今日は、いい天気♡
月に1度の東別院朝市に行ってきました(-^□^-)♪
来月は、私もここに出店するぞッ!!!
さてさて、今日の気づき(・∀・)
本堂の中で『こども御遠忌』を聞いてきました。
その中で、印象に残ったものが、「ひとは許されたから生まれてきたのだ。」と、いう一言。
生きていること≒罪・罪悪感があった私。
はい、精神的虐待の中、育ったからだと思っております。
虐待を受けた人の話とか、やたら好き(笑) だって、その思考・感情にめちゃくちゃ感情移入できるから♡
「そうそう、そうそう!!」って、1人で感激しながら、虐待を受けたために施設で育った子供のドラマとか、実話とか単行本にかじりついた過去。笑
自分が悪くないのに、否定・批判されると、自分の存在に罪悪感を持つようになるんだよね(^ ^)悲しいけどね。
だけど、本日の一言で。
「あー、そうか。自分は許されていたんだ。」と、思った。
存在することは罪である、そう思ってしまうことこそ、虐待を受けた後遺症。
虐待する人を、理解はできる。我慢をいっぱいしてきた人。その親にも、同じようにして育てられた人。ただ、自分がされたことを同じようにしているだけ。
でも、その虐待の連鎖を止めたいから。
虐待する人の気持ちは理解できるよ。
でも、虐待受けたら、怒れるの。辛いの。しんどいの。だから、自分が、その後遺症を治すために、されたことを怒ればいいし、悲しめばいいし、辛かったって嘆けばいいの。(←わざわざ親にぶつけなくてもいいよ。笑 ただ自分が感じればオッケー♡)それが、自分の感情麻痺の治療だから♡
そして、、、。
私も許されて生まれてきたんだ。そう思ったら、人に認められるために生きてきた自分に気付いた。
「人は、人に、認められるために生きているわけじゃない。」ふと、そんな言葉が降ってきた今日でした。
今日は、朝市が『楽しい』
自分は精神的虐待を受けていたんだと、また考えてしまい『悲しい』
人に認められるために生きていたなんて『情けない』・『恥ずかしい』
そんな感情を感じて生きることができました♡
ありがとうございました。
ソーイング作家 SATOKO