スティーブ・ジョブス氏の05年の米スタンフォード大学卒業式でのスピーチから②~(^^)♪
おはようございやす(^^)♪昨夜は、映画『三銃士』の試写会を見てきました。
飽きさせない展開と迫ってくる3D映像で、かなり興奮してしまいましたが…
この方の↓ジェットコースター並みの波瀾万丈人生……
全然、負けていません!!
それではスピーチ①からのつづきです!!
どうぞ。
『2つ目は、愛と敗北についての話です。
自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。
実家の車庫で、ウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。
私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。
私たちは、最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。
自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こう言うことなんです。
アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い、最初の1年はうまくいっていました。
しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。
取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。
まさに、社会的に追放された感じでした。
私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。
数ヶ月は、本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。
自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。
私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会い、ひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。
まさに社会的脱落者となり、シリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。
しかし、自分がやってきたことを、まだ愛していることに少しづつ気づきました。
アップルの退任劇があっても、私の気持ちは全く変わらなかったのです。
私は会社で否定されても、私はまだ好きだったのです。
だから、もう一度やり直すことに決めたのです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ…、と言うことが分かってきました。
成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。
あらゆるものに確信はもてなくなりましたが…。
おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることが出来たのです。
その後の5年間に、私はネクストと言う会社と、ピクサーと言う会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。
ピクサーは、世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。
今、世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され、私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は、現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。
さらには、ロレーヌと私は、素晴らしい家庭を一緒に築いています。
ここで確かなのは、私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったと言うことです。
それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。
人生には頭をレンガで殴られる時があります。
しかし、信念を失わないこと。
私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからと言うことに他なりません。
君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。
それは仕事でも恋愛でも同じこと。
これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。
さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。
もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。
心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事と言うのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。
だから探し続けること。
落ち着いてはいけない。』
③へ555~♪
飽きさせない展開と迫ってくる3D映像で、かなり興奮してしまいましたが…
この方の↓ジェットコースター並みの波瀾万丈人生……
全然、負けていません!!
それではスピーチ①からのつづきです!!
どうぞ。
『2つ目は、愛と敗北についての話です。
自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。
実家の車庫で、ウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。
私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。
私たちは、最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。
自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こう言うことなんです。
アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い、最初の1年はうまくいっていました。
しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。
取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。
まさに、社会的に追放された感じでした。
私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。
数ヶ月は、本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。
自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。
私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会い、ひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。
まさに社会的脱落者となり、シリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。
しかし、自分がやってきたことを、まだ愛していることに少しづつ気づきました。
アップルの退任劇があっても、私の気持ちは全く変わらなかったのです。
私は会社で否定されても、私はまだ好きだったのです。
だから、もう一度やり直すことに決めたのです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ…、と言うことが分かってきました。
成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。
あらゆるものに確信はもてなくなりましたが…。
おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることが出来たのです。
その後の5年間に、私はネクストと言う会社と、ピクサーと言う会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。
ピクサーは、世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。
今、世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され、私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は、現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。
さらには、ロレーヌと私は、素晴らしい家庭を一緒に築いています。
ここで確かなのは、私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったと言うことです。
それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。
人生には頭をレンガで殴られる時があります。
しかし、信念を失わないこと。
私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからと言うことに他なりません。
君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。
それは仕事でも恋愛でも同じこと。
これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。
さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。
もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。
心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事と言うのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。
だから探し続けること。
落ち着いてはいけない。』
③へ555~♪