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あれほど他害があった高IQ娘

いつからか手どころか口を出すことも

滅多にしなくなり

交友関係を(何となく)

構築できるようになったのは

つい最近のことです。

 

 

 

 

 

相性の悪かった習字の先生のことも

字の上達につながるようになったのもあり

嫌がることなく登校するようになり

 

娘をあからさまにグレー扱いしてきた

塾のK先生とも仲良くなったようで

通塾の度に面白トークを

聞かせてくれるようになりました。

 

母の私は変わらずコミュ弱ですが

その私を反面教師に

娘は着実に成長しているようです

ニコニコグッ

 

 

 

 

 

娘の交友関係や

トラブルがあった際に

私が意識して心がけていることが

ひとつあります。

 

 

 

 

それは

 

 

母(私)の意見を伝えないこと

 

 

 

 

 

定型ママと話したときの違和感 

 

とある定型ママ(女の子)と話していた時のことです。

 

定型ママの娘さんの幼馴染でずっと仲良くしてきた女の子が、4年になって急に変わってしまい、あれやこれやと持ち物などを娘さんに自慢するようになったそうです。

 

実際、その幼馴染の子のおうちはその子が言うほどセレブ層でもなく、持ち物も高級なものではないそうで、急に変わってしまったそのお子さんに対して定型ママ親子は戸惑いがあるようでした。

 

そして最後に定型ママはこう言ったのです。

 

仲良くしてきたのに残念だけど…

でもそういう意地悪な子とは付き合わないほうがいいよって言ったのよね

 

 

ここで私は疑問を抱きました。

 

1)その子はなぜ自慢をするようになったのか?

2)家庭環境や抱えるストレスなどに変化があったのか?

3)定型ママの子はその子に対して何か言ったことはないか?

4)その子は本当に「意地悪な子」なのだろうか?

5)「意地悪な子」と仮定して、定型ママの子は100%被害者なのか?

 

ということです。

 

 

 

 

(自称)定型ママと話した時の違和感 

 

とあることで、娘と(自称)定型ママと長いラインを交わしたことがありました。

 

うちの娘の言い分と、(自称)定型ママのお子さんの言い分が対極線にあり、私がいくつか質問したところ

 

それはtoknowさんの娘ちゃんの言っていることだよね?

うちの子はそんなこと言っていないって言ってるし、思ったこともないって言ってるよ?

 

 

ここで私はこう思いました。

 

1)わが子と私は定型と診断ついているけれど、彼女は私たちが発達凸凹だと思っている。

2)私たちは定型と診断ついているけれど、認知のゆがみは必ずある。

3)彼女は自身を定型と思っているけれど、もしかしたらそうではないかもしれない可能性は考えていない。

4)となれば、どちらの言い分が正しいかどうかは関係ない。

5)そもそも人間関係に於いて相互理解は不可能である。

 

※発達凸凹<定型という話ではありません。

 

 

 

 

自分が見えているものを話すとバイアスが入る 

 

良いか悪いかでなく、だれもが自分の見え方で話しています。

 

リンゴでさえも、色覚異常があれば同じ色には見えませんし、嗅覚過敏があれば同じ濃度の匂いではなく、触感を好む人もいればそうでない人もいる訳です。

 

ある時から、私は自分の見え方を娘に伝えるのを意図的に止めるようにしました。

 

なぜなら

 

 

 

私の見え方・受け取り方には

私のバイアスがある。

 

それを伝えることが娘にとって

良いことかどうかは分からない。

 

「そこにあるもの」の見え方が

人によって異なるのであれば、

どう見えるかを決めるのは

娘自身であるべきだ。

 

 

と思ったからです。

 

娘の周囲で発生する多くの出来事は娘にとって「初めての経験」であることが多いでしょう。

 

子どもが初めての経験をした際に、親が自分の感想を伝えることのメリットはあるのでしょうか?

私はあまりないと思います。

 

 

 

 

手を放して目を離さず…そして口は出さない 

 

 

「子育て四訓」という深い言葉があります。

1、乳児はしっかり肌を離すな
2、幼児は肌を離せ、手を離すな
3、少年は手を離せ、目を離すな
4、青年は目を離せ、心を離すな

 

4年生になった今、私がすごく心がけていることがこの3番です。

 

親が過干渉だったので自分も過干渉であるという大前提をもとに、なるべく手を放すよう心掛けるようになりました。

また、娘からネガティブなことを聞かされた時は否定せず(なるべく)

 

 

「あなた」はそう思うんだね。

それは分かったよ、~だったね。

 

でももしかしたら~こういう可能性もあるし、~だったかもしれないね。

 

(まあ知らんけどwww)

 

で終わりとしています。

 

ここで私が「私の意見」を言うのは簡単なことですが、そのバイアスを結論としてしまうと子供が考えるのを止めて「親がこう言ってるからこうなんだ」となってしまうのではないでしょうか。

 

子どもの人生は子どものものです。

そして、親とはまた別の人間で、親とは違う解決法を見つけることもあります。

 

親の介入が必要だと親は「まだ」思っているかもしれませんが、もうその時期は過ぎたのかもしれない。

親が介入することでなく、子供が自分で解決できるようになってほしい…と最近思うようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

育児は育自

 

私は私の人生を楽しみ

子どもにも子どもの人生を

理不尽なこと

傷つくこともまるっと含めて

楽しんでほしいなと思います

ニコニコグッ

 

 

 

 

 

 

 

 

✳️あっ!

心がけているという話であり

実際できています!という話ではありません

笑い泣き

 

あと発達特性ありなしでどちらが正しいとか

そういう話でもありません!