タチアナ・ニコラエヴナは、1897年5月29日にニコライ2世の第二皇女として誕生。




豊かなとび色の髪を持ち、母アレクサンドラ譲りの濃い青灰色の瞳をしていた。(ちなみに弟アレクセイも、同じ濃い青灰色の瞳。)


タチアナは細身で、四姉妹の中で一番背が高く(身長173センチであったと言われている)、美しい声の持ち主で、姉妹の中で最も気品があり、優雅であった。

また、皇帝の娘にふさわしい高貴な顔立ちは洗練された彫刻のようと称され、当時の人々から四姉妹中最も美貌の皇女と称えられた。


↑1913年撮影。左がタチアナ皇女。姉のオリガ皇女と。

公式の場では、その美貌から姉のオリガよりも常に立ち勝っていた。彼女自身はひたむきな性格でもあり、自分に自信があったため、早く社会に出たがっていたという。また、生来のリーダーシップで姉妹達や弟をまとめ、妹達は、タチアナを「家庭教師」と呼んで慕っていた。

このように、タチアナが姉に立ち代わって姉妹達のリーダー格を務めていたにも関わらず、当のオリガはそのことについて何とも思っていなかったようである。(事実、オリガとタチアナはとても仲が良かった。)


タチアナは、姉ほど賢くはなく学問に関心はなかったが、手紙を書くことが好きだった。手先が器用で刺繍や手細工をするのを好み、アイロン掛けなどの家事的なものを好んだと言われている。(姉のオリガが家事的なものを嫌ったのとは対照的である)

また、年頃の女性らしくファッションが彼女の大きな関心事でもあった。

姉妹で一番母親似であったとされる彼女は(容貌は似てると思えないので背の高さと性格がアレクサンドラ似とされていたのだろうか?)、姉妹の中で最も母アレクサンドラと親密であり、アレクサンドラ最愛の娘であった。

タチアナは、近衛連隊の名誉連隊長にも任命され、自分の連隊を見るのをとても好んでいたと言われている。



※次回もタチアナ皇女のお話が続きます。