文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

慶應義塾大学文学部( 英米文学専攻・通信教育課程)を卒業後、『ハムレット』を研究。小説、ノンフィクションの分野で執筆活動をしています。日本シェイクスピア協会会員。ライター。

 

 ロンドンに1年間遊学(2014)していたとき、Oxford Circusの書店によく足を運んだが、その時に村上春樹の本が平積みされていた。カフェでは彼の本を手に熱心に読書している中年の姿を見かけることがしばしばあった。しかし、当時、私はあまり彼の本に関心を示さずにきた。

 

 そのうち、村上の本が多くの国で翻訳されていることを知るにつけ、どうして世界中の人々に受け入れられているのだろう、とふと思うようになった。今年になってからだ。

 

 『ノルウェーの森』以下、写真の通りの本を読んでみた。読み始めたらやめられない面白さがある。魅力の源泉はどこにあるのか。思いつくままにあげてみる。

 

・文章の歯切れがよく、読書の流れに流れに棹さす文章に歯切れよさを感じる。芥川賞候補作家で後に官能小説家になった冨島健夫(1931-1998)のような短いフレーズでぽんぽんと物語を紡ぐこきみよさがある。(蛇足=私はこの作家のことを知らず、先輩から「いい文章を書きたいなら冨島健夫を読んだらいい」といわれ、書店で「冨島健夫の本ありますか?」尋ねたら、「こちらです」と案内されたコーナーには『官能の宴』、『淫女たちの夜』など官能小説がズラリ。逃げるように書店を飛び出してしまいました。)

 

・心の奥底で考えているが世間体や自己防衛のために決して自らは口には出さないことを平気で、それもリアルに語る。特に性描写の場面で感じる。作品と自己とを同一化してしまうというスリル感がある。

 

・ぐいぐい読ませるが、最後は物語として完結せず、「未完」のままで終わる。その後の物語の展開は読者に委ねられている。この点では作品に深さとともに解釈の多義性が生まれるともいえるが、半面、カタルシスを感じ得る点ではやや不満が残る。

 次は『海辺のカフカ』を読もう。