叡山本線 出町柳~元田中(その1) | う、うまれるっ!(第一/第七ステージ)

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早朝の出町柳(でまちやなぎ)駅前に立っております。京阪電車鴨東線の終着駅でもあり、叡山電鉄の始発駅でもあります。

まだ、人の姿も疎らな状態です。

 

叡山電鉄は地上からの発車。京阪電車は地下からの発車ですから、両社の電車が顔を並べる事はありません。

 

ガラス越しに車両たちの姿を確認です。頭端式ホームになっていて、車両基地の留置線だけでは収まり切れないのか、全てのホームに車両が夜間停泊しています。

 

出町柳駅は、1925年(大正14年)9月27日開業。鴨川の右岸畔に立地する駅のため、開業直後は鴨川の氾濫等で浸水被害を受けた事もあったようです。治水が進んで、そのような傾向は少なくなっているようですが、それでも集中豪雨や台風襲来時には警戒態勢が敷かれるようです。

駅名の由来はこの界隈の地名が柳町で在った事、鴨川の堤防に柳の並木が続く事から来ています。出町は鴨川左岸の河原町今出川エリアを指す言葉のようで、その複合が駅名に宛てられました。

1976年(昭和51年)3月31日までは、京都市電今出川線が駅前まで軌道線を延ばし、利便性が図られますが、市電が全廃となった事で、京都駅と当駅を結ぶ交通手段は断たれ、路線の収益が激減します。そこで、筆頭株主の京阪電鉄が、三条駅まで延ばしていた自社路線を更に延伸する流れを作りますが、用地買収に難航し、全線を地下化して1989年(平成元年)10月5日開業に漕ぎ着けました。