娘たち「おじさん、越後よ・・越後、なのよ・・・」

忠治「越後か・・雪深ぇところだなぁ・・・」

 

 

昨年突如現れたコロナという化け物に、世界中が振り回されつづけたこの一年。

勢いがまだまだおさまらぬ中、世間は年度末を迎えようとしています。

 


梅田呉服座にて公演中の、浅井グループ・たつみ演劇BOX二座合同公演、

千秋楽前の最後の日曜日に

「旅の末路」が上演されました。

 

筋はこんな感じ。

(【】内は配役。昼夜役代わりの場合は/にて表記)

 

とある村にやってきた、一人前のやくざを夢見る若い旅人、流れの富蔵【ライト/大空海】。

土地のおこも(乞食)連中に囲まれて難癖をつけられている侠客【たつみ】に出会い、助太刀する。

侠客は「浅次郎」と名乗り、富蔵の心意気を買って

もし自分が探している国定忠治を斬ってくれたら、一人前のやくざにしてやると持ちかける。

忠治は一年前に捕まって処刑されたはずなのに・・と不審に思いつつも、承知する富蔵。

そこに現れた、ボロボロな乞食姿の忠治【正二郎】。

逃げのび落ちぶれ果てた忠治を眼にした浅次郎は、積年の怒りと恨みを忠治にぶつける。

実は浅次郎はかつての忠治の子分・板割の浅太郎であった・・・

 

多くの芝居で名親分として謳われたあの忠治が、乞食としてひっそり生き延びていた・・という

非常に苦い味わいの芝居。

小泉のぼる先生が大変得意としておられた、と聞きます。

 

この芝居を初めて看たのは5年前の5月、山梨のスパランド内藤というセンター。

まだ浅井劇団と合同になる前の逢春座で、

忠治役は当時助っ人にきていた神楽良さん、

そして侠客(この時は「日光の円蔵」)は正二郎座長でした。(※注1)
 

とにかく、正二郎座長演じる円蔵の眼光の鋭さ、忠治へ向ける怒りの迫力がすさまじく

本当に舞台で忠治を斬るのではないか!?と客席でハラハラしてしまった事、

そしてラストのなんともいえないほろ苦さが、強烈に印象に残っています。

大衆演劇的なメデタシメデタシ、ではなく、誰かが死んで幕、でもなく

まるで70年代のニューシネマやドラマのような、無常感ただよう幕切れ。

おそらくあまり一般受けはしにくい芝居だと思うのですが

二年前の京橋での三座合同公演の時も、この芝居が上演され

(円蔵=金沢つよし座長、忠治=浅井正二郎座長)

のぼる會にとって大切なお芝居のひとつであろう事がうかがえます。

 

そして今回。

たつみ浅太郎&正二郎忠治の組合わせで演じるのは、なんと約10年ぶりとの事。

驚いたのは忠治。

昼と夜で演技をかなり変えていました。

 

昼の部ではほぼ従来通りの、落ちぶれながらもまだわずかにプライドを残している忠治、

という感じでしたが

夜の部ではグッと老けた姿に変え、もはややくざとしてのプライドより親分の意地より、

ただただ「生きのびてやる」という執念が、目をギラギラと輝かせている・・・

そんな忠治でした。

 

一番印象的だったのは、浅太郎に「小松五郎義兼(忠治の持っていた名刀)はどうした」

と聞かれ

「十日前に・・食い物と替えた・・」

と答える場面。

やくざにとって命である刀(しかも名刀)を、食べるために手放した。

ある意味、プライドを捨てた印ともいえる行為。

 

昼の部では、浅太郎から目をそらし、うつむいて恥じ入るように答えていたけれど

夜の部では、浅太郎をじっと見据えたまま、堂々と答える忠治。

 

浅太郎が投げた小判を拾って頭を下げるか、それとも斬られるか、というくだりも

昼の忠治は、親分としての誇りを取るか命をとるか、激しいせめぎあいの上に

ギリギリのところで命を選んだ・・という苦悩がにじんでいたけれど、

夜の忠治は、せめぎあいの後に

「ああ、頭下げてやるよ。下げてやろうじゃねえか」というような、

生へのひたすら強烈な執念がギラつく眼。

 

そして夜の最後、助けてくれた旅役者の娘たち(次の巡業先は越後)の

「おじさん、越後よ・・越後、なのよ・・・」という言葉に

「越後か・・雪深ぇところだなぁ・・・」とつぶやき、

娘たちの支える手をさっと振り払って、花道へひとり歩いていく。

そして、地面をガッ!と踏みしめ、前方をカッと鋭くにらみ、

まるで六方を踏むかのように力強くダンダンダーン!と去ってゆく姿は

国定忠治、という男の最後の精一杯の見得のようでもあり

俺はこのままでは終わらん、

この世で何としても生きのびてやる!という宣言のようでもあり・・

それは絵に描いたようなかっこよさではないけれど、

その強烈な姿は、しっかりと心に焼き付いて忘れられない光景となりました。

 

私自身もここ数ヶ月、実生活でいささかきつい逆境を迎え

自分がこの世で必要とされぬ存在になったように感じてしまい、

つい「死」が何度も頭にちらついたり

もう今までみたいに気楽に舞台を楽しめる立場ではなくなったんだな、と思った事も。

 

しかし、21日の三回忌追善を観て

人間誰しも、形や重さは違えど、人には言えぬつらさをじっと抱え

それでもニッコリ笑って舞台(社会)で生きているのかもしれないな、と感じ、

また28日の「旅の末路」を観て

老いておちぶれ、孤独な存在になったとき

それでも生きていくために、どう自分をふるい立たせるか、

何を捨てて、何を選ぶのか。

 

決して舞台が魔法のような答えをくれるわけではないけれど、

舞台に自分を重ね合わせて観ているうち

 

「それでも生きていこう」

 

という気持に、ちょっとなれた気がしました。

 


それでも、それでも生きていく。


 

しばらくの間は遠征観劇とはお別れの生活になりそうですが、

またいつか、観られる日が来ると信じて。

 

一ヶ月間の合同公演、本当にお疲れ様でした。

素晴らしい舞台をありがとうございました。

 

 

旅の末路の後、ショーで「山河」を踊る正二郎総責任者。

心の奥を射るような、強い目の輝きが忘れられません。



21日、三回忌公演のラスト「炎」

浅井一族の皆さんで。


 

21日追加ショーの終演後。
雷三さんの顔入り羽織を着た姿で記念撮影。

22日ロング公演の終演後の撮影。

無事に終わって皆さんホッとした表情。

 

 またいつか、合同公演が観られるのを楽しみにしております!!

 

 

※注1 この芝居の主役である侠客役は、本来は「日光の円蔵」ですが

たつみ座長の場合は忠治との年齢差がある為、より若い侠客「板割の浅太郎」に変えて演じているとの事です。