知り合いにもう16年間、家庭内別居中の男性がいます。

奥様は、夫の母親を介護施設に、毎朝送り出されるそうです。
同じ敷地内でメールでやり取りして食事も別々なのだそうです。
男性は毎月の生活費を20万円渡して、あとは、自由な生活を
送っているというのです。
外泊しても何も問いただされないということです。
女性とは、そういうものなのか?と尋ねられて、肯定しました。

愛のない関係では、夫が、外泊して何をしていようが、気にならないと
思います。
毎月20万円のお金を頂き、家庭内別居なら、むしろ快適?な生活では
ないのでしょうか?愛や執着がない関係になってしまっているのなら。

そういう関係になる前には、お互いの行き違いが必ずあったと思いますが、
男性側は、それすらもう記憶にないのでしょうか。

人には様々な考え方があり、同居し出すと、その思考や思想の違いに
面食らうと同時に失望が始まるのでしょうか。
愛が覚めるのか、もともとなかったのか?
それとも、女性側にもなにか原因があったのでしょうか?



”愛”について書かれている霊会通信があります。
http://tamashiinohousoku.blogspot.com.es/
魂の法則の第2弾で、ネットで無料で読むことができます。

『 愛の法則』 その17、18ページにはこうあります。



*でも、好きな人のためには犠牲を払いなさい、という意見の人もいますよ。
 自分の幸せよりも愛する人の幸福を優先すべき、ということです が、
 これについてはどう思われますか?


そういうふうに考えてしまうのは間違いだ。
人の幸せというものは、 別の人の犠牲の上に成り立つものではないからだ。

天が幸福になる権利を放棄しなさいと誰かに言ったとしたら、
それは不公平だろう。
すべての霊的な存在は幸せになる資格があるが、
そのことによって他の人の権利が減ってしまってはならない。


そのため、他者のために自分の幸せを諦めることも、自分が恩恵を得るために
他の人に犠牲になってほしいと求めることも、どちらも公正ではない。

幸せになる権利を損ねてしまうものは、愛とは言えずにエゴなのだ。

混乱してしまうのは、君たちが愛という概念を誤って解釈しているからだ。

君たちの愛し方というものは、ほとんどの場合においてエゴまみれなので、
そのため、他の人が幸せになるためには君たち自身の幸福の権利を放棄すべきだと
考えたり、自分たちの幸せのためになら、他の人にそれを断念させる資格が
あると思ってしまう。


だから、真実の愛の感情とエゴが顕現したまがいものとを見分けることができるように、
我々がどのように愛しているのかをよく分析してみることが大事である。

そうすれば、不必要な自己犠牲や断念をしたり、 またそれらを他者に要求したりと
いう勘違いをしなくなる。

*でも、愛する人のためには、時にはある物事を断念することが必要だ、
 というのも正しいのではないでしょうか?

それは、断念という言葉が君たちにとって何を意味するのか、ということによる。

愛のためにエゴを放棄することは善いことである。だが、
愛によって愛を放棄するのには意味がない。

*あなたの言われることがよくわかりません。わかりやすく例を挙げてくださいませんか?

子どもを持とうか考えている夫婦を想像してごらん。
この二人には子どもを持つということが、物的な気紛れを放棄したりレジャーに費やす時間を
断念することに思われる。今後は子どもの扶養にお金がかかるし、 時間も割かれるからだ。
彼らがこの状況を自己犠牲的に感じるのは、愛よりもエゴが勝ってし まっているために、
物の所有や安楽さを重視してしまい、愛情を大事にできないからだ。
だが、自分たちの子どもへの愛によって、気紛れを減らせれば、失うものはエゴであるので、
彼らにとっては良いことになる。
これと全く違うのは、別の男性を愛しているのに、
ある男性との間に 子どもがいるために、その子のために愛してもいない人と我慢して
一緒に暮らして、人生を犠牲にしてしまう女性の場合だ。

このケースが、間違って、
愛によって愛を放棄してしまっているのだ。
なぜなら、自分が 我慢すれば、子どもがもっと幸せでいられると思い込んで
しまっていて、 自分の自由な感情を棄ててしまっているからだ。



この通信に私は、衝撃を受け感動した。
ズバリ私の人生は、
愛によって愛を放棄してしまっているし、
自分の自由な感情を棄ててしまっていたから。

愛してもいない人と辛抱して一緒にいることが、”愛 ”だと
勘違いしていたから。
それも、それが霊的な人類愛であると、傲慢にも信じていたのだ。
言い訳がましく 地上的には
子供の為にとか、生活の為にとか、うだうだとやってきたのだ。



仮面夫婦歴は、もう27年になる。
愛せるようになろうと努力した期間もあったが、
努力する愛なんて あるはずもなくて
そんなことさえ気が付かないでエゴまみれに生きてきた。

別居してそろそろ1年近くなる。
1年ほど前、私をもう自由にしてほしいと
言ったことがある。

その時、夫は
「 もう辛抱できないのか? 」
と言った。

私が辛抱していることに相手も当然気づいていたのだ。


人生をもうこれ以上犠牲にしたくはない。