不妊治療 8 | 牛川とこオフィシャルブログ「傘をたためば」Powered by Ameba

不妊治療 8

この記事は子を授かるまでの、過去の経験を書き綴っています。


初めてご覧頂く方は、テーマ「遠回りの道 」1~7から、
そして「子を授かるために 」1~5の順番で読んで頂けたらと思います。






4回目の人工授精を行う前の期間。
決して綺麗な時の流れではありませんでした。
落ち込みは思ったよりも大きくなかった・・・
と前記事で書いたと思いますが、大きく大きく落ち込んではいました。

思ったよりも大きくなかった・・・
あくまでも思ったよりか、はなんですね。



3回目もダメだったことや友達の妊娠報告、
増してく一方の不安感とか。
勿論、心はゆらゆらと彷徨うように揺れ動いていました。




そんな私の心ですが、
一人でいる時は結構プラス思考の時が多くて。
ダメだった事は過ぎた事。それよりも次どうしようかとか、どうしたほうがいいのか、
とか期待に向かう気持ちも大きかった。

人と会う時、親兄弟と会う時も滅多に泣くことはなかった。

励まされるたび頑張るぞ!って思ったりもしていた。

先生 とはいつも笑って話していた。



でも、友達M の前ではどうしてもだめだったんですね。

この3回目がダメだった数日後、Mの家に泊まりに行きました。

ダメだったんだから飲むか~~~!!
って、一緒にお酒を飲みました。
私にとったらやけ酒のようなものです。

いつもの様に大笑いして飲んでいたのですが、酔いがかなり回ってしまったみたいで。
ふっと悲しい気持ちが湧きあがり、
「またダメだったよ。これからどうしよう・・・。
いつまで頑張ったらいいのかわからないよ。」
と言いながら泣いてしまったんですね。


悲しみって言葉にすると涙に変わっていくから、
その一言を発した途端に涙が溢れてきてしまいました。



結婚する前に妊娠、という経験をしたMは、
「形が全く違う私には、とこの気持ちはわかってあげられない。それが悔しいし切ないよ。」
とよく言っていたから、
甘えながらも出来る限りは泣かない様にしていたのに。
やっぱり我慢出来なかったんですね。
本当に私は弱い人間です。


一粒出たら止まらなくなってしまい、今まで我慢していた涙を溜めてたかのようにぽろぽろと泣きだし、
途中からしゃくり上げるように、息がとまるほど泣いていました。
20年以上の付き合いでも、こんなにも泣く私の姿を見たのは初めてだったMはとても驚いた様子でした。
私の扱い方はお手のものなのに、どう扱っていいのかわからず躊躇している様子でした。




そんな私を見て、ぎゅっと抱きしめて頭をずっと撫でてくれて。
そして彼女は言ったんです。
「現実的じゃないかもしれないけど。
 私さ、いつでもお腹貸すからね。
 あんたのためなら貸せるし、むしろ出来るならそうしたいよ。」


母親が娘のために代理出産をしたニュースが流れていたことがありましたが、
彼女はそれと同じような事を言いだしたんです。

日本では原則として禁止されているし他人の私達。
とうてい無理な話だし非現実的すぎる。

でもそんなことはどうでもよくて、私は彼女の気持ちが凄く嬉しくて、
大袈裟でもそんなふうに言ってくれた事が本当に嬉しくて、
余計に涙が止まらなくなってしまいました。




抱きしめてもらいながら、ありがとうという感謝の気持ちと同時に、
いつか私に授かることができたらMにはどうやって報告しようかな、
こんなに想ってくれてるから私以上に泣いちゃうかも、
早く報告してみたいな~、
とかあらゆる妄想。
泣きながらも、幸せな妄想もしていました。







それと同時に。
Mからの言葉で出てきた「代理出産」。
勿論私はニュースで流れていた時、真剣に見入っていましたし、
このままずっと授からなかったら、記者会見をされてた医師のいる病院へ行きたいってなるかもしれない、、、
そんな事も頭をよぎりました。


実はネットで調べたこともあります。
距離的に遠くて簡単に通える距離ではなかった。
でもこの頃の私には、距離なんて関係ありませんでした。

一番最初に検診から通う事になった近所の産婦人科。
あの頃は通院がとても面倒臭くて、長い待ち時間も退屈で仕方なかったし、
二番目に通院した病院も、評判の他に通いやすいという距離感で選んだりもしましたが、
もう距離へのこだわりなんてものはとうに無くなっていました。


「代理出産」というものは私にとっては遠い遠い世界ですが、
先の見えぬ不安に押し潰されそうになったら、いつかこの遠い病院へ通う時があるかもしれない・・・
そう思った時も少しありました。


「いつか」とういう未知数に気が遠くなりそうになる瞬間もありました。



それほどにあらゆるパターンとかあらゆる方法を悩み考える時期でもあったんです。
苦悩の時期といいますか。
大袈裟すぎるほどに大袈裟にあれこれ考えてしまう瞬間もありましたね。




そういったことも少し、ほんの少し考え込む時を経ながら、
2度目の卵管造影検査を受ける日がきました。

あのとても辛かった検査が蘇りながらドキドキして検査順番を待ちます。
そこの病院では、まとめて数人の予約を入れているようで、
ざっと10人ほどの人が待つ部屋で待機していました。
待機中に隣の方とお話をしたんですが、その方はここの病院で2度目の検査。
「ここの先生は凄く上手だよ」との経験者の方からの言葉を聞いてほっとする私。



本当だ、これなら余裕で耐えられる!



検査中そんなふうに思えるほどに、以前の痛みとは随分違いました。
検査結果はやはり問題無し。
一度検査済みだったけど、あくまでも安心を買うために一応したので、
これでまたゴールデン期間突入になり妊娠しやすくなれば良いな!!
そう思っていました。

医師からも、「この検査後は妊娠しやすいですからね」
との言葉。

2度目ですからわかってますよ~、1度目は空振りだったんですけどね~、
って心の中でボソッとつぶやいてました。





・・・ですが、私には違う問題がありました。
この通院中、数か月かけてフーナーテストというものを数回したのですが、
毎回検査にひっかかっていました。


「ちょっと妊娠しにくいのかもしれないですね」
と言われてしまったんですね。


初めて検査でひっかかった。

じゃあこの原因を取り払うには??
との疑問に医師は、
「フーナーでひっかかった人こそ、人工授精をする意味があるんですよ。」
という回答だったので、
それならいいんだ、とほっとしました。
今すでに人工授精を始めていて、もう深いこと追求してても仕方ないし、
医師がそう言うならいいんだ、と心を静めました。


でも、、、
心のどこかで、この検査にひっかかった事は残っていました。






もう4回目への挑戦になりますから。
久しぶりにどっと涙があふれ号泣したり、弱気になったり、
念のための検査をしたり。

涙も時間もお金も、本当にあらゆるものを不妊治療へ費やすようになりました。
それを苦とは思っていなかったんですけどね。

いくら費やそうとも、犠牲にしようとも、授かりたい。
費やしていける限りは、「授かりたい」という強い強い気持ちだけで突き進んでいました。









治療のことより心情的なことを多く書き綴ってしまいましたが、
ここまでくると、日々心の均衡を保つのが大変で、気持ちの問題のほうが多くなってたので、
自ずと書く内容も心のことが増えてしまうんです。



そんな私が言うのも何ですが。。。


自民党・野田聖子さんのご懐妊のニュースは記憶に新しいですよね。
どんな形をとったにしろ、49歳という年齢での妊娠報告。
これは不妊治療をされている方の大きな大きな希望の星ではないかと思います。
「子を授かりたい」という諦めない強い信念があったからですよね。
野田聖子さんのご苦労に比べたら私なんてちっぽけなものではありますが、
悩んでいる時の気持ちは一緒です。


人工授精で妊娠できやすい回数は6回まで?
いや、20回目で出来た人だっているんだから!
とか、
この年齢で授かったんだ!
とか、
なかなか出来ない中授かった方や、不妊治療で授かった方々の記事やニュースを見ては、
とてもとても励まされていました。



ですから、もしも不妊治療をされている方でこの私のブログを読んで下さっている方がいるなら、
授かりたいという想いがある間は諦めないで欲しいなって伝えたい。
心が落ち込んで凹む時があっても、ゆっくりと、また前を見て欲しい。


希望の星はいっぱい転がっています。
そんな希望の星のひとつに私もなれていればいいのですが。。。
それらを見て、進みながら、頑張る自分をいっぱい労り誉めてあげてくださいね。


いつか諦める時が来るのかな~って考える時、私はありましたが、
諦める時期があるのならば、そのうち、いつか自分で答えを出す時が来るだろうし、
その時はその時でまたゆっくり考えようって。
それまでは、願う間はとにかく諦めないって決めていました。




長い人生の中で、夢中になったり、目標に向かい一生懸命頑張れる時って、そう簡単にはないですからね。
頻繁に訪れるものではないないですよね。
大きい目標があるってとても幸せなのかもしれません。







伝えたい気持ちがいっぱりありすぎて上手くまとめられていませんが、、、

とにかく私は弱い人間です。
この弱い私が、辛い不妊治療を頑張れたので、
治療されている皆様はきっと大丈夫です。
私より弱い人ってなかなかいませんからね(笑)





さて、治療の方ですが、卵管造影検査も終え4回目の人工授精をすることに決めました。
4回目をむかえるにあたって、また次もダメだったらどうしようかといった焦りは
この先大きく大きく膨らんでいくのです。