不妊治療 7 | 牛川とこオフィシャルブログ「傘をたためば」Powered by Ameba

不妊治療 7



この記事は子を授かるまでの、過去の経験を書き綴っています。


初めてご覧頂く方は、テーマ「遠回りの道」1~7のこちら
から、

そして「子を授かるために
」1~5の順番で読んで頂けたらと思います。








3回目の人工授精をした翌日、下腹部が少し痛くて、

これは排卵したのかな・・・

と体で感じていました。


今までは、不妊治療を始めるまでは、

私は恥ずかしながら、女性の体のしくみや妊娠までの過程を

詳しく知ることなく過ごしていました。


こうして、妊娠を意識するようになったり、治療に向き合うようになって、

やっと得た知識が山ほどありました。


ですから、排卵の時期に下腹部が痛いと意識して体と向き合うことも、

ここにきて初めての経験で、

この頃の私にとっては、嬉しい痛みでもありました。










もう3度目ですからね。

この待つ期間もホントに普通~に過ごしていたんですけど、

大好きなお風呂屋さんに行ってアカスリをしたり、

ほぼ初めてであります、ゴルフの打ちっぱなしにも行ってみました。

何度振っても空振りばかりですが、笑っていられる、集中できる時間があるだけでも

大きな気分転換でした。




生理がきてしまうかどうかと待つ期間は、だいたい約2週間、日にすると14日間ぐらいです。

体温はまずまずの高温。

この高温よ、ずっと続いてくれ!

なんて思っていました。

高くなれ高くなれって、いつまでも体温計をくわえたりもして(笑)










今までの記事にも書いたように、友達のところへ行ったり、友達が泊まりにきてくれ

たり。

そんな日々だったんですが、この時は母が小さな甥っ子を連れて泊りに来てくれました。

甥っ子を遊園地へ連れていったんですけどね、

「私もいつか、わが子とここに来るぞ!」って思いながら眺めた観覧車からの景色。

今でも焼き付いています。




そして、夜に母とお酒を飲みながら話してた時、

「あなたの親なのに、何もしてあげられなくてごめんね。」

と俯きがちに言ったんですね。




母はとても気が強く気丈で、何に対しても大丈夫!大丈夫!が口癖。


大丈夫じゃないだろ?!?!って事でも大丈夫!

涙もろくはあるんですけどね。




そんな人ですから、今までのどんな事でも、

大丈夫よ

めそめそするな

前を見なさい

元気なら生きていける




と、悩んだりつまずいてる家族や、周りの人たちにも、

こんなふうに助言するタイプです。

そんな母から言われたこの一言が、ありがたかったけど苦しかった。


今まではずっと

「大丈夫よ!心配しなくても出来るときは出来るから!

いつか叶うんだって信じるの!!」


と言うだけであれこれ聞いてもこなかったのに。

いつも強気な人にこんなセリフを言わせちゃった。

誰よりも、血の繋がる母が一番気にかけてくれているんだな。

申し訳ない、本当に申し訳ない・・・。


って色々な思いがこみ上げて、涙が溢れだしました。




そして、そこで母に約束したんです。

もうこの事で泣くのはやめる。

次に母の前で泣くのはおめでとうの時だ。

ということを。
















そう決心してから数日後。

また残念なことに、予定通り、ぴったりに生理がきてしまいました。




3回目だから前回より期待も大きかったんですが、落ち込みがあまり無くて、

心は元気でした。

楽しいことが色々と続いていたからかもしれません。

母からの言葉もあったからかもしれません。




でも次はもう4回目になる、

いつまで続けたらいいのだろう、、、

そういった漠然とした不安感は大きくなっていきました。

自分の体を疎ましくも思いました。










この3回目がダメだとわかってからすぐでした。

以前記事
に書いた地元の友達と、集まる予定が入っていました。


約束の数日前に、キャンセルのメール。

体調が良くないので日を延ばして欲しいということでした。

大丈夫?

じゃあ翌週にしようか?!

といった内容を返信すると、すぐに長い返事が。






読むと、彼女はなんとおめでたとなり妊娠2カ月に入ったそう。

つわりが酷いので、来週ではなくもっと先にして欲しいという事でした。

そして、妊娠したことは、直接会った時に伝えたかったから、最初のメールでは理由を書かなかった、

という事が書かれていました。




最初目にした時、正直言うとおめでとう~!!なんて手放しで喜べる気持ちではありませんでした。

過去、友達の妊娠報告は何度もあったけれど、

その時のように、大声でおめでとう~!なんて笑って言える心境ではありませんでした。


複雑でした。

何に一番複雑か・・・それは、人のおめでたい事に、心から喜べない自分の心が見えた時。とても複雑でした。

一緒に頑張ろうねって励ましあったくせに、ひがんでる、、、

ってわかってはいるんです。

わかっていても心は複雑だったから、すぐに返事を書く文字が出てこない。文章が浮かばないんです。




それから数時間、気持ちも少しづつ落ち着いてきて、色々なこと、色々な角度から考えてみました。

相手の立場に立っても考えてみたんです。

そこでひとつ気がついたんですね。

彼女が妊娠に気がついてから、私への報告の仕方を少なからず悩んだんだろうなって。

周りの人への報告と同じようには出来ない、いつ、どんなタイミングで、どんな顔して報告しようか、

って。


もちろん全てが綺麗さっぱりになったわけではなかったですが、今の自分の出来る範囲でおめでとうの返事をしました。

今思えば、きっと硬い文章だったと思います。








彼女の報告から1ヶ月以上経ってからになりますが、この当時の話、心境も、後になって彼女には全て話したんです。

すると、

「自分の悪い心まで何でも話しちゃうとこが私は好きだよ。

そんなトコの子供になれる子は幸せだし、絶対に授かるから!!」

って言ってくれたんですね。

嬉しかったな~、もの凄く。




実はね、あの時悔しかった気持ちもあってね・・・そんなふうに思っちゃってごめんね・・・

なんて馬鹿正直に話してるのに、そんな私を好きだと言って励ましてくれた。

この時もまた、長く続く友達関係の深さとかありがたみとか、大切さを実感しました。






不妊治療をしていなければ、こうして気がつかなかった事、起らなかった出来事もいっぱいあったと思います。

ですから不妊治療という壁は、私にとっては大切なこととか、幸せなこととかも、

沢山教えてくれたものでもありました。
















さて・・・4回目はどうしようか。

と悩む気持ちは一瞬。

何回まですればいいのだろう、という気持ちは出始めていましたが、

続ける決心でいました。






と同時に、私の中での提案がありました。


初めて卵管造影検査をしてから半年は経っていたので、またしてみようかなと思っていたんですね。

一度検査をして問題が無かったのならもういいのでは?

そう言われそうですが、病院を変えてから受けたことがなかったですし、

ここの病院の医師の卵管造影検査がやたらと評判が高かったんです。

ほとんど痛みが無く終わると、あちこちでの高評価を目にしたので思いついたんです。




早速医師に、次回の人工授精をする前に卵管造影検査をして欲しいとお願いしました。

思い立ったらすぐ!!

これが私のモットーですから。単にせっかちってだけかもしれませんが(笑)






それから、以前指示を受けた
旅行計画。

地図を見ながら細かな方角を調べ、方角の中で目指す行きたい場所を考えました。

告げられた時期はまだだったので、本を買ってきてはどこへ行こうかと悩んだり

すること、それはそれで楽しいひとときでもありました。