々とはぜんぜん面識がなく、今回の地震がなければこんなこともなかったかもしれない。

祖母の生まれ育った土地をこの目で見れて、とてもよかった。
かなり大きな家で、昔は奉公人もいたそうで、いわゆるお嬢様だったらしい。
そこの家の子供たちは東京とか仙台とか、大都市に暮らしているらしいが、近くのお堂を守る役目があるとかで、この地を離れるわけにはいかないのだとか。

この小旅行で、私のルーツをまたひとつ知ることができた。

やっぱり、バリバリ系、ジャジャウマ系は祖母譲りなのかも。

絆がまた一つ生まれた。

この出会いに感謝。  

ばあちゃん、あそこまで連れ行ってくれて、ありがとう。 入院中のお父さんにも報告するね。

明日、お墓参りに行くね。



帰りは45号線を南下してきたら、気仙沼で灯篭流しと花火をしていた。

みんな新盆なんだな・・・。


子供の頃のことを思い出していた。

親から言われたことを思い出しては親を憎み、親に対して心を閉ざしていた。
父「こんな奴、死んだってかまわない」 …喧嘩した時によく言われた。
母「育て方をまちがった」 

子供に対して、こんな言葉を発するなんて、こんなひどい親はいない。

母の育て方をまちがった、というのは子供の頃に友達と遊ぶことを許されず、遊び相手は妹。
だから今になって多少遊んで家に帰ってこなかったり、自由気ままな生活をしているからなのか、はたまた私が父が嫌いで暴言を吐いたりしていたからなのか、私のどこをみてそう思ったのかわからないけど悲しかった。

今までの私は、子供の立場から言えば、子供にこんなことを言うなんて、私はなんてかわいそうなんだろう、って被害者の立場だった。親としてあるまじき態度。私が親になったら絶対こんなことは言わない、って心に刻んでいた。


でも。  昔付き合っていた人がたまに言ってた言葉を同じタイミングで思いだした。
    
「そんな気持ちにさせてしまったんだね・・・」


ふと気付いた。


私の態度が親を「そんな気持ちにさせてしまったのか…」


もっといい子にならないといけないんだね。 親を悲しませないように…。

ごめんね。


子供の頃は、自分が悪いとは思っていないから、被害者意識しかなかったけど、大人になった今は、こんな気持ちで、あの日のことを振り返っています。


病院の父は今日、私の顔を見て笑った。

満面の笑みで、笑った。


私は照れくさくて、・・・涙がでそうだった。

30年以上、わだかまりをもったまま、今まで過ごしてきた父娘。

もう、父を許そう…。

残り少ないであろう人生を、親子らしく過ごしていこう。

私も更生できそう。。。
Kさん

Kさんはとても気配りのできる人。
「過保護なくらいやさしくて・・・」また、それを皆に対して実践できる人。 繊細。
たぶん、その感性はちいさな子供がいるからかな。
行動をきちんと見ていて、危ない時にはだまって手をさしのべる。 
ガサツな私とは大違い・・・。

人をよくみている。 注意したい時は怒らない。 自分が怒ると若い人たちは委縮してしまうから。
その人に合った言い方で話し聞かせる。

見習うべきところがたくさんある、おとな。

他人への配慮って、気がついてもなかなか言葉にできなかったり、実践できなかったりするけど、Kさんは
ちゃんと言葉にして、行動にもだせる。

これからの私は、Kさんの影響を多分に受けて、毎日を生きていくことでしょう。

より繊細に、ていねいに、きめ細かな人付き合いができるよう、心がけていきたいですね。

Kさんとの出会いに 心から 感謝。  ありがとう。











もう4月も終わり。

ん~なんだかいろんなことがあって、心身ともにお疲れ気味かも。

ちょうど3月11日の震災の前と後に、東京出張で埼玉のお客様を2件ほどまわる機会があった。
パソコンの操作指導で同じお客様に震災前と後に訪問。

2件ともとてもあったかいお客様だった。   心から感謝!!

●S社長さん…(もしかしてスーパーマンの正体はこの人だった?!)
震災の後、すぐにガソリン&灯油を満タンにして、関東では電車が止まってしまったから知人を駅まで迎えに行き、ついでに困っている人を一緒に載せてきてあげた。さらにその人を降ろした後にまた道行く人を載せてあげて、埼玉なのに浅草まで行ってあげたとのこと。(スゴイ!!)
さらに避難所にミスド100個を差し入れしてあげて、子供達に配布。
(配布中に路駐だったため、しっかりキップを切られてしまったというオチつき。^_^; )

そして、福島にいる友人にガソリンを100リッター無料差し入れ。しかも自力で軽トラックで持参。
次にペットボトルの水を配布。

・・・仕事そっちのけで、即、こんな行動に出たそうです。

4月になって2度目の地震の時は、前日に私が訪問したので仙台までの帰りを心配して下さったり、救援物資をまた福島まで運ぶから、仙台まで行こうか?  なんてお気づかいをいただき、・・・本当にありがたいお心遣いをいただきました。

…あったかい。

●i社長さん
11日の震災の日、パソコンの操作と今後の運用の件でちょうど電話で話してた。「ご不明な点はいつでもヘルプデスクのフリーダイヤルにお電話下さいね。」なんて気軽に問い合わせができるよう、きっかけを作って電話を切り、ユーザ対応内容を顧客管理システムに入力して、担当営業にi社長さんの今後のシステム運用について、どう進めたら良いか、メールしようと作文していた。

そんな矢先の大地震。 入力途中だったメールはバッテリーのおかげで全文残っていたけど、その後の自宅待機で長期連絡がとれないまま3月の月末を迎えてしまった。
i社長さんは、システムを導入したばかりで、操作説明も半分もしておらず、月末の請求書発行もできない状態だったから、かなり気になっていた。(結局3月分は大阪の担当者が助っ人に立ってくれて問題なくできたようだった)

震災前に訪問して一度会ったきりで、大震災になってしまい埼玉はさほど大きな被害もなかったため通常営業で、わからないことだらけだったにもかかわらず、「こんなことで電話したら、震災で傷ついているのに申し訳ないって思ってヘルプデスクに電話できなかったよ」と。
「津波が来たって言うから、仙台市内も全部やられてしまったのかと思って、思わずあんたの会社の場所をネットで調べちゃったよ。ストリートビューもしたよ・・・」と。

会社ではあえてお客様には業務再開のご連絡をさしあげていなかった。

「ホームページに無事、と載っていたので、安心したよ。震災の日に電話で話していたので、このシステムは一生忘れない強烈な印象になったね」と。

本当にご心配おかけしました。お客様に気を遣わせてしまって、ホント申し訳ないです。

…やさしい。


みなさん、ありがとうございます。 (>_<)



テレビで見ているだけでは、と思い現場を見てきた。この事態をしっかり心に刻んでおこうと思って。

石巻まで三陸道を行って45号線にでたけど、渋滞がひどくてガソリンもなくなってきたので、途中で引き返し、石巻の街には入らなかった。
帰りは45号線をひたすら南下して、矢本まで入ったらたまたま45号沿いのスタンドが整理券を配っていて運よくゲットでき、給油できた。上限5000円までということだったので、満タンと頼み給油。
1万円だしたので、お釣りが発生した。お釣りは中のレジでもらってください、ということだったので、車を降りて中に入ってレシートを渡す。 お釣りは5731円。

このスタンドも浸水した様子がうかがえた。 レジのお姉さんが、お釣りの小銭を渡してくれた。
「ごめんなさい、小銭がなくて、5円入ってもいいですか?」
 「いいですよ」
「水につかっちゃって白くなっちゃって・・・ごめんなさい。」
長くつを履いてたし、建物の床とかが泥水の影響で白くなったことを言われたのだと思った。
 「・・・がんばってください!」 と言ってお金をもらい店を出た。 

財布にお金を戻そうとして、もらった小銭を見ると、5円玉が6枚、・・・白くなっていた。
レジそのものが水をかぶって、中の小銭が泥水で白くなってしまったんだ。
レジのお姉さんは、そのことを謝ったのだった。

痛々しい現実を見た。大変さがこんなところにも現われていた。

この5円玉は一生使わずに財布に入れておこう。

その後、ガソリンが満タン入ったこともあり、矢本の自衛隊付近を通り、惨事を目に焼き付けた。

観光地と思えない変わり果てた松島、船と車が入り乱れていた塩釜、多賀城の手前まで行って、45号線から外れ、帰路についた。

鳴瀬、松島、塩釜、多賀城、七ヶ浜は高校の同級生がたくさん住んでおり、同級生の中の二人が同校で教師として働いている。さらに恩師の先生が現在校長先生となっていて今年定年を迎えるので、3月26日には先生の送別会をかねて同窓会を行う予定だった。
参加予定だった同級生たちの安否はどうなのか。それどころではなくなっているのだろう。

   どうかみんな無事でいてください。 
Nさん

とても明るい女性です。私よりもちょっとお姉さん。

知り合って半年くらいですが、メールをするようになったのは、3か月くらいかな??

最近私は、仕事柄大きな会社の社長さんクラスの方々とお話をする機会があって、私なんかの相手を
してくれて、本当に恐縮で・・・普通では出会えない方々と出会えていてとても感謝しているんです・・・

というようなことをメールごしに話したら、

Nさんから暖かいお返事が。

人は、社会にでると学歴は関係なくて重要なのは人間性ってことだよね~  って。

ホントですね。 まったくです。

とかく学歴で人を判断してしまいがちですが、 この言葉を胸に、私も日々精進して自分を、他人を受容していこうと思いました。
数日前に、知人のご紹介でセミナーを受ける機会があり、そこで心に残った言葉。

人の行動は、「愛からくるもの」か「恐れからくるものか」のいずれかだ。
その行動の動機に愛があり、心からにじみ出てくるものによっておこす行動であればうまくいく。
しかし、恐れからおこす行動はうまくいかない。

さらに、・・・成功させたい夢がある場合に、それを実現するためには何か捨てなければいけないものもある。何を捨てますか?

そんなことをじっくり考えさせられたセミナーだった。


そのあと、自分の気持ちを整理してみた。

ずっと引きずっていた恋があり、・・・彼の心が私にはないことは見抜いていたんだけど、彼に対しては愛をもって接していたつもりだった。でも忙しくてろくに話を聞いたり、相談したりができず、私の気持ちが今の彼にはうまく伝わらず、会話もあまりなかったから誤解もあったのか・・・結局別れることにした。

彼にはうまく伝わらなかったけど、私の行動はすべて愛からくるものだったことは真実。
でも、恐れからくるものもあった。彼の言葉や行動を素直に信じることができなかったから喧嘩もあったね、・・・愛あればこその暴言だったり、嫉妬だったり・・・。まっすぐすぎたのかも。
彼との別れは愛からくるもの・・・。彼の幸せを心から祈っている。
彼女の存在もあり、辛かったけど気持がはっきりしたし彼女なら大丈夫だと確信し、彼女に感謝の気持ちが生まれた。「本当によかった・・・」私と無理してずるずる付き合ってほしくなかったから。

心から何かがす~っと消えていくものを感じた。晴々としたすがすがしい気持ちになった。


そして今日、昨年からずっと夢に抱いていた仕事への第1歩が幕を開けてくれた。
話を聞きに行ったら、では4月から、と。トントン拍子に決まってしまった。
「こんなにトントン拍子に決まってしまって、恐縮です」
「楽しいから、だまされたと思ってやってみてください。(笑)もちろん、だましてはいませんが、人生1度くらいだまされてみるのもいいんじゃない?」・・・と、今の私の状況をみたかのような一言。
(彼にだまされた、わけではないけど受け取り方によってはそうもとれる)

神様は、何か伝えたいことがあると、人を通じて発言させることがある、って聞いたことがある。
だから、思ってもいなかった言葉をふっと発することがある、・・・それは神様が言わせた言葉なんだって。今日たまたま言われたことで、気持が少し軽くなった。長い人生、傷つくことも必要ね・・・。


仕事を成功するために、捨てなくてはいけないものもある。
・・・私が捨てたものは、「恋」だったのだと実感した。

私をここにつれてきてくれた彼との出会いに感謝。

そして、私をこんな気持にしてくれて、気付きを与えてくれた言葉はまるで「魔法」のようだった。

セミナーに誘ってくれたSさんにも感謝。

みんな、ありがとう。
父が人工透析を始めて、もう30年ほどたつ。さらに4年前に脳出血で倒れて右が動かなくなってしまい、透析もしなくてはいけないので、それ以来入院生活が続いている。

右のマヒはリハビリでだいぶ良くなっているが、痴呆というか、言語はあやふや。
でも正常な時もあるから、たまに普通の会話もできる程度。ききとりづらいけど。

入院前は透析をしつつも、農作業に精を出して働いていた。けっこう頑張りやさん。でもかなり、短気で気が強くわがままな性格だった。
母はそんな父に文句ひとつ言わないでついていくような古風な人で、そんな関係をみていたから私の父に対する不満は大きかった。透析をしていても生活は普通にできるのにわがままで、自分の思い通りにならないとすぐ怒り、かなり短気で私たち子供にもどなり散らしていた。

そんな父が大嫌いだった。父に反抗して、思春期以降はろくに口もきいていなかった。
自分勝手で、すぐ怒る、母をこき使う、私も反抗期には口論が絶えなかった。
「こんな奴、死んでもかまわない!」って何回か言われたことを根に持っていて、絶対許さない、って思っていた。

でも、小6の時の先生と交換日記のようなものをやっていて、父との喧嘩については自分なりに悩んでいて、父への不満も書いてた。先生からは「わかってあげようよ・・・」って何度も返事がきたっけ。
でも、許せなかった。父の言動に心の深いところまで傷ついていた。


高校を卒業して、家を出て独りで生活をして、・・・ある日、父から電話がかかって来た。
話の内容は忘れたけど、元気か?喧嘩ができなくなって寂しい、・・・みたいな内容で、切ってから涙が出た。父が食事を作って、母が外で働いて、という生活が続いていたから、普段の生活で会話はなかったけど、私の帰りを外にでてまで待ってたりとか、心配してもらっているのは感じていた。

でも、私は父と会話をせずに過ごしてしまったから、父がどんなことが好きで、どんな学生生活をしてきたのかなんて知らないで今まできてしまった。


先日、入院中の病院に行って、少し父がまともだったので話しかけてみた。
「お父さん、学生時代は部活何やってたの?」  ・・・何度か聞き返したら 「陸上」って。
中学は?高校は? 「陸上」って。

本当かどうかわからないけど、陸上部だったらしい。父を少し理解できたような気がして、嬉しかった。

家にばかりいた時は短気で怒ってばっかりだったけど、入院して看護婦さんたちに声をかけてもらって少し明るくなり、笑うようにもなった。他人の力って、本当にありがたい。

距離をおいて付き合うとあまり喧嘩もしなくなるし、弱ってきた父を見ているととてももう憎む気も消えている。


これからは、父が生きている間にできるだけ会話をもつようにして、少しずつ私の知らない父を発見していこうかな。
小学校の先生の「わかってあげようよ・・・」という言葉をやっと理解できたのかな。

親孝行できるのかな。
2011年が明けました。

昨年は多くの皆さんに出会い、不思議なご縁もあり、自分にとってかなりのプラスになりました。

会社ではかなりむちゃくちゃな人事で退職者も多く、直属の上司も4人も変わったりと激動の1年間でした。まわりのせいにするわけではないけれど、そんな環境を受け入れることができず、腐って業務にあたる毎日だった。残業も多く、心身ともに疲れきっていた。

そんな気持で仕事してたら、うまくいくわけないよね。 ・・・まったくその通り。

モチベーションは下がる一方でも、これじゃいけないと思いつつ、ふと見た新聞広告の「女性のための創業塾」に参加してみた。以前から独立して自分でやってみたいこともあったし。。。

たった5日間のカリキュラムだったけど、中身が濃く、ここに来ている人達はみな前向きで輝いていて(そう見えた)、良い刺激をうけることができました。
みんな素直に人を受け入れることができて(ように見えた)、腐っている自分と違うな、と思った。

その後も定期的に行われている例会に参加して、皆のプラスの”気”を受けて自分へ喝を入れようと、心の改善を試みた年でした。

ここで出会った皆さんからは本当に良い刺激をいただき、特にコンサルの先生にはよいアドバイスをいただき心にしみ入りました。

今年は、ぶれない自分軸を作り、やりたいことを少しでもカタチにできるよう行動ある年にしていこうと思っています。

折れそうな私にパワーを下さった皆さん、本当にありがとうございました。
今年も皆さんにとって良い年でありますように・・・。心から感謝を込めてお祈り申し上げます。


さ~、頑張って勉強しなくちゃ~^_^;