対峙する身体一人のときの身体とは気を遣わぬのだからリラックスしている。では相手と対峙したとき身体はどうなるのか。身体は縮み心も固くなる。武は何を伝えているのか。相手がかかってきたときこそ緩めるような身体、心でいたい。では祈りのときはどうだ。これも一人のときのような心もちなのか。誰も居ないのだからリラックスできる。否、こういうときこそ正しい緊張でありたい。正しい緊張とは、緩みながらも芯をしっかり保ち追い越さぬ心身のこと。勝ち負けではなくあるがままの今に拝礼する。