ブログネタ:花見した? 参加中
今日の午前中は、小型の台風を思わせるような強風が、私の町に吹き荒れた。
雨の日曜日になるかもしれないなと思いながら、空を見上げるためにガラス窓を開けたとき、かすかに赤みを帯びた小さな何かが、どこからか飛んできて、私の部屋の中へ入ってきた。
弱々しくひらひらと舞ったあと、それは床の上に静かに落ちた。
桜の花びらだった。
私の家の近くの公園に、数十本のソメイヨシノの樹があって、満開の時期には、毎年たくさんの人が花見に訪れる。
窓から入ってきたこの花びらは、その数十本のうちの一本から飛んできたのだろう。
単なる偶然で、私の前に落ちただけである。
しかし、そうではないかもしれなかった。
ただの思い過ごしだろうが、何かの意味を、または意思を、私はこの花びらに感じたような気がした。
この公園の桜は、二週間ほど前に一番の見頃を迎えていたが、今年に限って私は、それを眺めに行かなかった。
満開のちょうどその頃は、毎日のように小雨が降ったり、空がどんより曇っていたりしたからだ。
無数に美しく咲き誇る桜の花の背景に、悲しげなグレーは似合わない。
やはり桜のうしろには、四月の澄んだ青空を見たかった。
そんな勝手な理屈で花を観に行かなかった私に、この花びらは何かを言いたそうだった。
何かを訴えかけているような気がした。
なんとなく、そんな思いにとらわれてしまった。
「見頃は終わってしまったけど、まだ少しだけ花が残っているから、それを観に来てよ」
たぶん、床の上の花びらは、そう言っていた。
春だから、粋人を演じてみるのもいいだろう。
風の勢いもだいぶ弱まった午後に、私は公園へ出かけた。
遅ればせながら、花見を楽しんでみよう。
幹や枝を覆いつくすように咲いていたはずの花たちは、今やそのほとんどが土の上や草のすき間で枯れ始めている。
しかし、いまだに残っている花も少しだけあった。
あの一枚の花びらが言っていたとおりだった。
ウォーキングや犬の散歩をする人たちの姿はあったが、もはや盛りを過ぎてしまった桜を観るために、この公園を訪れる人はいないようだった。
一年のうちの、ほんの数日間だけの栄華は、もうそこにはなかった。
たとえば真夏の夜の花火大会が、ひと時の儚(はかな)い夢のような出来事なら、春先の桜も同じようなものだろう。
夢が消えてしまう前に、その場所へ行き、スペクタクルを目撃しなければならない。
ぽつりぽつりと残っていた花たちは、どこかしんみりしているように見えた。
私はそんな淋しげな花たちを、しばらく眺めてみた。
「ありがとう」
どこからか、そんな声が聞こえたような気がした。
こちらこそ、ありがとう。
たまには、こういう花見も悪くないよ。