親の権威 | 牛川とこオフィシャルブログ「傘をたためば」Powered by Ameba

親の権威

 

講座は3ヶ月くらいの期間でした。

 

まず。大人になって「学び」をすることは楽しみでもありました。

自己紹介から始まり、当時の私は6才になっちゃってもう遅い??

なんてことを思っていたのですが、んなことない!!!

一緒に学ぶメンバーの方達は年齢が様々で、そしてお子さんの年齢も様々。

学びを教えてくださる講師は、娘さんが中学、高校生くらいの頃にこの親業を学んだそうな。

それらを知ったら、「な〜んだ!!早いくらいじゃない。」と思い直しました。

 

 

あの頃。

気持ちとか心の動きとか心理とか、全くもってトンチンカンだった私。

幼い頃から青春時代まで、ずっと本来持ち合わせてる感覚だけで生きてきたから、一人称から二人称になった時の感覚(って言う言い方でいいの?)がだんだんと分からなくなってきたと言うか。

子供が我を通してきたり意見を通そうとした時、子供とぶつかった時に、親の私には引けない何かがあって。

この年齢になってくると自我もどんどんと出てくるので叱る、怒ることがどんどんと増えていったのでしょう。

何よりもこの頃の私は、「親の言うことを言い聞かせるのが当然」と思い込んでいました。いつの間にかそんな考え方に傾き始めていました。(傾き始めていた、と言うことは、、、この先もっともっとそれが強くなっていく時期があるんです。(><)うっ、私の暗黒時代)

 

 

 

そんな自分が講座を学び始めた最初の頃。

え・・・???

なんで・・・???

 

の連続。

痛い〜!!って泣く子に「痛いね。」

ムカつく!って言う子に「腹が立ってるんだ。」

って対応。それでいいの〜?!?!

って言うのが最初の感想でした。

 

 

他にも。

育児の中で親の権威は別にいらない、と言うこと。

大人の方が賢明なのだから、親は権威を持って子供を扱うのは当然と言うか至って普通のこと、と思ってきたので、え?なんで?でした。

「親に向かってその態度はなんだ!」

って場面は当たり前な時代に育ってきたし、少なくともそうやって育ってきたのでこれには最初驚きでした。

だから自分も当たり前のように、子供との関係は上下関係になっていたし、大人、親の言う方が正しいと言わんばかりの表現を頻繁にしていたと思います。

 

こうして驚きを一緒に共感しながらのスタートを数名のメンバーと感じ、少しづつ親子関係の学びを深めていきました。

 

 

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親の権威はいらない、なぜいらないのでしょう。

 

子供にとって親は大きな存在です。

体が大きくて強いだけでなく、知識や能力もずっと持っていて、子供から見れば親には知らないこと、出来ないことがないように思えます。子供がまだ幼く小さければ、親の言うことは全て正しいと思い込んでいます。

また、子供が必要とするものを親が持っていると言うことによって、親はまた違った種類の権力を持ちます。子供は基本的欲求を満足させるのに、親に依存しているので、親は子供に対し権力が持てます。

子供は栄養や身体的快適さなど自力では欲求を満足させる手段がありません。手段は親が所有しコントロールするのです。

このような形は違和感もなく至って普通のこことして親子関係に存在しています。

ですが、この権威こそが必要ないのです。

(これは個々の考え方の違いがあるので、勘違いのないよう言うとするなら、なくてもいい、ですね。必要があるかないかを選ぶのは自分が決めることになります。)

 

子供が成長をしていくと、外からの刺激や影響を受けるようになり、体も大きくなっていきます。すると言うことなすこと変化をしていき、全て正解だと思いっていた親の言葉に疑問を持ったり反発心が芽生える事だってあります。親への依存も減っていきます。

すると小さな頃にはコントロールできていたものも、だんだんと出来なくなります。

青年期に近づくにつれ、子供は親からでなく自分自身の活動で賞を受けられたり褒められたりするし、親の罰を避けられる方法を身につけたりもするようになります。すると、突然親の権威が失落してくるようになるのです。

 

 

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こうして当たり前の考えがそうではなかった、と知ったものの。自分の常識を変えることはなかなか難しく、また、この頃(子供6歳の頃)は経験も少ないせいか、文章の意味は理解できても、まだまだちっとも実践に到達するなんてことはありませんでした。

文章を読んでも流し読み、だったと思います。