毎日武術の稽古をしていて、果して、これにはどんな意味があるのか、試合があるわけでもない、やっている意味を知りたいと、そんな問いがあるようだ。
みなそれぞれの気持ちで稽古をしている。
私からみなを見るとその意味は視えているつもりだが、本人は気が付かないかもしれない。
知らぬうちに満たされてしまっていることに気がつかぬかもしれない。
今この瞬間がとても有難いという感覚に目覚めると、自分の足元に気がつくかもしれない。
シンプルなことはとても深さがある、しかしその深さに気がつくかはそれぞれの感覚のあり方。
この木は一度見たからもういいや、
別の木を見に行こう。
別の木ももうわかった、また別の木を見に行こう、。
いろいろな観察の仕方がある。
一つの木の深さがわかるには、
どういう歩みが必要なのか、。
何百年の樹齢があるとして、それを一度で分かろうとするのは難しい。
しかしたとえ若い樹齢であっても同じように一度の観察では分からぬもの。🙏