こうだ、と決めつけるよりも、いろいろな考え方や感じ方があるということ。




相手の考えと自分の考えが違うからおもしろい。

気づくとはそういうことだし、自由な心でゆるす心ならば穏やかな呼吸になり、捉え方が軽くなる。

だが変わらぬものもある。
それが固まってるわけではないが、変わらぬものはその深さを観る心が必要だ。

自分の基本の中心になるもの。
これは変わらぬものなのだが、その深さを探究する必要がある。

変わらぬものといっても厳密には変化進化しているのだが、外見からはわからぬのだ。
だから心眼が必要なのだ。

常に新鮮な心で居たい。

動きを日々感じていると、毎回の変化、心の変化動きの変化がわかる。
昨日まで力を入れていたのに、今日は気づきで力を抜いていた、とか、そういう日々が楽しい。

すり足を毎回稽古するが、地味な動きなので、なんとなく続けてたり、飽きて来る方もいる。

その日々の深さを知れば同じようで全く違うし、新たな発見があるものだ。

先ほど剣を静かに振ってみたら、
こんなに静かに振れるのか、こういうことだったのか、と改めてその変化に気づく。

同じでなくともいいのだ。

しかし同じことをやる意味もしっかりとあるのだ。

相手と自分は違う。
しかし分かり合うことも大切だし、敬うことも大事。

また互いを尊重し違う考えをそれそれの発見や学びになることも大切。

なんとなく
そんなことを思った。
🙏✨🍀