『うるさいッ、ぴんた童どもッ。あくれるなッ、静かにしろッ』

 その時、女童たちを怒鳴り付ける野太い声がした。

 おそらくは飛騨の三兄弟の長男、猪之助のものかと思われた。

『早く食い物と飲み物を持ってこい! 男手はだめだ。女に持たせて運んでこい!!』

 その時、先ほどとは違う声が聞こえた。

 これは、次男の戌吉のものか、それとも三男の虎三郎の声か。

『そこに、お稲とお麦の双子の姉妹が居るはずです。その二人をここに来させてください。その二人に運ばせます』

『ワレは誰だ!?』

『信慶寺で、その尼寺で庵主さまに育てられたお玉という者です。お稲とお麦の二人をここに寄越してください。おむすびと汁、お茶とお菜なんかを運ばせます』

『だちかんッ! ここから出したら逃げるに決まってるッ!!』

『ならば、お稲とお麦の二人を交互に来させれば逃げません。親も兄妹も無く二人だけの姉妹で、しかも、この尼寺と庵主さまを頼るしかない身です。ですから、姉や妹を見捨てて逃げるはずがありません。一人ずつこちらに寄越してください。最初にお稲におむすびとお茶、次にお麦に汁とお菜という風に運ばせます』

 玉吉の申し出の後、しばしの間があってから、戌吉か虎三郎らしき声が聞こえてきた。

『よし、そんならいいだろう。だが、もしも逃げたりしたら、ぴんた童の片割れの命はねえぞッ!』

 やがて、信慶寺の厨の戸口から、姉のお稲が出てきた。

 同時に、その戸口に、妹のお麦が立たされていた。

 その帯を握り、首に脇差の刃を押し当てているのは、次男の戌吉かと思われた。

 異常に狭い額で。目は三白眼。

 口は大きく、乱杭歯。

 追い詰められて煤けだった顔。

 どす黒い肌。

 見るからに凶暴な顔だった。

 されに対し、お稲とお麦の顔色は恐怖と緊張の為、いずれも蒼白だった。

『お稲、走らないでッ! ゆっくり歩いて!』

 恐怖のあまり走り出しそうになるお稲を玉吉がそう制していた。

 その言葉に従って、少しずつ歩を進めるお稲。

 だが、あと数歩の処まで来ると、後はもうたまらずに、玉吉の懐に飛び込んでいた。

『お玉姉ちゃん、怖かった……』

『お稲、もう大丈夫だ。あともう少しの辛抱だよ。お稲もお麦も庵主さまも他のみんなもすべて助けてあげる。だから気丈夫にするんだよ。まず、奴らに唇の動きを読まれないように、聞くことに頷くか首を振ることで答えるんだ。分かった?』

 信慶寺に背を向け玉吉がそう言い、お稲が頷いていた。

『まず、庵主さまや妹たちの中で、殺されたり、傷付けられた者はいた?』

 お稲は首を振っていた。

『縄で手足を縛られている者は?』

 再び首を振るお稲。

『そうか。庵主さまを始めみんなが腰を抜かしたようになっている為に、そうする必要も無いという訳か』

 頷くお稲。

『辛うじて足腰が立ち、おむすびやら汁やらお茶やらを運べるのはお稲とお麦の二人だけということか?』

 再び頷くお稲。

『それから奴らについて聞こう。三人の中で一番怖ろしいのは、体が大きく力の強い長男か?』

 首を振るお稲。

『凶暴凶悪で、直ぐに刃物を振り回す次男か?』

 再び首を振るお稲。

『それなら、体の小さな三男坊か?』

 深く頷くお稲。

『やはりそうか。だが、お稲。もう少しの辛抱だ。必ず助け出してやるからな。さあ、おむすびとお茶の桶を持って帰れ。次はお麦だ。もし奴らに”何の話をしていたんだ?”と聞かれたら、”お玉姉ちゃんは、庵主さまや他の妹たちが無事かどうかについて、ひどく案じていました”と答えるんだ。分かったな?』

 深く頷いたお稲は、ようやく立ち上がり、おむすびとお茶の桶を持ち、信慶寺の方向に歩き始めた。

『お稲、ゆっくりでいいからな。つまずいて桶の中身をブチ撒けたりしないようになッ!』

 そんな玉吉の声が、あたり一帯に響き渡っていた。

 

 緊迫した状況の中で、唯一笑いを誘うのは、お素の姿だった。

 恐怖のあまり腰を抜かしたお素をお直が肩を貸して歩き去ろうとしていたのだが、どうしても立てず歩けずだった為、大八車が運ばれて来た。

 町奉行所の十手小者が梶棒を握り、お直がその後を押している大八車に乗せられて、その場を離れつつあるお素の姿がほんの少し、笑いを誘いそうになっていた。


※『アルプス同心捕物控 第二章 湯の町三助玉吉の恋⑰』 に続く。