その技の前に果たして心はどのような在り方をしているのか。

そんなすり足の問いから本日の稽古は始まった。

心の働きなんかよりも技術が大切だ、動き方を変えれば心もそれに乗るだろう、。

たしかにそういうこともある。

かしかし、技なるものを考えるとき、そのベースとなる心の働きはやはり大切。

捉えようのない心をどうしろというのか、と。

例えば身体の中にある水を心と捉えると、その水が荒れていては、いくら技術が良くても、その元となる水源が荒れていては、技ということにならない。

さらには心に近い呼吸も同じことが言える。

荒れた呼吸、浅い呼吸、またはコントロールの効かない呼吸では身体の操作どころではない。

先ず穏やかに内面を感じること。

それが静寂でないなら、とにかくそれを観察すること。
それを出来ようと思わず。
あるがままを観察する。

そういう心の状態を身体を通し丁寧な動きにしていきたいのだ。

表の出来方、テクニックばかりに気持ちを焦らせてはならない。

今日の稽古はそんなスタートであった。

感じ方はそれぞれ。🙏