英会話ビジネス業界は2年後に崩壊し3年後にほとんど消滅する | 行列のできないブログ( 本当は、行列の途切れないブログ )

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2011年9月に「家庭菜園ブログ」としてスタートしましたが、いつのまにか道を踏み外してブレまくり、野菜作りとは何の関係もないことばかり書くようになりました。なお、このブログには農薬と化学肥料は使用しておりませんので、安心してお読みください。

 やれやれ、ほんの数カ月前には誰も予想さえしていなかった今回の新型コロナ騒動というか新コロ事変は、6月の中旬に入った今も特に明るい兆しは見えておらず、場合によっては今後コロナ・ウイルスの変種や未知の形態を持った珍種が現れる可能性さえ懸念されており、いうなれば変コロや珍コロが今後も人類を悩ませ続けるかもしれない状況をも予感させるが、「進化論」のダーウィンの言葉として知られる「生き残るのは強い者ではなく環境の変化に適応できる者である」のように、おそらく多くの人が2カ月以上も続いているこの不自由な自粛と自制の生活に対してある種の免疫と耐性をすでに獲得しているかもしれず、まあ、とりあえずあとしばらくは、皆で協力し合いながらというか社会的な距離を保ってお互いに生き残りながら、成り行きを見守るしかなさそうである。

 

 

 数日前、私が所属するオヤジ・バンドのメンバーの一人である友人が私の家へお中元を持ってきた折、彼はこのところ毎日 YouTube を使って英会話の勉強に励んでいると言った。

 理由を尋ねると、まずは暇な時間がたくさんあること、そして、ある程度の英会話力を身に付けておけば、たとえば日本に来た外国人の道案内ができるなどして、将来いろいろ役に立つことがあるだろうから、ということだった。

 

 

 私は、彼の学習意欲に水を差すようで心苦しいがと前置きしたうえで、英語圏の国に移住したり外国企業の日本支社で働くつもりでいる場合などを除いて、これからの時代に英会話の勉強をするのは時間とエネルギーの無駄でしかない、と告げた。

 もしも有料のレッスンを受けたり、教材や書籍などを買ったりすれば、金銭の無駄遣いでもある。

 今日はそのことについて書こうと思う。

 友人に話したことの繰り返しのようなものだが、要するに英会話の勉強などすぐにやめたほうがよい、という内容である。

 

 

 新型コロナがもたらした世界的な厄災を誰も予測できなかったのは、これがまったく未知の出来事だったからであり、予測するためのデータも資料もなかったことが理由だが、少なくとも英会話を取り巻く今後の状況については、予見するための材料や情報は身の回りにたくさんあるので、それを検討したり分析したりすれば、おのずとその輪郭が見えてくる。

 決して難しいことではない。

 この記事で書くことは、いうなれば近い将来への予言である。

 そして予言である以上、信じようと信じまいとあなたの自由である。

 

 

 今この時、日本中の大小のIT企業や、いくつかの研究所の技術者たちが、AI(人工知能)のテクノロジーを駆使した携帯式通訳機器の開発にしのぎを削っている。

 そして、おそらく2年もしないうちに、最先端AI技術の結晶ともいうべき、驚異的な性能を備えた携帯通訳機が登場する。

 それは外国人と会話をするときに片手に持たなくてはいけないような不便なものではなく、ペンダントのように首にかけたり、胸ポケットに入れておけばいいような小型で軽量の機器である。

 大きさはクレジットカードほどで、厚さは1センチ程度だろう。

 人間の声以外の雑音を遮断するフィルターは当然のように付いているので、かなり騒々しい場所でも会話ができる。

 

 

 日本人を英会話学習の苦行から解放してくれるこのようなツールの市場は巨大であり、現在だけでなく永らく将来にわたっての需要も見込める。

 個人だけでなく、商店や飲食店などを初めとして、外国人が訪れる可能性のある商業施設全般と、公共施設のすべてがマーケットである。

 タクシーやバスのドライバー、列車の車掌、駅員などにも重宝される。

 爆発的なヒット商品に化ける可能性があるので、この製品を完成させて莫大な利益を得るため、多くの会社やエンジニアたちが必死に開発を進めている。

 

 

 この通訳ツールは、国際会議などでよく耳にするような同時通訳的な機能も備えるので、日本人と外国人が、通訳機器の存在を気にせずそれぞれの言語で普通に会話を続けることができるし、複数の人間と話すことも可能である。

 相手の言ったことがよく聞き取れなかった時は、通訳機が「すいません、もう一度言ってください」と頼んでくれるし、未知の固有名詞などに対しては、「○○とは何ですか?」と質問してくれる。

 この通訳機は、おもに日本人向けに英語と日本語での会話をメインにして開発されるが、英語の他にも数十ケ国語に対応するので、おそらくどこの国から来た人とでも何の支障もなく対話ができるし、日本人が外国へ出かける場合でも、これさえ持っていれば、どこへ行っても言葉で困ったり苦労したりすることはない。

 

 

 すでに小型の通訳機が2万円から4万円ほどで市販されていて、英語を初めとして70種類以上の言語に対応しているようだが、このような機種はいうなれば初期モデルである。

 たとえば携帯電話の初期モデルは重さが5キログラムほどもあって肩にかける形式のものだったし、それに続く機種も1キログラム以上の重量があったが、今の通訳機もそれに似たようなものである。

 しかしすぐに飛躍的な進化を遂げ、小型で軽量になり、多様な性能を備え、価格も非常に手頃になる。

 バッテリーに関しては、通訳機能だけを備えた小さなツールならリチウム電池1個で何カ月間も使えるだろうし、光を電力に変える研究も世界中で続けられているので、やがて電池さえ過去のものになる時が来るかもしれない。

 

 

 

 

 文明の利器や技術革新は、人間に楽をさせてくれる。

 昔の人は、江戸から京都まで歩いたり馬にまたがって旅をしたが、今は新幹線に乗れば数時間で行くことができる。

 文明の進歩は、人間に労力と時間を節約させてくれるのである。

 そして、これからの時代、多くの人々にとって英会話の勉強は、時間とエネルギーの無駄でしかなくなる。

 近い将来、高性能の携帯通訳機が普及し始めれば、人々はそのことに気付き、英会話の学習にはほとんど意味がないことを知る。

 何百時間もかけて机に向かい、たくさんの語句や文法を覚えたり、教材を相手に発音とリスニングの訓練を続けたりするより、デジタルとAIのテクノロジーを活用するほうがずっと楽であり、合理的である。

 

 

 私の場合、高校生の頃からこれまで何十年間も、そしておそらく何千時間も英会話の勉強を、それほど熱心にではないが続けてきた。

 教材や書籍などに遣った金額も、すべてを合計すればかなりの金額になるだろう。

 それでも、しかし、どうにか日常会話には困らない程度のスキルしか身に付いておらず、アメリカ映画などを字幕なしで観れば、半分程度しか理解できない有り様である。

 ことほどさように、我々日本人が英会話を身に付けようとするのは、いうなれば非常に遠大で骨の折れるプロジェクトである。

 馬で、毎日東京から京都まで出かけるようなものだろう。(それは違うかな)

 日本語と英語は、いろいろな点でまったく性質の違う言語である。

 初学者がある程度のレベルに達するまでには、膨大な時間と労力と出費と、明確な目的意識と熱意と根気と忍耐が必要である。

 

 

 通訳ツールを使って外国人と話すのが当たり前の時代になっても、英語や英会話は、学校の教科としては残り続けるだろう。

 今は電卓やパソコンでどんな複雑な計算もできるが、学校では算数や数学を教えるのと同じである。

 そして、機械に頼らず自分自身で英会話を習得しようとする人もいるはずである。

 何か特殊な理由や目的を持った人々である。

 ただ、そのような人はあくまで少数派であり、やはり大多数の人は文明の利器を活用する。

 したがって、遠からず英会話ビジネスは、完全にではないにしても、ほとんど消滅する。

 

 

               ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 英会話以外の、英文の読み書きという問題についても、ついでに述べておきたい。

 パソコンで使える無料の翻訳ソフトがすでに何種類かあるようだが、どれもまだ発展途上の段階であり、とんでもない誤訳や珍訳に出くわすことも多い。

 しかし、自動翻訳も今は過渡期にあるだけで、すぐに洗練され完成されていくだろうから、日本人が学校以外のプライベートな時間に英文読解の勉強をする必要はなくなる。

 英文和訳だろうが和文英訳だろうが、どれほど長くて複雑な文章であろうと、マシンが一瞬で正確に翻訳してくれるようになる。

 日本文を翻訳ソフトに打ち込んで英文を作る時、英訳された文章をもう一度日本文に逆翻訳すれば、どの程度正確に内容が伝えられているかを確認できる。

 

 

 世界中にはいろいろな言語があるが、とりわけ英文和訳と和文英訳に多くの課題が発生するのは、先ほども書いたように、この2つの言語が非常に異質だからである。

 もちろん文字はまったく違うし、語順を初めとして文法も極端に異なる。

 たとえば、次の英文を例にとってわかりやすく説明してみたい。

 He’s been absent from work for two months.

 意味は「彼は2カ月間ずっと会社を休んでいる」である。

 He’s は He has の略であり、 He’s been absent はいわゆる現在完了の継続用法と呼ばれる文形で、過去に始まった行為などが現在まで続いていることを示す。

 

 

 英語の学習者であればすでにご存じだろうが、英語という言語では多くの場合、要点は最初に述べられる。

 この英文では「彼はずっと休んでいる」が要点であり、それを補足する説明があとに続いているわけである。

 つまり、「彼はずっと休んでいる、会社を、2カ月間」という構文であり、日本語の「彼は2カ月間ずっと会社を休んでいる」という文とは語順がまったく違う。

 英語と日本語がいかに別種の言語であるか、これはその事実を示す一例である。

 

 

 次の英文を見ていただきたい。

 I returned to my hometown for the first time in six years.

 和訳は「(私は)6年ぶりに帰省した」、または「6年ぶりに故郷に帰りました」である。

 やはり「私は帰った」という要点が冒頭で述べられ、「故郷へ、初めて、6年の内に」という語順になっている。

 そして、これも学習者なら常識として知っておられるだろうが、英語では主語を省略するケースは非常に少なく、英語のセンテンスには常に主語が必要である、と考えておいて間違いない。

 

 

 英語と日本語の違いは他にもたくさんあるが、あとひとつだけ例を挙げておくなら、英語では否定の仕方が日本語と異なる場合が多い、ということである。

 わかりやすい文例を使って説明すれば次のようになる。

 たとえば誰かが、「彼女は君のパーティには来ないと思う」と言ったとしよう。

 これを英訳すれば I think she wouldn’t come to your party. となりそうだが、実は英語圏の人々はこのような言い方はしないのが普通である。

 

 

 では、どう言うのかといえば、 I don’t think she would come to your party. である。

 つまり、「(僕は)彼女が君のパーティに来るとは思わない」である。

 英語は、否定的なことを最初に言う言語である。

 たとえば、 I don’t、 I can’t、 I won’t、 You can’t などである。

 日本語なら「次の電車に乗ったらダメだよ」と、否定の語句が最後に来るケースが多いが、英語では Don’t take the next train. 「ダメだ、乗っては、次の電車に」となる。

 

 

 さて、ここまで英語と日本語の違いについて少しクドいほど説明したのは、来たるべき自動翻訳全盛の時代に備えて、以上のような原則をしっかり認識しておくことは非常に重要だと私は考えるからである。

 そして自動翻訳ソフトを上手に使いこなすためには、意識の変革が必要である。

 たとえば、あなたがどこかのアメリカ人に宛てて英文のメールを送ることになり、パソコンの翻訳アプリに日本語を打ち込むことになったと想定していただきたい。

 内容は、「あなたの要求には応じられないと思う」という丁重な拒絶だとしよう。

 

 

 英語にあまり自信がなくとも、あるいはまったくの英語オンチでも、進化した自動翻訳ソフトを使えば誰でも立派な英文を作れるようになるのだが、ただ、「あなたの要求には応じられないと思います」という日本文をそのまま打ち込むのは得策ではない。

 まず、主語を入れるべきであり、「私は」や「我々は」、あるいは「わが社は」で文を始めるべきである。

 次に、英語では最初に否定するという慣行に従って、「私は思いません、あなたの要求に応じられるとは」という文章にしたほうが誤解を招かない。

 このような形で日本語を入力すれば、翻訳ソフトは I don’t think that I could accept your request. という自然な英文に変換してくれるはずである。

 

 

 日本人は、そこまで卑屈になる必要があるのか、という意見があるかもしれない。

 英米人が日本人とビジネスをしたいなら、彼らが日本語を勉強すべきだ、と考える人さえいるかもしれない。

 しかし、英語はすでにネット言語や世界の共通語として認知されており、その傾向はこれからますます強くなっていくので、言語の分野では世界の少数派でしかない我々日本人が英語圏の人々と会話したり文書のやり取りをしたりする時は、我々のほうから謙虚に歩み寄って日本語を English に近付けるのは理に適っているし、賢明なやり方である。

 

 

               ◆  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 

 

 

 おそらくどこの国の言語についても言えることだろうが、民衆が話す言葉というのは時代とともに変化していくものであり、日本語の場合は、150年前の明治時代と今では、人々が話す日常語はまったく違っているだろう。

 たくさんの言葉が死語や廃語になり、多くの新語や造語や新用法が生まれながら現在に至って、それは今後も続いていく。

 今から5年後か10年後、日本を訪れたり日本で暮らしたりする外国人の数が飛躍的に増えて、携帯通訳ツールを持つのが当たり前の社会になったら、その頃に、日本語そのものが少しずつ変わり始めるかもしれない。

 

 

 パソコンの自動翻訳ソフトにしても同じだが、携帯式通訳機器を介して外国人と話す場合でも、日本語では省かれることの多い主語や目的語を入れて話したほうが、意思の疎通がスムーズになる。

 たとえば「愛してる」ではなく、「僕は君を愛している」と言えば、通訳機は I love you. と正確に訳してくれる。

 このようなことは、通訳機や翻訳ソフトが普及するに連れて次第に常識として認識されるようになると思う。

 そして、それに伴って日本語が少しずつ変わっていくかもしれない。

 人々が話す日本語が、徐々に「英語化」していくのである。

 

 

 多くの日本人が通訳ツールや翻訳ソフトに慣れ親しんだ時、日本人同士で日本語を話す時でさえ、自分でも気づかないうちに主語を入れたり、語順が英語的になったりすることが考えられる。

 会社員同士で話している時、「部長は正直じゃないと思う」と言うところを、「僕は思わないな、部長が正直だとは」と言ってしまうわけである。

 英語では、 I don’t think the manager is honest. となる。

 このようなことが、つまり日本語の英語化であり、日本人の言語生活に訪れるかもしれない変化である。

 

 

 たとえばテレビのトークショーで、人気タレントやアイドルなどが、このような英語指向の日本語でしゃべったりすることが増えれば、流行や新奇なものに敏感な若者たちが真似をして、そのような話し方はまたたく間に日本中に広がり、やがてその若者たちが発する同調圧力が周囲に影響を及ぼし、年代に関係なく多くの日本人が英語チックというかスムーズに英語に変換されやすい日本語を話すようになるかもしれない。

 すぐにではないが、10年後か20年後あたりには、時代の流れに沿った言語文化の変化のひとつとして、そのようなトレンドが起こることもあり得るのではないかと思っている。

 

 

               ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 

 

 

 2カ月ぶりの記事の更新だったのでけっこうマジに書いてみたが、いつの間にかこんなに長ったらしい雑文になってしまった。

 ただ、久しぶりに真剣にキーボードで文章を打ちながら、それなりに充実した時間を過ごせたように感じている。

 文章そのものが充実しているかどうかはまったく自信がないが、ここまでお付き合いくださった皆様、ありがとうございます。

 あなたに素敵なことがありますように。

 

 

 繰り返すが ここに書いたことはあくまで私の予測であり予言に過ぎない。

 学習人口の激減によって起こる英会話産業の壊滅的な衰退と、日本語に現れるかもしれない変化、というのがこの記事の要旨ということになるが、実際はどうなっていくのか、先のことなどわからない。

 なるようになるだろう、ケセラセラ。

 そんなことより今は、この新コロの苦境というか泥沼から一日も早く世界が抜け出し、世の中に活気と余裕と自由が戻ってくれることを祈るばかりである。

 

(終り)