日々心は動くもの。

暑いときの心

寒いときの心

いろいろな心を人は持っている。

御経を唱えていると、心が静まったり、また訓読の御経などはさらに心を動かす。
これは人それれだが、私はこの訓読の御経は心にしみる。
もちろん音読もその場に静寂を呼ぶような感覚になる。

やはり私の場合は身体として御経を感じている部分がある。
そしてそれが心や場に働いてくることを感じながら唱えている。

相手と対峙したときの武術の心の働きや、気のゆるせる友との心の働き、さまざまな関係に体と心は働いている。

とくに日本語は力を感じ、その意味の深さもそうだが、響きそのものに心を動かす活力がある。

そしてそれは日本人独特の発するというよりも受ける感受性が、言葉や呼吸を無意識に大切にしている。
祝詞を読むときそんな感じがするのだ。

武術も発すると言うよりは
受け身的な発想の武術だ。

だから表に表現されなくても、昔は人は物事を察する力があった。

今では表現しないことは、伝わらないことと教えられる。

さて蒸し暑いこの梅雨に心動くポジティブなものを感受しようと思う。