こんにちは ハーモニストEryです音譜

生活の拠点を海外に移し忙しくしていたらあっと言う間に五月が終わっていました!


遊牧民族のような私は、よく「一人で遠くに行くなんてご両親は心配しないの?」と聞かれます。

両親はもちろんきっと誰よりも私のことを心配してくれる存在です。

けれども同時に誰よりも私の生き方を「信じている」から気をつけていってらっしゃい、
頑張ってやりたいことをとことんやりなさい、と言ってくれるのだと思っています。

もちろん、信じてもらえる関係になるには親子であっても紆余曲折を経験しています。
はじめから簡単にできることなどないものです。

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こうした経験から「人を信じる愛」についてよく考えます。

家族でも、友人でも、恋人でも、「信じること」は愛そのものです。

あの人は見ていると心配でどうしようもない、何を考えているかわからない、
だから見ていられない。といった気持ちは相手を信じていないときに起こります。

「愛してる」という言葉を「私はあなたのもの!あなたは私のもの!」といった
欲求の主張や確認に使う人の方が多いのかもしれませんが、
「愛しています」というのは「あなたを信じていますよ」「あなたの生き方を
尊重していますよ」
ということだと私は考えています。

相手の考えを尊重し、好きにさせること、相手が信じるものを否定せずに
解き放つことが愛だと思うのです。

逆に家族や友人や恋人を信じられないことほど悲しく辛いことはないですね。
疑いの心は自分も相手も傷つけ、苦しみを生み出すのみです。
そこにはエゴしか残らなくなり、自分も苦しいものです。
私も含め、人間誰もが経験したことのある苦い思い出かもしれません。

一人海外に暮らすようになりましたが、私にはそんな「信じる愛」を送り続けてくれる家族や友人達がいてくれるおかげで、どこにいても自分らしく生活ができるという強さが自然とみなぎってきます。

「自分の強さ」というのは自分だけで鍛錬するものではなく、こうして相互に相手を尊重し合う「愛」があるからこそ磨かれるものだとつくづく思うようになりました。

そしてそうした愛に満たされるにはやはり自分もまた相手を信じて愛すること。
それしかないのですね。
30歳も半ばを過ぎ、イケイケゴーゴーな時代には感じなかった相手との対峙の仕方を
こんな風に感じるようになりました :)

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そんなことを教えてくれる家族や友人たち、ありがとう!!

私は相変わらず、優れた嗅覚を使って新しい町にも速攻溶け込んでいますよ :)

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週休1日にもめげずよく働いています!!


Om shanti