コロナ禍とはいえ、所沢駅のグランエミオが大盛況で所沢が賑わっているのは大変喜ばしいのですね。

グランエミオでの買い物やランチのついでに、周辺の旧道も散歩してもらえるとうれしいですね。そんな思いで、学校新道のご紹介第2弾です。

 

前回は「早池峰」さんと、「食道園」さんのご紹介をしたので、

他のお店で、お世話になったエピソードを少しだけご紹介させてもらいたいます。

 

それが、昭和40年代~50年代の旧町所沢の生活の紹介です。

 

<天ぷら 椿>さん

 

 

自分の記録が正しければ、

このお店は当時(昭和40年代ごろ)、ひこうき新道の御幸町方面にあったと思います。

 

このお店では、イカ天丼の思い出です。いつもイカ天丼をたべてました。

 

自分の古い記憶にはいつも張り付いている母親が、イカ天丼が好きだったのと、

通常のエビをメインにした天丼よりも安かったせいだと思います。

強引にイカ天丼にさせられた記憶しか残ってませんが、おいしかったから許します。(^^)

 

 

その強引な母親が、最初にパートで働いたのが、この所沢フラワーさん。

 

<所沢フラワー>

 

このお店も以前は別の場所、ナショナルチェーン店が並ぶ、プロペ通りにあったのです。

プロペというようなしゃれた名前はついてなく、駅前通り個人店中心の時代です。

当時のご主人が、働いたことのない母親に仕事のおもしろさを教えてくれたことに、

感謝ですね。

 

高度成長、当時の共働きは珍しく、自分は“かぎっ子”と呼ばれ、どちらかというと

“かぎっ子 = かわいそう”

という文脈で語られることが多かったのです。

 

自分は、近所に友達も多く、おもしろい大人たちに囲まれ、

まったく寂しい思いはしてないのですが、

母親だけは悲劇のヒロインのような振る舞いでした。

 

母親イジリばかりでなく、自分の話も少しだけ紹介。

写真の本屋さんには、自分がお世話になりました。

<新盛堂書店>

 

自分の小学生時代は、おっちょこちょいだけど、おもしろい、

クラスではそんなポジションでした。

通信簿には毎回「明朗活発、落ち着きがない」と書かれていました。

 

その落ち着きのない僕は、毎年教科書を失くすのです。

教科書は普通の本屋さんでは売ってません。

そこで、この新盛堂さんに泣きつき、特別に取り寄せてもらっていました。

 

毎年のことなので、今だったら、●●症候群とか、診断されていたかもしれないですね。

そんな僕に、いつもあたたかく教科書を手配してくれたご主人ありがとうございました!

 

そんな、お世話になっていながら自分の贔屓の本屋さは別にあって、

それは、この本屋さん。

 

少し、長くなってしまったので、この続きはまた次回ということで。

 

旧町のお店ご紹介というより、自分や家族の思い出の記録になってますが、

まあ、その時代の“ところざわの空気感”を感じてもらえたらと思ってます。

 

次回は、我が家の最大タレント、ばあさんを登場させたいと思います。(^O^)/

 

とこなびスタッフ

フォローしてね…

 

<とこなび掲載希望店舗はこちらに>

https://tokorozawa-navi.com/contact.html

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 所沢情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログへ
にほんブログ村