成長してたりしてなかったり、良くなったり悪くなったり | 時鳥観察日記

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なるほど

 事の発端はというと、以前ちょっとだけやっていた艦これに気まぐれでログインしようと、中学生の時に使っていたメアドを探し打ち込んだ事です。

 指が覚えていた文字列の途中で(そういえばこのメアドでアメブロやってたなあ)なんて思い出して、怖いモノ見たさのような懐心からこのブログを漁りました。

 そしたらまあ痛いこと痛いこと。

 中学生の時に書いていたブログなんて(想像易しだろうけど)勢いとテンションのみで出来ていて、読むほどに顔が熱くなり、今すぐにでも枕に頭をうずめ奇声を上げながら転げまわりたい衝動に駆られながらも何とか一周することが出来ました。(えらい)

 圧倒的な半芝、他を寄せ付けない身内のノリ、そして中学生オタク特有のイカれた口調。オンパレード。それに背景が黒! 顔文字の連発! 稀にあるポエムチックな吐露。意味の分からない長文。暴言を並べてみたり。オタク!あああ

 こんなものが隅の隅とはいえ、ネットという広大な大地に晒されていたと思うともう気が狂いそうです。ブログに飽きて更新が止まった後にもいくつかコメントが付いており、許してくれと。大半のそれは宣伝目的で書かれたもののようでしたが、それでも多少は人の目に触れている訳です。これは引っ越す前に地元の電柱に自分の裸の写真を張り付けておくようなものです。しかも当時それを無自覚に行っていたというのだから恐ろしい。

 

 とはいえ、この自分の黒い過去を見て得たものはなにも、これ以上に耐えがたい羞恥だけでは無かったのです。

 今の自分と比較し、わずかながらにもそこに成長というものを感じられました。 不思議なものですが、パソコンの前ではしゃいでいたネットリオタクがパソコンの前で陰鬱になっているジメジメオタクに進化した、と考えれば我ながらなんとも感慨深いものです。順調に悪化していますね。

 反対の事を言うようですが、正直なところ昔の自分は恵まれていたのだなあと思いました。

 共通の趣味を持ち、学校という接点で友人とふれあい、価値のある何かを育んでいたわけです。そこに生産性があるかどうか、そんなものは知りません。しかしそれで良かったわけです。それだけを生きていたわけです。

 

 僕は当時の友人に一方的に負い目を感じ、そのうち一人とは縁を断絶しました。怖かったのです。彼女に依存し、過去の楽しかった思い出だけにすがって生きている自分が怖くて、彼女との縁を断ち切ることでしかそれを解決することは出来なかったのです。

 僕は何もかも弱い人間です。

 鋼の意志で切ったはずのその縁も、今では少し後悔を生んだりしています。会いたくても会えない。会うことは自分から拒んだのだから。ちんけなプライドと脆弱な精神がせめぎあい、無駄に僕の心を苦しめています。鋼の意志など最初から錆びついていたわけです。

 彼女に依存していました。

 彼女が僕の生きる意味であると、真剣に考えていました。

 

 こんな話を誰宛でもなく書いていると余計に鬱になってしまいます故、ここで止めます。

 きっとこの記事も未来の僕の消したい過去になるのでしょう。

 だけどきっと僕はこの記事を消さないでしょう。今日の僕が過去の黒歴史を消さなかったように。

 

 この記事は誰のためでもなく、ただポンとそこに置いておきます。大海原に漂う流木のように、誰も気にも留めずにどこかをさまよい、いずれどこかにたどり着く。それでいいのです。誰の目に触れなくとも、そこにあればいい。僕の過去として、ただ、そこにあればいいのです。