▲「から騒ぎ」2022 グローブ座(ロンドン)
Ⅲ 成熟期の喜劇
『夏の夜の夢』(A Midsummer Night's Dream)
Shakespeareは以上の4作を踏台にして『夏の夜の夢』を1595-6年頃に書き、大飛躍を遂げた。構成力から詩情、韻文に至るまで伝統的な堅苦しさから抜け出し、想像力がめざましく飛翔し、最初の独創的な喜劇の傑作となった。妖精の乱舞する深い森の中、夢幻と現実が入乱れ、人間と妖精の世界が交錯する。この観劇の楽しさは国や階級や年齢をも越えて広く人々の心を捉えることになった。
直接の種本がみつからない珍しい例であるが、シーシュースとヒポリタの物語はチョーサーの『騎士の話』(Knight’s Tale)やノース(North)訳のプルターク(Plutarch)の『英雄伝』の中のシーシュースから取ったらしい。職人たちの演じるピラマス(Pyramus)とシスビ(Thisbe)の話はShakespeareの愛読書と想像されるオヴィディウス(Ovidius)の『変形物語』(Metamorphoses)にある。一方、妖精が舞台にのるのはShakespeareの独創であったのではなく、すでにリリーやグリーンの芝居に登場しており、また民間伝承を通じて当時の観客には親しかったものである。元来妖精は人間生活に介入してたちの悪い悪戯をし、秩序を乱すと考えられていた。パックにこの性格が反映されているが、おそらく貴族の結婚式のために初演されたこともあって、パックも他の妖精たちも結婚を祝福するという劇の目的を崩さないように陽気な性格に変更されている。
月光が輝き、真暗闇になるアテネの近くの森では超自然の力によって恋が生まれるが、その様は人間に普遍的な気まぐれな情念と怪しげな想像力に由来しているように描かれている。シーシュースの口を借りた、おそらくShakespeareの実感──
Lovers and madmen have such seething brains
…… (Ⅴ.ⅰ.4-6)
(恋する者は、狂った者同様、頭が煮えたぎり、/冷静な理性には理解しがたい/ありもしないものを想像する。)河合祥一郎訳
『ヴェローナの二紳士』では許婚や親友を裏切ることはほとんど悪として扱われたが、この劇では一時の気まぐれとして笑いの中に封じてある。最大の気まぐれはボトムとタイテーニアの恋の惑溺である。ふだん最も想像力を拒否するボトムに最も幻想的な恋人の役割を振当てたShakespeareの大胆な着想は超自然の力を借りて自然らしさが醸し出されている。それはこの作そのものの持つ詩情と笑いの結合の象徴である。惚れ薬を飲まされなくても一目惚れするのはShakespeare劇の特徴だ。Shakespeareの創造した恋人たちはほとんどが一目惚れするのである──
We ever lov'd that lov'd not at first sight?(As You Like It Ⅲ.v.81)と『お気に召すまま』の一登場人物のマーロー(Marlowe)の詩の一行を引合いに出している通りである。エリザベス朝人は恋に‘fancy’という言葉を与え、その状態を‘fantastical’とよく呼んだのは故あってのことであった。
fancyが大活動するピラマスとシスビの悲恋物語を職人たちが大根に演じて笑劇にしてしまうのは、初期の喜劇で下僕が主人のロマンス色の濃い恋の姿を茶化すのと同様である。しかし、ボトムはこの枠からはみ出て劇中最も個性的な性格にまで発達をとげ、以後現れる一連の道化役の最初の大物となった。
エリザベス朝の教養のひとつになっているラテン文学に現れる物語とイギリスの民間伝承、そして当時の宮廷人の恋愛風習とイギリスの土地を闊歩している職人たちの気質──それぞれ異質で次元の異なるこれらの世界をひとつに統合して、なおかつ平衡を失わなかったところにこの作の真価がある。Shakespeareはこの平衡の上に身を横たえ、喜劇5作目にして初めて同年代の他の喜劇作家の追従を許さない詩的世界を創造するに至ったのである。
『ヴェニスの商人』(The Merchant of Venice)
貴族の青年の恋愛を文芸や風習の飾りから抜け出させ、近代の現実的な姿を、しかもロマンスの香りを失わずに描き、作者の理想とする恋人像を創造する試みは1596-7年頃に書かれた『ヴェニスの商人』のポーシャの像によって達成された。
はっきりと近代ロマンスを主題に選択する方向に歩んできたShakespeareは、この劇では一時それを背景に押しやったかのようである──シャイロック(Shylock)の出現である。シャイロックは、ハムレット同様、時代によりさまざまな演出と解釈がなされてきた。喜劇的な悪役、本格的な悪党、あるいは逆に少数民族の圧迫に耐え忍ぶ悲劇の人として観客の哀愁を誘ってきた。
種本になったイタリアの物語集『イル・ペコローネ』(Il Pecorone)でもユダヤ人は伝統的に高利貸を営むものとして辛辣に扱われている。1589年頃マーローは『マルタ島のユダヤ人』(The Jew of Malta)で悪役のユダヤ人を描き成功したが『ヴェニスの商人』にもその影響がみられる。宗教的見地から当時のイギリスではユダヤ人は名目上改宗しなければ居住権は与えられなかったがユダヤ人に対する一般の感情がとりわけ厳しいということはなかった。
シャイロックを文芸上の人物の典型から考えると、古典劇に登場する老人──絶えず監視している娘にまんまと逃げられる金持の父親であり、けちで「ユダヤ人」とう喜劇的人物の常套的な型にはまってる。この型を伝統的によく知っている当時の観客がシャイロックを悲劇の主人公とみなさなかったのは容易に推察されるが、しかし、事実彼はこの方を破って血肉化されており、そこから抑圧民族の痛ましい叫びが聞えて来ると感じる者がいても容易に否定できないセリフがちりばめられている。
慈悲を訴えた者が最後に相手に慈悲をかけずに、財産を没収し、改宗を強要するのは無慈悲であって腑に落ちないと感じるのは現代の観客には自然な感情であるかも知れない。これに対して、この裁判は寓意的に見る必要があり、「慈悲」に訴えたのに、「法」を重んじて相手を許さない者はその「法」によって滅ぶのが正しいとする解釈がある。ポーシャのいう肉はとっても血は一滴もならぬという論理──これを詭弁というが、これも復讐という悪をこらしめるための正義の論理の寓意と取る必要があることになる。
………もし寓意や象徴が問題となるとすれば、箱選びによるポーシャの婿選びの方である。このたわいのない筋は、古くから東洋も含めて至るところにある話であって、Shakespeareの翻案から得られる教訓はキリスト教の教えに基づく倫理観である。
『空騒ぎ』(Much Ado about Nothing)
次いで1598-9年頃に書かれたこの劇は再びロマンスを扱うが、ほとんど散文で書かれ、性格描写と表現にいよいよ円熟味が加わって来ている。
クローディオとヒアローの話はバンデロ(Bandello)の物語集から取られている。二人のShakespeareの描写には個性がみられず、筋の要請だけで動く感じを免れない。しかし、コールリッジ(S.T.Coleridge)は、この劇は性格よりも筋の興味をねらっている結果、そうなったのであろうと語っている。
一方、Shakespeare自身が創造したベメディックとベアトリスには、めざましい才気の応酬のうちに、ビローンとロザリンドをはるかに深化した溌剌とした個性が躍動している。中世的なロマンスの世界から完全に脱却し……相手の人間性を互いに楽しく愚弄する。おの喜劇的手法をShakespeareにあっては逆説的に利用され……ここに至って成熟したものである。……崩れ行く古い型のロマンスを逆説的に生かすというこの創案はしの独創であって、次作に登場するロザリンドで頂点に達するものであるが、高度に知的な機知をもてあそびながら同時に近代ロマンスを失わない喜劇の平衡の川に作者はゆうゆうと棹さすようになった。
二つの筋はそれぞれ補い合い、筋を追う楽しみを与えながら進んでゆく。両者の糸をむすぶのは陰謀の張本人であり……初めて喜劇に導入された悪の気概の暗さが奔放は明るさの中に深く介入し、秩序の崩壊寸前まで突き進んで、倫理の復元を志向する力が強く働いている喜劇である。
『お気に召すまま』(As you like it)
1599-1600年頃にかかれたこの劇は、ことごとく区別された性格が対比され衝突するところに尽きせぬ興味を起こす。
オーランドーはその恋愛について哲学思想を含ませたエリザベス朝教養人の典型的な恋人である。ロザリンドを求愛する詩には、カスティリヨーネの『宮廷人』やスペンサーの詩にみられるように、恋人は単に美的な個性ではなく普遍的な美徳を兼ね備え、その霊は天上と結ばれて神格化されている。
タッチストーン(Touchstone)は道化を職業とする聡明な道化(foolと同義語)の最初の例であり、その名前─試金石─が示すように、他の人物たちは彼に接触して、いわばこすられ、そこに色とりどりの性格の条跡を現わすように仕組まれている。
………快活が憂うつをにらみ、逆に憂うつが快活を抑止し、理想が現実を飛び離れ、現実が理想を見すえる。誰も一人を除いては他の人物の批判の目を免れることは作者が許さない。性格間の劇的対立と葛藤の上にゆうゆうと立つ者はロザリンド一人だけである。しかし、同時代のベン・ジョンソンなどの諷刺喜劇と違って、どの人物も作者から嫌われず、馬鹿にされておらず、観客も同様な反応を示すことになる。この作品はShakespeareが数年来手掛けてきたロマンスの集大成である。
『十二夜』Twelfth Night
どの人物も個性的で多様きわまりない性格が一つの」劇の統一をもたらすShakespeareの手腕がいかんなく発揮された作品。1599-1600年頃に書かれた。この原作はリッチ(Barnaby Rich)の『アポロニアスとシラ』(Of Apolonius and Silla)であるが、これはイタリアの物語の翻訳である。例によってShakespeareは自ら創造した人物を加えるが、それはMalvolio, Maria, Feste, Fabian,Sir, Toby,Sir ,Andrewで、笑いを引き起こす人物ばかりである。
………利己心に執着し、うぬぼれの権化であるマルヴォーリオは、舞台になっているイリリアの雰囲気にそぐわない唯一の人物である。当時演劇は人間を堕落させるものとしていみ嫌った清教徒を、マルヴォーリオを通じて諷刺したふしがある。
道化のフェステは、タッチストーン同様、理想主義的態度を現実に引きずり下す役割で、タッチストーンほどの批判能力を与えられていない代りに、主に多くの歌によって劇に抒情性を加え、更に道化という職業を営む人間性まで表現し、タッチストーンより複雑でニュアンス[1]に富んだ性格創造に成功している。当時、宮廷や貴族の邸宅に道化という職業があった。道化にだけは余興を演ずる者として、他の人が口に出来ないような批判などをすることが許されていた。身分は低かったが、例えばトーマス・モア(Thomas More)の道化のように優れた知能を示す道化がいた。地位は必ずしも安定していなかったことはタッチストーンやフェステの主人たちが解雇をほのめかすセリフにもうかがえる。
この劇はどの人物も円熟した作者の腕に支えられて成熟しているが、楽しいいたずらのにぎわいがあるにもかかわらず、劇に一抹の悲哀が流れ出ていて、最後に道化が舞台に一人残って有名な哀しい歌を歌って幕がおりる。
十二夜とはキリスト教では顕現日(Epiphany,1月6日)[2]の祝日の前夜をさし、この夜に中世ヨーロッパでは大騒ぎの余興が催された。
『ウィンザーの陽気な女房たち』(The Merry Wives of Windsor)
この喜劇はロマンス喜劇の枠に入らないが、1598-9年頃に書かれたものである。フォールスタッフとのかかわりで述べる。
『ヘンリー四世』、特に「一部」に登場するフォールスタッフはShakespeareのみならず世界文学の中においても屈指の喜劇的人物である。それは主に戦争における名誉という歴史的に確立している騎士の道徳的価値を、彼が完全に転倒させ否定してみせるところに、単なる爆笑を越えて、因習から一瞬我々を解き放って自由にするという積極的な意味があったからである。彼はどの喜劇的人物と比べても比較にならない程の器であった。それは歴史劇による劇的要請である軍人の名誉という彼の「敵」が強力であるがために、彼のパロディーも又強大になったのである。『ヘンリー四世』二部になり、彼の資質の反対物が減少すると共に彼も又小さくなり、『ウィンザーの陽気な女房たち』になると、彼のパロディーの対象は皆無となって、逆にからかわれる破目に落込んでいる。この三作におけるフォールスタッフはそれぞれ別の人物であるともいえるが、それは葛藤の質が劇によって異なり、彼の劇中に置かれる位置がそれぞれ異なるからで、置かれた自分の環境に過不足なく応じる彼の態度は一貫しているとも言えよう。
[1] ニュアンス【nuance】(表現・感情・色彩などの)微妙な意味合いや色合い。また、そのわずかな差異。 「言葉の-」 「話の-から本音を察する」 「話の-が違う」
[2] 顕現日(Epiphany)は、東方の三博士がベツレヘムに誕生したキリストを訪問し、キリストが神の子として公に現れたことを記念する日で、「公現祭」ともいう。対応する期節を「顕現節」という。キリストの聖誕日である「クリスマス」から12日後にあたり、クリスマスから前日まで(12月25日~1月5日)を「降誕節」(Christmas tide)という。 顕現とは、はっきりと姿を現すことを意味する。西方教会やカトリック教会、聖公会、正教会など宗派によって祝う期間などが異なるが、この日は顕現を記念して祝われる。
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本論稿は、池上忠弘、石川実、黒川高志、金原正彦共著『シェイクスピア研究』(慶應義塾大学出版会)の大要をまとめたものです。私自身の学習を目的としたものですので、論文・レポートなどでの本文からの引用はお控えください。
