特別編 「僕が『空手バカ一代』を読んで、”大山倍達”氏をニセモノと見破った理由」

 

 現在、先人たちの努力によって、空手家・大山倍達氏の華麗なる経歴のほとんど全てが嘘であることが判明しているが、筆者・朱鷺尾駆男(tokiokakeo)も、連載当時の『空手バカ一代』を、リアルタイムで読んでいた時から、このオッサンの経歴はアヤシイなと、おそらくそのほとんどが嘘だろうと感じていた。

 その例はあまりに多すぎるのだが、まあ、ひとつずつ述べて行こう。

 

①空手家・大山倍達は、いわゆる”神風特攻隊”の生き残りである・・・・・・。 コレは嘘である。

 これは、大山倍達自身が自身の著書の中でも書いていることだが、氏は乗り物酔いがひどく、ゆえに自動車移動が多いアメリカ巡業では苦労した(車酔いに苦しんだ)とある。

 三半器官が未発達で(弱く)、すぐにクルマ酔いしてしまう人間が、戦闘機乗りになれるだろうか?

 とても無理である。

 練習機、赤トンボにも乗れやしない。

 当時の”予科練”の訓練風景の記録を見ると、広大な飛行場を鉄骨張りの球体の中に入れられ、ゴロゴロ転がされた後、そこから出て直線上をまっすぐ歩き、いわゆるバック転か側転ぐらいをして見せないと次の訓練課程には進めなかったという。

 すぐにクルマ酔いしてしまう大山倍達では、解放された瞬間に数歩も歩めず崩れ落ち、飛行場の地面にゲロを吐いていただろう。

 彼が、神風特攻隊の隊員になるのは、とても無理である。

 大山倍達氏が、海軍兵学校にも予科練にも在籍した記録がないのは判明している。

 となれば、氏は学徒動員飛行兵だったと主張するのだろうか?

 しかし、氏は当時、大学生ではなく、山梨の飛行機整備士を養成する学校に通学していたはずである。

 別に、整備士になりたい訳ではなく、海軍兵学校にも陸軍士官学校にも落ち、しかたなくここに通っていただけである。

 学力的にも相当低レベルにあり、しかもクルマにも酔ってしまう肉体の持ち主・・・・・・。

 神風特攻隊員になれるわけがないのである。

 

 ”オレは、カミカゼ特攻隊の生き残りだッ!!”と自慢したがるのは、個別大山倍達のみではない。

 俳優・鶴田浩二もそうである。

 ”オレは関西大学卒で、カミカゼ特攻隊の生き残りだッ!!”というのが口癖だったが、コレは両方とも嘘である。

 彼は旧制中学中退(その理由は、在学当時に起こした婦女暴行事件。その後、当時の少年院に5年間服役)であり、関西大学は受験する資格もない身であり、カミカゼ特攻隊ウンヌンは、まったくの出鱈目である。

 戦後、学徒動員飛行生の生き残り集団から、”我々の中で戦後芸能人になったのは、俳優の西村晃のみである”と抗議を受けて、鶴田浩二は、カミカゼ特攻隊の生き残りウンヌンの主張をしぶしぶながら取り下げている。

 この時、俳優・西村晃は『俳優・鶴田浩二が嘘を言っていることは知っていた。だが、それに抗議をしなかったのは、あの時代のことはあまり思い出したくなかったからだ。あの戦争の悲惨さを知っている人間は、自分から”オレはカミカゼ特攻隊の生き残りだッ!!”などとは言わないものだ。そんなことを言う者は、すべてニセモノだと思った方がいい!』

 俳優・鶴田浩二も、空手家・大山倍達もこの”ニセモノ”に所属するらしい。

 

 空手家・大山倍達のニセモノぶりには枚挙に暇(いとま)がない。

 その嘘つきぶり、ニセモノぶりには、次回以降に詳述する。

 次回の書き込みを待て!!