慣れぬ心を求めて
さて今日も読経。まだ声が出ない。僧侶の方に合わせるのだが、みなそれぞれの早さがある。今日の方のは早い。だがそれ全てに合わせなければならない。前回はかなりゆっくりの読経。身体の芯から唱えられた。今回のは全然違った。そして、もう少し集中したかった。自分に真剣さがほしい。慣れてくるのがよくない。稽古もそうだがこの行に対しては、慣れたくない、常に真剣で居たい、真剣であるのだが、もう少し緊張がほしいのだ。それほど自分がまだまだ甘いということ。厳しさは他人にしてもらうことではなく、自分でその域に入ること。家に着いてから、改めて読経をし直してみた。真剣さのために少し負荷をかけて唱えてみた。体に来た!だがこれも自分の間なのでどうにでもできる。まだまだ体読までできていない。その後の素振りは芯に来ていた。とにかく、まあやるしかない。