カッパドキア----ギョレメ国立公園 | ときたび日記

カッパドキア----ギョレメ国立公園

ギョレメ国立公園.
随分更新しなくなってしまい、申し訳ありません。
気が付くと、カッパドキア紹介の前半のつもりで書いてから、二月近く過ぎてしまいました。

 前回、噴火による溶岩が固まった凝灰岩層で出来たこの地方の岩は柔らかく、水や風に依って削られて、「妖精の煙突」と呼ばれるキノコのような不思議な形が出来たことを紹介しました。

 また、この地には、紀元前18世紀のヒッタイトの時代から人が住んでいるのですが、今あるような石窟寺院が作ったのは、9世紀にイスラム教徒に追われたキリスト教徒によると言うこと、また、同時期に作られたと思われる「地下都市」があると言う所までが前回です。

 で、このカッパドキア観光の中心となるのは、ギョレメ国立公園。ギョレメとは「見てはいけないもの」という意味のトルコ語です。

800px-Goreme_1
 ギョレメは、端から端まで1km程しかない小さな村ですが、4世紀頃からキリスト教徒達が共同生活を営んでいました。
 イスラム教徒の迫害から逃れた信者達は、9世紀頃から次々と洞窟教会や修道院を作り始め、10世紀には、400以上の教会があったと言われています。

ギョレメ国立公園2
 ギョレメ国立公園は、1985年にユネスコの世界遺産に指定されました。
現在では、約30の教会が集まるギョレメの谷を博物館として保存、公開しています。

居室へ
 この教会は、博物館の入り口から歩きと最初に現れる小さな教会で、バジル教会。11世紀に建設されました。

居室へ2
 聖バジルは、4世紀の司教で、カッパドキアで大地主の家庭に生まれました。コンスタンティノポリスとアテネで教育を受けた後、カッパドキアに戻り、隠遁生活を送る人々を集めて修道院を作り、更に治療と看護の為の施設を作らせて病人の支援を行いました。

 聖バジルの祝賀祭が、一月の一日と二日に行われます。

入り口
 現在残る教会は、教会建設の盛んだった7世紀から11世紀のものが見学できます。

入り口2
 ギョレメの教会は、岩を掘って作られた後、内部の壁面を整える為にわらや火山灰を混ぜた石灰を漆喰として使いました。この漆喰の熱さ,約2mm。

地下教会
教会の幾つかには、キリスト教徒の描いた色鮮やかな絵が残っています。

地下教会2
綺麗なものだけ紹介していますが、保存状態の良くないものが多いです。

公園を行く
 ギョレメ野外博物館で見学できるのは、イスラム国家の中で生き延びたキリスト教の遺跡です。

 イスラム勃興時にアラブの人々によって破壊されたイランのペルセポリスなどを見てきた感覚で言うと、ここまで、完全な形で残っている方が不思議なな気がします。

公園を行く2
 14世紀以降、オスマン・トルコの領土となり、修道院活動は大幅に縮小されましたが、カッパドキアのキリスト教徒には、大幅な自治が認められました。
 私達が、ここまで保存状態の良い洞窟教会を見ることが出来るのは、このせいだと思います。

登り口
 カッパドキアの洞窟住居には、1950年まで人が住んでいましたが、現在では、危険なので人は住んでいません。

住居跡
 2005年の公式記録では、年に85万人の外国人観光客、100万人以上のトルコ人ツアー客が訪れたそうです。
 実際、私が行った時も、沢山のトルコの少年少女が、修学旅行かなという感じで訪れていました。


土産物屋
 トルコ旅日記は、ここで終了して、次回からはチベットの都、ラサの旅日記を書きたいと思います。
 最近、イランのニュースが良くテレビに出てくるので、イラン旅日記をイランの歴史が見渡せるようにいつか書き直したいとも思ったのですが、イスラムの国が続くのも、単調かなと思って、次の機会に回すことにしました。

 では、次は、チベットの話で、お会いしましょう。