最近コロナの影響で電車が空いている
丸の内線も、西武線もガラガラだw
コロナにかかりさえしなければ
この通勤状況は個人的には決して
悪くない。これってきっと怒られる
意見だろうなぁ(笑)でも何人かは
僕と同じ思いでいるはずだ。
自分の会社はライフラインに直結する
仕事なので好不況は関係ないから
こんな考えに至るのだけどw
~~~~~~~~~~~~~~~~

自分の文章はどうも湿っぽいと思う。
どうして湿っぽいのだろうと考えて
みたけど、理由が見つからない。
でもどうやっても楽しいハッピーな
文章は書けないのだ。
僕が愛読するブローガーさんは
みんな文章が面白くて爆笑させてく
れるものばかり。すごい文才だなと
毎回うならせていただく。
そういう文章ってどうやったら
書けるんだろうか?
やはり努力と才能かな・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~

先日読んだ本の中にあみだくじの事が
書いてあった。
人生という「あみだくじ」には
その曲がり角にそれぞれ
思い出す顔があるという。
言われてみたらその通りかもしれない。

今こうして、この会社にいるのは
あの上司の説得があったからだ。
上司の名前をYさんとする。
 
20年くらい前。会社を辞めようと辞表を
書いて出したことがある。
やめようとした理由はなんだったか?
人間関係だったか、業務内容だったか
それすらも思い出せない。
Yさんは会社の最上階の喫茶室で
コーヒーを飲みながら僕に
「やめてどうするの?」と
ニコニコしながら言ったのを覚えてい
る。Yさんの吸うタバコの煙が
ぼくの頭上を何度も通過した。
「やめてもいいんだけど、そのあと
どうするか決まってからでも遅くない」
そういってニコニコしながら
「また決まったら連絡ちょうだい」
 
僕は退社後のことを何も考えて
いなかった。
当時は独身だったし、どんな仕事でも
食べていけるだろうと思っていた。
それぐらい世の中をなめていた。
Yさんの「やめてどうするの?」の
一言は僕を一気に冷静にさせた。
以後、僕と顔を合わしても2度と
この話は出すことはなかった。
勢いと若気のいたりで書いた退職願は
その後上司の机の引き出しの中に
しまわれたまま。
 
あれから20年以上の時が経ち
今の僕がある。それなりの仕事と
収入があり、家族ができた。
通勤は大変だけど、小さい家も持てた。
やめないでよかったと今は思う。
 
あの時やめていたら
どういう人生があったのか?
若さしかない僕に何ができたか?
昔から知っていたYさんだが
接点はそれが最初で最後だった。
 
辛いと幸せは横棒1本の違いでしかない
自分では決して横棒を足せない
人生のあみだくじ。
このあと、いくつの曲がり角を
曲がってどんな人が立っているのか?
 
今もある会社の喫茶室はニコチンの
影響と経年で茶色い天井のまま。
僕らが座ったあの席の下は
観葉植物が置かれてエアコンの風に
吹かれている。
 
定年までもう少しあるけれど
退職を引き留めてくれて
ありがとうございます、と
感謝の言葉を、「あみだくじ」の
曲がり角にいたYさんに伝えたいけれど
今はもうこの世にはいない。

最近youtubeの動画投稿に奮闘している。

実は最近始まったものではない。

もうすでに2年も前から始めている。

 

保護犬を引き取ったのがきっかけで

その成長記録も兼ねてyoutubeデビューした。

始めた時の撮影機材はiphone5s。

編集ソフトは元から入っていたパソコンのフリーソフト。それだけだ。

 

起承転結も何も考えずに動画を撮っては

それらしいタイトルをつけて動画をアップした。

それなりに回数を重ねて最初よりはマシな投稿が

できるようになったと思ってはいるが結果が付いてこない。

視聴者登録は2年近くやって250人だ。

少し疲れてきた。

2年やって250人。

動画制作は時間と労力がかかる。

それに携帯を向けても犬が何かをしてくれるわけではない。

逆に逃げ回って絵にならない。

 

携帯を買い変えて格安スマホにした。

一気にカメラの質が落ちた。

我が家の室内灯は「電球色」。

犬が茶色いうえに、室内が薄暗い。

カメラの性能と同じくして

一気にやる気が落ちて2月上旬に休んだ。

 

マラソンは止まったら最後だという。

一旦休んだらもう動けない。

次の一歩がでない。

動画制作も同じだった。

頑張ってもついてこない数字。

もう犬にカメラを向けることはなかった。

 

10月下旬のある日。

youtubeを見ていたら画面にトイプードルの

動画が出てきた動画視聴回数が200万再生を超えているものだった.

すごいなぁ~と思い、どなたが制作したものかと思って

名前を見て愕然とした。

私が動画を初めてまだ数か月の頃その制作者の方から

相互登録しませんか?みたいな話をいただいた。

当時その方の視聴者数は500人前後だったことをよく覚えている。

今ではその方は10万人近い登録者を持つyoutuberになられた。

1年で200人増と、かたや10万人増・・・。なんだこの差は。

 

若夫婦が楽しそうに犬と遊ぶ動画。

子供がいらっしゃらないお二人には犬は

子供のような存在で、赤ちゃん言葉で犬と接し

動き一つ一つにアニメのような効果音をあてたその動画は

見ていて私には体質的?に合わない。

一貫してその姿勢で投稿を続けられてこられた結果が

この数字になっているのだろうけれど・・。

 

ここでむくむくと負けずキライの魂に火が付いた。

こういう動画が10万の人に支持されているのかと思うと

少し腹が立ってきたのだ。

若夫婦と犬のキャピキャピ動画が100万回も見られておっさんが

膝をついて犬の目線で撮った動画はyoutubeの

無数に投稿される動画の中に埋もれていく。

これでいいのかyoutube!(誰に文句を言ってる?)

 

絶対に1000人を超えてやる!

youtubeは登録者1000人、年間視聴時間4000時間で1人前と言われている。

1000人を超えてようやくyoutubeのスタートラインだという人もいる。

そのためには動画は最低50本は投稿しましょうとか3か月は頑張りましょう

などといわれているが、おじさんは動画は視聴者数よりも多い270本あげてます。

2年近くも頑張ってます。どうかおっさんの動画に1度だけ光を当ててやってください。

見られて悪評価なら納得もいくが誰の目にも止まらないなんて少し寂しいぞぉ。

 

負けるものか!絶対負けない!

毎日投稿だ!なんでもいい!

コツコツ毎日投稿してれば視聴者さんは増えるはず!

昔、そうだったじゃないか!

そう、昔といっても1年前までは毎日投稿していれば

1日1人か2人は視聴者数が増えていった。

しかし今は1か月毎日投稿しても増加数は3人。

先日は1人増えたと思ったら翌日3人も減った。

1歩進んで3歩下がる・・。

 

登録ボタンを押していただくというのは実に大変なことなんだと実感した。

限りある時間の中で、無数あるチャンネルから私のチャンネルを

選んでいただき、その人の時間をいただくということは大変なことなのだ。

そうか俺は、限りある人の時間を俺に頂戴っていってるのか。

それに値する作業をしなければ到底無理だろうな。

視聴者を増やすことばかりを考えたが今いる視聴者さんに

本当にありがたみを感じた。

 

いつも俺の動画を見てくれて高評価を押していただき

温かいメッセージもくれる視聴者の皆さん。本当にありがとうございます。

きっとあなた方が視聴者登録していただいた俺のチャンネルは

必ず大きくしてみせるぞ~!(と、いう気持ちはある)

 

よ~し!300本投稿してだめならやめよう。残りは30本。
よし!と、視聴回数がきわめて低く、画質の悪い100本の動画を消した。

これで130本の投稿ができるw(この性格w)

さぁ~130回打席に立てば1回ぐらいはホームランが打てるだろうか・・・。
いや打つぞ!打つんだぁ!

そう思いながら再びおじさんは逃げ回る犬をカメラに収めるのだった。

 

 

 

 

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ちょっとずつだがシュウカツを始めている。シュウカツと書くと若い人は就職活動だが私たち夫婦にとっては人生の終わりに向けての「終活」となる。50代前半と40代後半の夫婦。子どもは高校生と中学生世間一般では、まだまだこれからという感じがしなくもない。

 

私も妻も、あまりゴチャゴチャした空間が好きではない。

部屋には最低限のものがあればいい。例えば、リビングには椅子とテーブルとテレビ。

それだけあればいい。おしゃれな雑貨は必要ない。理想はビジネスホテルのような部屋だ。


そうはいってもそれなりの年月を共に重ね子どもが生まれてくると物は増えてくる。

特に衣類や学校から持ち帰ってきた絵や工作、友達からもらった物も多い。マンガや雑誌も山積みになっている。


先日、娘の反抗期のブログを書いた。大騒ぎした後の妻との会話の中で

『あの子もこの家にいるのはあと2年だから」地方の大学に行くからこの家から出ると言ってるらしい(と、いうか私が「家を出て苦労して来い」と常日頃から言っていた)

 

そうか、あと2年か。私が実家を出たのが18歳だった。あれから30年以上が過ぎた。

小学校から18歳までの時間と18歳から今までの時間どちらが早かったかと考えたら18歳から今までの時間の方が圧倒的に早く過ぎた気がする。


誰が最初にこの家を出ていくのか?家族が一緒にいられる時間は

あとわずかだ。そう考えるとさびしくなってくる。しかし、立つ鳥、あとを濁さずという。

残されたものに迷惑をかけない。散々子供たちに小言を言い疎まれてきた。

そんな私が死んだあとの片づけはさぞ迷惑だろうと思う。死後、ぶつぶつ言われないために

コツコツと片付けをする。実は最初に動き出したのは妻だった。妻はあきっぽい、ゆえにあきらめが早い。いらないものはバッサリと捨てる。

 

ただ、思い出の品は大事にする優しさはあるw生きることに執着がない。『だってお墓の中でずっと寝ていられるじゃない」

 

妻の荷物はどんどん整理された。負けじと?私も整理した。まだまだ荷物は多いけれどそれでも薄暗かった納戸はぐっと広くなり窓を開けると風が通った。


私たち夫婦は小さな築40年以上経過した線路沿いの2Kのアパートからスタートした。働いて働いて何とか家族4人になった時に子供たちのことを思い田舎に小さな家を買った。

使い勝手の悪いと感じたこの家もあと数年もすると夫婦2人には大きすぎると感じるに違いない。大きな冷蔵庫も大きなテレビも大きなテーブルセットもみんな、みんな必要ない時が来る。

全ての物に思い出はある。思い出は胸の中に刻んでおく。しかし、どんな大切な思い出も死んでしまえば消えていく。ゴミとして出した思い出の品は焼却場で炎に包まれててあの世に

先に行っていてもらおう。私があの世に行ったときに再開できるように。

 

今は、朝起きた時の2人分のコーヒーと夕食時の缶ビール2本のるテーブルがあればいい。

ゴールはそんな小さな小さなアパートに戻っていいと思っている。

 

おじさんには理解不能な音楽が垂れ流しのFMラジオが流れるリビングでは妻が外出中の長女とイライラしながらラインをしている。

「また池袋でごはんを食べてくるって。あの子に余計なお金を渡すとこうだから」

「○○(次女)は?2階?」

「そう。ずっと携帯。テスト前だっていうのになにやってんだか」

「ふ~ん」

「ふ~んじゃなくて、何とか言ってよ」

今日も1日かけてごみ袋3つ分の自分の衣類を整理した妻が冷めたコーヒーをごくりと飲む。

ソファーの横で起きかけた我が家の番犬がまた眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

自分の中学~高校の時の記憶があまり残っていない。

特に親に対する態度はあまり残っていない。

あれから約40年近く経った。

僕の反抗期はどうだったんだろうか・・・

 

16歳になったばかりの娘の反抗期が収まる気配がない。

反抗期かどうかもわからない。

先日は家で大暴れして室内の引き戸を修理不可に

なるまで破壊した。

 

部屋はだらしなく、生活態度も悪い。

勉強よりも化粧とタピオカ。

教科書よりもファッション誌とyoutubeとインスタ。

 

歩いて10分足らずの駅に母親に車で送らせて

その母親に「高卒のくせに」とののしり

父親には「3流大学しか受からなかったくせに」という始末。

そういう本人はまだ高1だというのにその自信はどこからくるのか?

 

親の弁当はまずいからとパンを買うからと小銭をせびり

帰宅後は疲れているからと制服のままベッドに入り朝を迎える。

 

夜中までネットを見ていた翌朝は

頭痛、足が痛い、風邪気味、吐き気がするetc・・・と学校を休む始末。

 

小学校まではこんな娘じゃなかった。

なにをやらしても優秀で誰からも一目置かれていた。

そんな娘が「勉強がしたい」というから塾に通わせて中高一貫校に通わせた。

お金持ちが集まる歴史の古い有名な私立校だ。

本当はもっと学力が上のレベルの私立にいくはずだったのに

そこしか受からなかった。

そこには滑り止めも落ちて急遽決めた学校だった。

 

「これも縁なのよ」と妻はいう。

どんどん崩れていく娘を見ていて本当にここでよかったのか?と思う。

今更どうすることもできないのだが。

 

ただ後悔後に絶たず。

反抗期なのか?

それとも違うサインなのか?

2年後に迎える卒業に際して「あの時に・・・」と思わなければいいのだが。

 

僕の中高時代はどうだったか。

記憶にないと書いたが

実は記憶の奥深くに仕舞い込んでるだけだと思う。

男手ひとつで育ててくれたオヤジの顔を

真正面から見ることなどできない悪行の数々の記憶が

よみがえらないようにフタをしているだけだ・・・。

 

死んだ親父に聞いたらきっとこう言うに違いないのだ。

「お前よりはましだよ」って。

 

娘よ、頑張れ。

 

 

 

最近は断捨離をかねて、不要なものは「メルカリ」に出品している。

 

数回しか使っていない工具から、車の備品、スキーセットや一度も使ってない食器セット

 

小さくなって着れなくなった子供たちのバスケット用の衣類などなど・・・。

 

今まではゴミでしかなかったものが、売りに出すと積もり積もって数万円になり

 

部屋も片付いて、まさに「メルカリ」さまさま。

 

売れたもので一番大きなものは家の駐車場に置いたバスケットゴールだ。

 

子どもたちが小学生の時に入った地域のバスケットボールチーム。

 

練習に必要だろうと結構本格的なバスケットゴールを買った(3万ぐらい)

 

しかし、練習したのはほんのわずか。

 

バスケットゴールがボコボコになるぐらいシュート練習をしてくれていたら

 

今頃全国大会いや県大会ぐらいの望みがあったチームだったのに。

 

 

 

わが家に来て、6年余り。

 

そのほとんどが我が家の目印がわり。

 

我が家をめざしてくるときに、相手に電話でいうのは

 

「駐車場にバスケットゴールがおいてある家だから」といえば

 

ほぼ間違いなく訪ねてこれるw

 

 

 

先日の台風24号。

 

強い風。初めて夜、寝つけなかった。

 

心配なのはバスケットゴール。

 

6年経過し、対候性はあるものの風で倒れて隣家の物や車を傷つけないか・・・

 

時々、おきては2階の窓からバスケットゴールを確認しにいった。

 

 

 

翌朝。台風が去り、庭の大きな木たちは東西南北いろいろな方向に倒れていたが

 

バスケットゴールはいつもと変わらない姿だった。

 

その姿をしばらくじっと見上げた。

 

ゴールネットが風で揺れている。

 

ポタポタおちる雨のしずく。

 

バックボードにとまるスズメの姿。

 

支柱に反射する太陽の光。

 

なんとなくもう限界かなというか、もう我が家にいてもらわなくていいかなと思った。

 

バスケットゴールがバスケットゴールらしくいてもらうための手をうった。

 

バスケットゴールは我が家への目印なんかじゃないのだ。

 

 

 

送料がかかるから、我が家まで引き取り来てくれること

 

重量物だから数人で来てほしいこと

 

それらを明示して売りに出したら即日売れた。

 

数日後、妻に聞いたら引き取りに来たのは30代後半の夫婦だったらしく

 

器用に分解して、二人で軽トラックに積み込んでいった。

 

帰り際に、笑顔であいさつに来た二人の後ろに小さな子供がいたらしい。

 

 

 

売ったものだから関係ないけど

 

、あのゴールネットをたくさん揺らしてくれる人であってほしい。

 

バスケットゴールをバスケットゴールとして使ってくれる人であってほしい。

 

バスケットゴールがあった場所には今も跡が残っている。

 

 

 

バスケットゴールがなくなって数週間が経つ。

 

誰一人としてバスケットゴールがなくなった話をしない。

 

それがなぜなのか僕自身もわからないでいる。

 

圧倒的に一人で酒を飲むことの多い僕が

年末年始と我が家に人を招いて酒を飲んだ。

色々と料理や酒も色々な種類を並べて

妻の大いなる負担の元で行われた飲み会に呼んだ客人は2組。

一人は上の娘の親友ともいうべき友達のご両親のTさん

もう一組は娘たちが通うバスケットチームの仲良しチームメイトのご両親のFさん。



僕は飲み会は自分への投資だと思っている。

映画や本を読むのと同じだ。

向かい合い酒を飲むことで何か得られるものがあると思っている。

楽しい酒もあれば難しい酒もある。

それは本も同じで楽しい本や難しい本なんてのもあるのと一緒だ。



今回の酒は楽しく、めちゃくちゃ実りがあった。

自分にないものを持っている人の話は実に興味深い。

特にFさんの話は大げさに言えば僕の今までのやり方や考え方を大きく変えた。



失礼な話だが、見た目は腹話術の人形だ。

だが、その笑顔は崩れることはなかった。

何を食べてもオーバーなくらい喜びを表現してくれた。

オーバーな表情で人の話を聞き、そして話す。

特別な話術ではないのかもしれない。ひょっとしたら当たり前のことなのかもしれない。



人を楽しませる。愉快にさせる。喜ばせる。

本当は僕が、この酒の席でFさんやTさんにしてあげたかったことだった。

だけど実際はその考えが上から目線なのだ。

実際に愉快に楽しく喜ばせてもらったのは僕のほうだった。

いつも前向きな考え方プラス思考は実に興味深い。



人を招くのは実はおっくうで面倒だ。

金だってかかる。だけど、自分の人生の残り時間を考えると

多くの人にふれあい、学ばせてもらったほうがいいに違いない。

そう。

いくつになっても人から学ばせてもいただく。

この考えが正解で自分を変えていく方法なのではないかと思っている。


降り積もった雪が解けたら

また酒を飲みながら学ばせてもらおうと思っている。

 

まぁ~大したもんだと実のところは思っている。

叱りつけたり、ゲキを飛ばすのは容易だが

じゃ~自分がやってみろと言われたらできないのは間違いない。



小学生娘2人の所属するバスケットボールチームの新人戦が終わった。

結果は準優勝。それも1ゴール差だ。

力はほぼ互角なれども、ルール上、新人に該当する学年の選手を全員一度は使わないとならない。

我がチームは一番下の1年生の娘が完全に役立たず。ボールすら触れない。ルールもおそらくわかっていない。

また入部数日という女子もいて・・・。一生懸命やってきた選手にとってはかなりのハンデであったに違いない。


それでも、少なくとも彼女たちは我々の前ではそういう子供(足を引っ張っている)をとやかく言わず

一緒になってプレーし、助け合っている。

大人の社会なら、かなり文句を言われているに違いない。

そういう気持ちを育ませるのもこのスポーツクラブの狙いなのだろう。


接戦の末、試合終了間際に1ゴール突き放されそのまま試合終了。

相手チームの選手よりも応援する保護者の声にいたたまれなくなり会場を早々と後にした。

立場が違えばきっと我々だって子供たち以上に声を上げていたのは間違いないと思うけど。


1度しかない新人戦を優勝できなかったのは残念なことだが

負け惜しみを言うのではなく、今回は負けてよかった。

課題がたくさん見つかった。

点差は1ゴールだが、体力差が出ていた。ボールに対する執着もちがっていたし

身長差がある相手にやってはいけないプレーを何度もした。

ドリブルのスピードが遅すぎる、パスも正確さに欠いた、

雑なシュートも目立ち、フリースローは全く入らない。

今回の課題をつぶしていけば県大会だって優勝できるチームだと思っている。


帰宅するなり、僕からほめられるなんて思ってはいないだろう二人は

案の定のお叱りを受けて食卓について、優勝したら食べられたであろう外食のピザが

ママが急ごしらえで作った五目煮に変わった。

僕の冷たい視線を感じながら二人はそれをを黙々と食べていた。


本当に・・・本当は・・・

実は大したもんだと思っている・・・。

 

二年前に機種交換で行った店で二年間全て無料だからと言われ契約した子供用の携帯。

 

少しオーバーだが数々の親子の糸を結んでいてくれた。

 

この度、新機種にバトンタッチをすることになり引退することに。

 

一台は液晶が割れている。もう一台も傷だらけだ。

 

それでもきちんと大事な要件は伝えてくれた。

 

長い間お疲れさまでした。

 

子供に代わって感謝します。

 

よく、俺なんかと結婚してくれたなぁ~と時々思う。

 

いや、しょっちゅう思う。俺が逆なら絶対俺みたいな男とは結婚しない(笑)


死ぬ間際に、51対49だったな、そんな人生であってもらいたいと思うのだ。

 

結婚してもらった、いや、していただいた夫として何ができるやらと考えるけど

 

とりあえずは満腹で眠れる日々を提供することかなと考えるのだけれど。

 

未だ道の途中。-IMG_0697.jpg

我が家は比較的映画に行くほうだと思っている。

と、いっても子供が小学生なので

アニメばっかりなのだが・・・(笑)

次回はモンスターズインク。

この映画は妻と結婚前に初めて行った映画のPART2。

妻の小言が多くなってきた我が家の夫婦関係が改善するといいんだけど(笑)