女鳥羽蕎麦の戸を開けて路上に飛び出した見習い同心・湯郷涼太郎の面前には、搦め手廻り同心・氷室陽之進と玉吉改めお玉が対峙していた。

『待ってください! 私も行きます! 飛騨の山犬三兄弟退治に、この私も行きます!!』 

 いかにも非番の日らしく着流し姿に酒臭い息をしている涼太郎の姿を見ても、二人は驚いた様子も見せなかった。

 近頃では涼太郎の顔を見る度に顔を赤らめ、伏し目がちになる玉吉だったが、流石に今はそんな素振りも見せず、

微かに頷くと、再び陽之進との会話を続けていた。

『それで、山犬三兄弟は……』

『玉吉も聞いたことがあるだろう、飛騨の山犬三兄弟のことを』

『ええ。飛騨で押し込み強盗を繰り返して、何人もの人を殺害したという恐ろしい奴らだと聞き及んでいます』

『その兇悪な奴らが、ついに山を越えて、この信濃の国に、松藻斗のご領内に逃げ込んで来たんだ。しかも、三人とも手負いだ。奥飛騨で山狩りされて矢傷、弾傷を受けている。足も挫いているらしい。もともと兇暴な奴らだが気が立っている。毒を食わらば皿までと、庵主さまと玉吉の妹たちを皆殺しにする怖れすらある』

『や、奴らの得物は?』

『太刀、脇差、山刀、槍に半弓、それに、種子島……』

『て、鉄砲まで持っているのですか?』

『ああ、しかも、相手は元々が漁師……。その扱いには慣れているらしい。いずれにせよ、一筋縄ではいかぬ相手だ。奴らを倒すには、娘姿で油断させてから倒すしかない。出来るかッ、玉吉!』

『出来ます!! 庵主さまと妹たちを救うにはやるしかないでしょう! まず、娘姿で油断させて、小具足術で手首を捻り上げて、その首に刃物を突き付けてやります!!』

『刃物? 刃物を持って近ずけるほど生易しい相手ではないぞ。しかも、相手は三人だ』

『大丈夫です。女所帯の信慶寺だからこそ、以前から仕掛けておいたモノが今こそ役立ちます。庵主さまや妹たちも知らないうちに仕掛けておいた刃物が幾つもあります。その一つを三人のうちの頭目株の喉に突き付けて、この刃にはトリカブトより強い南蛮渡来の毒が塗ってあると脅せばかなり効果があるはずです』

『そうか。それならそうするのが……、いや、それしかないだろう。それでは、直ぐに同心小路の私の家に行ってくれ。そこに義妹の紗綾子が待っているから、小袖と島田髷に、娘姿になってから、信慶寺近くの鎮守の森に来てくれ』

『はい。直ぐにそうします』

 そう言うと、玉吉は全力で駆け出していた。

『そ、それで、私は何をすれば……』

『涼さん、その姿ではマズイ。まず、奉行所に行き、いつもの同心姿になってください。奴らの、飛騨の山犬三兄弟の血が滾(たぎ)らないように、捕り方は皆、信慶寺近くの物陰に隠れています。奴らの前に出るのは、私と涼さん、それに、女のみにしましょう。だから、急いでください……。それにしても酒臭いですね。奉行所で同心姿になったら、お素の店かお直の店で、お茶でも飲んで酔いを醒ましてください』

 松藻斗の街の外れにある尼寺、信慶寺。

 その近くにある鎮守の森に涼太郎が駆けつけた時、町奉行所の面々は勢ぞろいしていた。

 一本槍馬之助、山浦猪三郎、望月進一郎等の同心たちは鎖帷子の上に半纏を着、穿いた股引を引き上げて脚絆を巻き、頭には鎖入りの鉢巻きを締めて足は草鞋で固めて刀を一本差すといういう、捕り物出役姿になっていた。

 そして、全員が襷を締めていた。

 また、奉行所の十手小者が二十数名。

 それぞれ、突棒、刺又、袖絡、寄棒等を手にしていた。

 また、二尺近くの長十手を持っている者もいた。

 そして、いつもと変わらぬ黄八丈の着流しに黒の巻羽織に雪駄姿の搦め手廻り同心・氷室陽之進。

 それに加えて、上田縞の着流しに同じく黒の巻羽織と雪駄姿の見習い同心・湯郷涼太郎。

 松藻斗藩の歴史にのこる大捕り物が始まろうとしていた。

 

 ※ あるぷす同心捕物控 第二章 湯の街三助・玉吉の恋 ⑪に続く。