身体、心身体と心その両方の側面を見ている。答えを探しているのだが、しかし立ち止まってるわけではない。ときに身体でありときに心である。どちらも学びでありどちらも稽古である。ぶつかりに気づきやわらかさを意識する。気づき行えばやがてその角は水によって丸くなりやがて透明になっていく、、今はそう信じて動いている。信じるという言葉が揺らいでるわけではない。信じる心も鍛錬をしていく。とにかく身体の動き心の在り方働きそこを稽古するだけ。🙏✨