元カレのつとむくんが死んだ。

 

聖書の教理では、良い人は命への復活へ、悪い人は永遠の眠りという罰がある。

つとむくんは、馬鹿正直で、優しくて、正直、私にはもったいない彼氏だった。

泣けば泣き止むまであやしてくれて涙を拭いてくれた。

 

「大好き!」と言えばハグしてくれた。

 

精力は留まるところを知らず、「私ってつとむくんのダッチワイフなの!?」と、真面目に泣きながらつとむくんを詰問したこともあったし、テルミさんや姉ふたりに搾取されながらでも、結局つとむくんのおかげで頑張って、此処まで頑張ってきた感があるので。「どうだ!つとむくんなしで私は生きられるんだから!」と、いつか再会したら胸を張って言って見せたかった。

 

もう、それも、できない。

楽園待ちだね。

まあ、その時一緒になるのは、忘れ形見を産んだ奥さんなんだけど(笑)

 

そう、昨日、いきなり昔のアドレス帳を見つけて、つとむくんの実家の番号を見つけた。

つとむくんの家族は愛すべき家族だったし、健全な家族生活をいっぱい体感させてもらった。

指はためらいなく、アドレス帳の番号を押した。

 

「Hさんのお宅でお間違いないでしょうか?」

「え、ええ、はい、どちら様でしょう?」

「ワタクシ、20年ほど前にお世話になっていた○○ ○○(←本名フルネーム。)です。」

「え?え、え?○○ちゃん!?」

「はい、おかあさん。おひさしぶりです。ご無沙汰してます。」

「まぁ~、本当にひさしぶりやね~。元気なの?」

「体調不良で休職してますけど、それ以外は元気です…そちらの皆さんは?」

「それがね、つとむが死んだの。」

「え?」

「亡くなったの、つとむ。」

「え、それは、なんで?」

「脳幹が機能しなくなる病気にかかってね。」

脳幹と言えば全身の生命活動をつかさどる脳の中央部だ。

其処が病気を罹患する=死、というのは当たり前だが、なんで?

と言ってもおかあさんを辛くさせるだけなので、そうなんですか、とだけ言った。

誰も止めることができなかった死。

誰も責められない死。

私はまだ実感が湧かないが、でも付き添う家族の無力感を思うと胸が痛む。

「あのねぇ、○○ちゃん、つとむは結婚しててね、子供もいるの。」

「男の子ですか、女の子ですか?」

「男の子。」

「うわぁ、忘れ形見だ。えっと、他の皆さんはお元気なんですよね?」

「ええ、本当にそれだけが救い。」

「ですよね…。」

「ちょっと替わるわね。タケル~!○○ちゃん!」

「え?○○さん?…もしもし?」

「もしもし、タケチン?」

「うわあ、本当に○○さんだ!」

「めっちゃひさしぶりやね~!」

「本当に。何年ぶりだ?」

「私がつとむくんと別れたのが私が25歳の時で、その私が45歳だから20年ぶり?」

「本当に"おひさしぶり"や!(笑)」
たくさん話した。つとむくんの事以外でも盛り上がった。

 

「みんなに会いたいなぁ。そのうちお邪魔していい?」

「そらもう!待ってます!」

「じゃあ、近々、また連絡するわね。おかあさんにもよろしく。」

「是非!」

「じゃあ、今日はありがとう。またね。」

「またね。」

「オヤスミ。」

「オヤスミ―。」

プツッ

 

愛すべき家族は、つとむくん以外は無事だった。

何でそんなことになったのか知らないけど、つとむくんの事を思い返して「今頃つとむくんも飄々と生きているんだろうな。頑張ろう!」という自分への変な(?)励ましはできなくなった。

本当に独りになったんだ。

 エホバ、あと一度だけ、つとむくんと話したかったです。

そうすれば救われる気がした。

 

でも、つとむくん、本当に、さよなら。

ホントに!ホントに!次に会う時は楽園だね。

絶対、逢えるよね。

それまでバイバイ。