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怪獣が空を飛んでいた

 こんばんは。

 

 今朝、某駅のすぐ近くです。

 

 おわかりいただけるでしょうか?

 

 怪獣が輝きながら空を飛んでいました。

 

 しかも背面飛行で。

 

 

 上下を逆にして、かつ、ちょっと拡大すると、こんな↓↓感じです。

 

 

 ただ、この怪獣を目撃したのは、多分、私だけではないでしょうか。

 

 ほんの少し場所を移動して再度撮影しようとしたら、もう消えて(形がくずれて)いました。

 

 昔、こんな怪獣を絵に描いたことがあるような気がします。

 

 

 

 ときひろ.ねっと

 

時刻表をめくる

 こんにちは。

 

 いつもご覧いただき、ありがとうございます。

 

 時刻表にも、最近は電子版があるらしいのですが、私は、いまだに紙の時刻表を使っています。

 

 

 8月号の時刻表を買いましたので、1ページ、1ページめくっておりました。

 

 ちなみに、優等列車は、この↓↓のように赤字で掲載されています。

 

 この↓↓ページでは、秋田新幹線「こまち」赤字 になっています。

 

 

 そして、さらにめくって次のページ↓↓、、

 

 

 おわかりいただけるでしょうか?

 

 赤字 がかなりうすいです。

 

 これはこれで、紙の時刻表だからこそですね。

 

 ちなみに、このページに関して言えば、秋田新幹線「こまち」の時刻は、このページを見なくても、巻頭の方の新幹線のページを見ればわかりますので、これで困ることはありません。

 

 

 

 ときひろ.ねっと

 

「創作列車」 目次 (2020/07/14更新)

 こんばんは。

 

 いつもご覧いただき、ありがとうございます。

 

 先日、「白馬で降りた王子」の(4)を公開させていただきました。

 

 以前から作成しているブログテーマ「創作列車」の目次についても、「白馬で降りた王子」の(4)を追加しました。

 

 「白馬で降りた王子」は、(5)で完結する予定です。

 

 以前と同様、上の方に記載しているタイトルから新しい順です。

 

 もし、まだご覧になっていただいていない話がありましたら、お時間のある時、例えば、電車にご乗車になっていらっしゃる時に、暇つぶしにでも読んでいただければ幸いです。

 

 

 

「白馬で降りた王子」

 (1) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12428607797.html

 (2) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12463991385.html

 (3) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12559539565.html

 (4) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12610478507.html

 (5) 作成中


 

「武蔵野線のメルヘン」

 (1) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12176634149.html

 (2) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12196404544.html

 (3) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12235797148.html

 (4) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12272273692.html

 (5) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12349775248.html

 

「マイホームは12号車」 ~電車とともに歩み、電車とともに旅にでる~

 (1) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12027723671.html

 (2) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12030114406.html

 (3) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12041112270.html

 (4) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12075278617.html

 (5) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12076401534.html

 

「ウルトラスーパーひたち」

 (1) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11925262252.html

 (2) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11925264383.html

 (3) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11925267757.html

 (4) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11925270465.html

 (5) ~時刻表~

     http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11925270945.html

 (6) ~竜田駅と移設先で建設が進む坂元駅の現在の様子~

     http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11925273489.html

 

寝台特急「山手線」

 (1) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11846757125.html

 (2) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11846762822.html

 (3) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11846767332.html

 (4) http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11846793603.html

 (5) ~時刻表~

     http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11846802568.html

 (6) ~あとがき~

     http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-11846807492.html



 

 ときひろ.ねっと

 

「白馬で降りた王子」(4)

 こんにちは。

 

 もう誰も覚えていらっしゃらないかと思いますが、「白馬で降りた王子」の(4)がやっと書けました。

 

 この「白馬で降りた王子」は、新宿から松本経由で大糸線へ向かう夜行列車の話です。(1)は昭和39年ごろの急行「白馬」、(2)は昭和61年ごろの急行「アルプス」、(3)は1回とんで、今回の(4)で平成30年ごろの臨時快速「ムーンライト信州」へと続いています。

 今のところ、次回の(5)で完結するつもりでおりますが、(4)がやっと書けたばかりで、(5)はいつになるのか自分でもわかりません。

 

 また、これもいつものことですが、今回も結構長くなってしまいました。お時間のあるとき、例えば、電車にご乗車になっていらっしゃる時に、暇つぶしにでも読んでいただければ幸いです。

 

 なお、(1)~(3)をご覧になっていらっしゃらない方は、お手数ではございますが、(1)から順に読んでいただければ幸いです。

 といいますか、どちらにしても物語としてはまだ途中ですので、最後までいってからまとめて読んでいただくでも結構でございます。

 

「白馬で降りた王子」

(1) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12428607797.html

(2) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12463991385.html

(3) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12559539565.html

(4) 今回

(5) 作成中

 

 今までに書いたフィクションは、ブログテーマ「創作列車」にまとめています。こちら↓↓が、その目次です。

 

「創作列車」 目次

http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12196772783.html

 

 

-----------

 

《物語の時代》

 少し昔 ~ 少し未来

 ※ 本章は、平成30年ごろをイメージしています。

 

《登場列車》

 臨時快速「ムーンライト信州81号」(オレ) ・・・ (四)

 ※ 新宿 23:54 →(松本経由)→ 白馬 5:40 間の夜行列車
 ※ 189系で運行

 

 

 

《登場人物》

 男1(私/オマエ/アイツ) ・・・ 主に(一)(二)(三)

 男2(俺) ・・・ 主に(三)(四)(五)

 

 

(四)

 

 23時54分、臨時快速「ムーンライト信州81号」は新宿駅を発車した。

 

 母さんから電話がかかってきた。いつもなら「もう家か?」「まだ外なら後でいい」と、気を使ってくれる。「最近どうか?」「正月には帰ってくるか?」と、そんな話をする。でも、今夜は違っていた。

 地下道を新宿駅へ向かっていた。ここは人が多すぎる。まわりが煩い。ヒールや革靴の底が地下道のタイルを叩く音。足取りの覚束ない男の喚き声。母さんのか細い声が続く。

 母さんが、俺にアイツの話をすることはなかった。母さんなりに、俺に気を使ってくれていた。俺だって分かっていた。だが、今夜は違った。

 いつの間にか東口の改札に着いていた。丸ノ内線の改札のところで左に折れ、階段を上ったはずだ。無意識のうちに歩いていた。数えきれない人たちが俺を追い抜き、自動改札に吸い込まれていく。自動改札の前で、俺だけが突っ立っている。

 誰だって歳をとる。もちろんアイツだってそうだ。あちこちにガタがきてもおかしくない。病気になってもおかしくない。でも、それを俺に言われても、俺に泣き言を言われても・・。それほど余裕がないのか。そんなに大変なのか。電話を切った後も、頭から離れない。

 いつも通り自動改札に定期をタッチし、中央線快速のホームに向かう。とりあえず、今夜は家に帰ろう。家に着いたら、俺から母さんに電話して、もっと話を訊いてみてもいい。

 

 いや・・、違う。そうじゃない。

 母さんは、今すぐにでも俺に帰ってきてほしいんじゃないのか。はっきりとは言わなかったが、それは母さんだからじゃないのか。それが分かっていて、俺は何もしないのか?

 俺は引き返すことにした。せめて、窓口の駅員に訊いてみるぐらいはしてみてもいいんじゃないか。そうだ、訊くぐらいはしてみるべきだ。俺は走りだした。今さっき通過した自動改札をもう一度走って通り抜ける。東口の「みどりの窓口」はまだ開いていた。

 今夜は、あの夜行列車が運転される日がどうか?

 もし、今夜は運転されないなら、それは仕方がない。明日の朝の特急でも昼には白馬駅に着ける。それでも充分なんじゃないか。母さんだって、喜んでくれるんじゃないか。

 だが違っていた。今夜は、あの夜行列車の運転日だという。しかも、キャンセルが出たらしく、1席空いているという。いや、もう発券されていた。「みどりの窓口」を出た後、俺は母さんに電話した。

 

 その最後の1席は、通路を挟んで左側の通路側の席だった。俺の左隣、窓側の席はまだ空いている。

 この白馬行きの臨時快速には、何度か乗ったことがある。滅多に帰省なんてしなかったが、俺だって、たまには母さんに顔を見せておかないとな。この列車は、朝早く着いてくれるから都合がいい。母さんに顔だけ見せて、夕方の列車で白馬駅を出れば、普通列車を乗り継いでもその日のうちにこちらに帰ってくることもできる。

 

 

 

 立川駅に停車した。何人か乗ってくる人がいた。

 八王子駅で席が埋まった。俺の左側の席の人もここで乗ってきた。

 遅い時間だが、この列車には立川や八王子からでも乗ってくる人たちがいる。

 車掌が車内をまわり、検札をしている。それも終わると静かになった。

 

 夜が更けていく。車内は明るい。この列車では車内の灯りを暗くすることはしない。

 電車のモーター音が響く。床下から振動が伝わってくる。時折、トンネルを通過する。

 1時をまわった。話をする人もいない。静かだ。

 外は真っ暗だ。左の窓を見つめても、通路を挟んだ右側の窓を覗きこんでも、俺の顔が映る。何にも見えない。他にすることもない。つい昔のことを考えてしまう。座席に座ったまま眠るのは得意じゃない。

 

 

◇◇◇

 

 

 みんな知っているかい?

 オレはとても人気があるんだ。鉄道ファンの人たちにね。

 その昔、昭和の時代から、東北本線や、上越線、信越本線、常磐線に中央本線、そういった東京と地方を結ぶ花形の特急列車として活躍した、「特急形電車」の最後の生き残りなんだ。

 「特急形電車」と一言で言っても、形式で言えば、181系、183系、485系、489系の先輩たちに、そしてオレ、つまり189系と、いろいろあった。でも車体には、みんなでお揃いのクリーム色に赤のラインをまとい、それが当時の特急列車の標準カラーでありステータスでもあった。形式の違いなんて知らない人でも、見れば特急だってすぐにわかったのさ。あのころが、オレたち「特急形電車」の黄金時代だったと言っても、決して言いすぎではないだろう。

 でも、181系、183系、485系、489系といった先輩たちも、オレと同じ189系の仲間たちも、オレ以外はもうみんな引退しちゃった。

 だから、古い時代を知っている人たちは懐かしくて、今しか知らない人は珍しくて、みんなオレに乗りたがるんだよ。その証拠に、今夜のようにオレが臨時快速「ムーンライト信州81号」として運転する日は、その一ヵ月前の指定席の発売日には、発売と同時に切符が売り切れちゃうんだ。

 でも、人気があるからといって、毎日運転するなんてそんな安っぽいことはしないんだ。たまにしか運転しない方が、希少価値があるからね。

 

【参考】臨時快速「ムーンライト信州81号」時刻表

 

 

 

 オレはもともと、主に上野-長野 間の特急「あさま」として活躍していた。

 「碓氷峠」って、知っているかい? 最近の若い人たちは知らないかもな。

 信越本線の横川駅から一つ隣の軽井沢駅まで、つまり、群馬県と長野県の県境を挟むたった11.2kmの間に標高差552mも登っていかなければならない。最大66.7‰(パーミル)もの急勾配で、もちろん我が国の鉄道界きっての難所だった。それが碓氷峠なんだ。

 明治の昔、初めて横川-軽井沢 間に鉄道が開通したときは、当時、我が国で唯一の「アプト式」という特殊な方式が採用された。

 「アプト式」というのは、2本のレールの間に、ラックレールと呼ばれる歯の付いた軌条を設置し、機関車の側に設置した歯車とかみ合わせて進んでいく。そのラックレールも専用の蒸気機関車も、当時は全て外国から輸入したんだって。

 それでも当時はノロノロ運転で、横川-軽井沢 間の一駅に90分もかかったそうだ。その後、電化されてスピードアップもしたらしいけど、「アプト式」という特殊な技術では限界もあったんだよね。

 そこで、昭和38年に一部を新線に切り替えた上で「アプト式」は廃止になり、EF63電気機関車が重連で、横川→軽井沢の上り勾配は後押しし、軽井沢→横川の下り勾配はブレーキの役目を果たしながら牽引する方式に変わった。

 でもその方法だと、たとえ電車やディーゼルカーであっても、横川-軽井沢 間はEF63の力だけで勾配を上ったり下ったりしなければならなかった。そのため、電車は8両まで、ディーゼルカーは7両までというように、連結できる両数に制限があった。

 昭和41年に上野-長野 間に特急「あさま」が誕生したんだけど、その時は先輩の181系で8両編成だった。でも、当時、特急列車で8両というのは、特急列車としては例外的だったんだ。他の特急列車は、12両ぐらいは当たり前の時代だったからね。その結果、やはり輸送力が問題になった。

 

 その輸送力の問題を解決するために、「協調運転」という方式が開発された。

 「協調運転」とは、一言で言うと、電車とEF63が、力を合わせて上り勾配を上ったり、一緒にブレーキをかけながら下り勾配を下っていく、という方式なんだ。

 横川→軽井沢なら後ろに連結した2両のEF63のうち後ろ側のEF63から、軽井沢→横川なら先頭に連結した2両のEF63のうち前側のEF63から、もう一両のEF63と電車の動力を一括して制御することができる。そうすることで、パワーアップにもなるし、安全性も高まる。そして、輸送力も増強できる。

 この「協調運転」のおかげで、横川-軽井沢 間を通過する電車は、最大12両まで可能になった。ちなみに、横川-軽井沢 間の所要時間は、下り列車(上り勾配)横川→軽井沢が17分、上り列車(下り勾配)軽井沢→横川が24分だった。明治のアプト式の時代に比べれば、ずいぶん速くなったよ。ちなみに、下り勾配の方が時間がかかるのは、ブレーキが利かなくなると困るから、その分、ゆっくり慎重に走るからなんだ。

 この「協調運転」は、まず急行形の169系に取り入れられ、続いて上野-金沢 間を結ぶ特急「白山」に投入された489系と、順番では先を譲ったけど、昭和50年、満を持して、主に特急「あさま」用としてオレたち189系が投入された。

 その後、特急「あさま」は運転本数を増やし、最盛期には1日に19往復も運転されるようになった。

 上野駅から長野駅へ向かう下りの特急「あさま」では、横川駅で後ろにEF63を2両連結し、「ワッショイ! ワッショイ!」って力を合わせて登っていくんだ。ああ、あのころが懐かしいなあ。

 

 

【参考】臨時快速「ムーンライト信州81号」編成

 1号車 クハ189 510 普通車・指定席

 2号車 モハ188 40  普通車・指定席

 3号車 モハ189 40  普通車・指定席

 4号車 モハ188 32  普通車・指定席

 5号車 モハ189 32  普通車・指定席

 6号車 クハ189 9   普通車・指定席

 

 ※ ク ・・・ 運転台付(先頭車)

   モ ・・・ 電動車

   ハ ・・・ 普通車

 

 

 そうそう、横川駅の「峠の釜めし」って知っているかい?

 容器にはちゃんと益子焼の釜が使われていて、中は炊き込みご飯の上に鶏肉や牛蒡、椎茸、うずらの卵、栗、杏子などが載っているんだ。横川駅では、EF63を連結したり切り離したりするために、特急でも停車時間をとるからね。その間にホームで買って、「あさま」の車内で食べると、なおさら美味しく感じるんだ。ああ、いい時代だったなあ。

 

 時代が移り変わっていくにつれ、次第に特急「あさま」も高速バスとの競争にさらされるようになっていった。

 もちろん負けちゃいない。まず、座席を交換したり、シートピッチを拡大したりして、車内の設備をグレードアップした。グリーン車なんて、通路を挟んで2+2の4列だったのを、2+1の3列にしたんだぜ。それから、車体の塗装だって、それまでのクリーム色の赤のラインの「国鉄色」と呼ばれた伝統的なカラーから、白地にグラスグリーンとグレーのラインに変更して、「オレはちょっと特別だぜ!」って、個性を出した。その「あさま」独自の塗装は「あさま色」とも呼ばれ、今のオレの塗装がその「あさま色」なんだ。

 

 

 

 そう、オレたちだってがんばったんだよ。でも、平成9年だった。長野まで新幹線が開業すると、それと同時に特急「あさま」はみんな廃止になってしまった。それどころか、横川-軽井沢 間に至っては、その一駅間だけ路線そのものが廃止になってしまった。この一駅間だけでも相当な経費がかかっていたからね。新幹線ができて、特急列車のお客さんがみんなそっちへ移ってしまうと維持することができない、と判断されたんだ。

 オレたち189系は、廃車になったものもあれば、他の路線に主に波動用として転属していったり、オレみたいにグリーン車なしの6両に減車したうえで長野地区のローカル線で細々と地域輸送に従事したりと、とにかく地味な存在になってしまった。

 この「ムーンライト信州」だって、鉄道ファンの人たちには人気があっても、特急形電車として一時代を築いたオレにしてみれば、場末の臨時快速でしかない。

 

 「ムーンライト信州」よりも前の時代には、急行「アルプス」っていう列車があって、その「アルプス」やさらにその前身の列車が活躍していた時代には、山登りをする人たちや、冬のシーズンにはスキーをする人たちに、とても人気があったそうだ。当時は自由席もあったんだけど、席を確保できなかった人の中には、通路やデッキに新聞紙を敷いて横になる人もたくさんいたらしい。そんな人たちは、みんな何処へ行っちゃったんだ? オレのお客さんは、物好きな鉄道ファンの人たちばかりだ。

 

 もうオレの時代は終わったのさ。とっくに時代遅れになっていた。

 結局、何が正解なんだい?

 豪華な列車ならいいのかい? それとも格安の高速バスならいいのかい?

 そんなのわからないよ。それがわかれば苦労なんてしないよ。

 

 

◇◇◇

 

 

 4時35分、「ムーンライト信州81号」は、松本駅を発車した。

 松本駅でかなりの人たちが降りていった。俺の左隣の席も空いた。残った人たちも、洗面所へ行ったり、荷棚に上げた荷物を降ろしたり、少しばかりあわただしくなってきた。

 

 一晩中、ずっと昔のことを思い出していた。そして考えていた。

 

 5時4分、安曇沓掛駅を通過した。日が短い季節だ。外はまだ真っ暗だ。でもわかる。昔、この駅で降りた。あれから何年経った?

 俺は、オマエが嫌いで仕方がなかった。どうしてもそうだった。俺がたまに帰省していたのは、母さんに顔を見せるためだ。オマエじゃない。

 でも白馬駅に迎えに来るのは、いつもオマエだった。そのたびに、オマエが何か理由をつけて言う。

 

 ***

 

 「母さん、ちょっと具合が悪くてな」

 

 「朝ごはん、まだか?」

 

 「そうだ、そばでも食っていくか?」

 

 「そこのそば屋、いつもは昼からなんだが、夜行がある日だけは、その到着にあわせて朝もやっているんだ」

 

 駅前広場の一角に小さなそば屋がある。入口の窓から見えるカウンターの席に、2、3人ほど客がいる。俺と同じ列車でやってきた人たちかもしれない。

 

 「夜行列車から降りて朝一で食うと、とても美味いんだよ。昼に食うと普通なんだけどな」

 

 「そうか・・、まあいい、家に帰れば何か残りものぐらいあるだろう」

 

 「後で、何か買いに行ってもいい」

 

 ***

 

 5時25分、簗場駅を通過した。外はまだ暗い。でもわかる。昔、この駅で降りた。そして歩いた。

 左側の窓に俺の顔が映っている。その窓に顔を寄せ、目を凝らす。車内の灯りが、線路脇に積もった雪たちを照らしていく。その先の灯りが届かない暗闇の中へ、さらに目を凝らす。

 小さな中綱湖を一瞬で通り過ぎる。大きな青木湖が浮かび上がる。昔のことを思い出す。子どものころのことを思い出す。暗闇の中にその景色たちが映し出されていく。

 

 いつも考えていた。来る日も来る日も考えていた。母さんにとって、オマエと出会って良かったことはなんだ? そう俺自身に問いかけてきた。

 

 オマエが男の責任をとること。

 

 オマエが母さんの面倒をみること。

 

 母さんがずっと安心して暮らせること。

 

 そうやって、一つ、一つ、ひねり出してきた。

 何もかも途中じゃないか。ここで終わっていいのか。オマエはそれでいいのか。俺がオマエを嫌いだとしても、それが途中で終わっていい理由になるのか。少しぐらい、認めてやればよかったのか。

 最近、オマエの具合がよくないのは、なんとなく知っていたよ。もう一年ぐらい前だ。オマエが白馬駅に迎えに来た時、妙に痩せたな、と思ったんだ。顔色もよくなかった。俺に何か言いたそうだった。少しぐらい、聞いてやればよかったのか。

 昔、母さんと俺とオマエと三人で歩いた、あれっ、どうなったのかな? あの後、母さんとオマエは、どこまで一緒に歩いたんだ? 俺は・・、そんなことも知らないのか。

 

 終点の白馬駅へ近づいている。外はまだ暗い。小さな灯りたちが点々と流れていく。みんな知っている街の灯りたちだ。速度が落ちていく。最後の踏切を通過した。

 

 5時40分、「ムーンライト信州81号」は、終点の白馬駅に到着した。

 左側のドアが開く。まとめるほどの荷物もない。人の後に続いてホームに降りる。新宿の夜とは比べ物にならない寒い朝だ。

 改札口に列ができている。一人ずつ駅員に切符を渡していく。

 待合室はいっぱいだ。後続の普通列車に乗り換える人はここで待つ。

 駅舎の外に出だ。タクシーのトランクに、荷物を積み込もうとしている人がいる。迎えの車が来た人もいる。

 雪が舞い始めた。これから本格的に降るのか? それとも止むのか? まだ暗いこの空はどっちの空なんだ?

 駅前広場の小さなそば屋は、今朝もやっているようだ。暖簾が出ている。入口の窓から灯りがもれている。

 急がなきゃな、母さんが待っている。

 俺は一人、歩きだした。

 

 

 

 

 

---

 

 (5)へ続きます。

 

 

《年表》

 以下、年表です。(主にこの章に関する部分)

 

 1893年(明治26年) (碓氷峠) 横川-軽井沢 間 が開業

                      ※ アプト式 ラックレール

                         専用の機関車を補機として連結

 1912年(明治45年) (碓氷峠) 横川-軽井沢 間 電化

 1963年(昭和38年) (碓氷峠) 横川-軽井沢 間 「アプト式」廃止、新線に切り替え

                      ※ EF63 2両を連結して運行

 1966年(昭和41年) (碓氷峠) 横川-軽井沢 間 複線化

                      特急「あさま」デビュー 181系8両

 1968年(昭和43年) (碓氷峠) 同区間の急行が169系に置き換え

                      EF63との「協調運転」開始

 1975年(昭和50年) (碓氷峠) 特急「あさま」189系に置き換え

 1997年(平成9年)  (碓氷峠) 長野新幹線開業

                      横川-軽井沢 間 廃止、特急「あさま」廃止

 2002年(平成14年) (ムーンライト信州) 急行「アルプス」廃止

                            臨時快速「ムーンライト信州」を週末等に運行

 2018年(平成30年) (ムーンライト信州) 現時点では最後の運行

                            ※ 新宿駅 12月30日発

 

 

《補足》

 本章の内容について、一部、写真などを利用して補足させていただきます。

 

① 「ムーンライト信州」

 

 「ムーンライト信州」は、2002年(平成14年)から、主に、新宿-白馬 間に運行された、臨時でかつ夜行の快速列車です。それまでの急行「アルプス」を置き換える形で誕生しました。

 快速と言っても、車両はかつて特急として活躍していた、183系や189系を使用しました。特に近年は、それらの国鉄時代の車両たちが引退していく中で、最後に残った長野総合車両センターの189系N102編成を使用し、鉄道ファンの方々にとても人気がありました。実際、切符を買うのはとても大変で、運転日の一ヵ月前の午前10時には、指定席の発売開始とほぼ同時に売り切れました。

 189系は、かつて主に上野-長野 間の特急「あさま」として活躍した車両です。1997年(平成9年)の長野新幹線(正式には北陸新幹線)の開業とともに在来線の特急「あさま」は廃止になり、189系は波動用などにまわることになりました。その最後の生き残りが「ムーンライト信州」だったわけです。

 

  

  

  

 

 「ムーンライト信州」は、現時点では、2018年12月30日、新宿駅発、白馬行きの列車を最後に、その後は運行されていません。かつて「ムーンライトXX」という列車はいくつもありましたが、現役の「ムーンライトながら」(*1)以外の各列車は、特に事前に告知されることなどなく、いつの間にか運転されなくなりました。「ムーンライト信州」も、あるいは後継の別の列車であったとしても、もう運行されることはないのでしょうか?

 なお、「ムーンライト信州」に最後に使用されていた189系N102編成は、すでに2019年6月25日付けで廃車になっています。

 

 (*1) 「ムーンライトながら」も、今夏は運転されないようです。

 

② 189系と特急「あさま」

 

 189系は、1975年(昭和50年)に、主に特急「あさま」用として誕生しました。

 特急「あさま」は、1966年(昭和41年)に、上野-長野 間に誕生した特急列車でしたが、信越本線の横川-軽井沢 間の碓氷峠を通過しなければなりませんでした。

 信越本線の碓氷峠は、当時、我が国の鉄道にとって最大級の難所で、最大66.7‰(パーミル)もの急勾配であったと言われています。群馬県側の横川駅と長野県側の軽井沢駅との間は、直線距離なら8.5kmほどしかありませんが、標高差はなんと552mもあり、横川駅から軽井沢駅へ向かう列車は急な上り坂を、その逆に軽井沢駅から横川駅へ向かう列車は一方的な下り坂を進んでいかなければならないわけです。

 そのため、横川-軽井沢 間の一駅間には、特殊な技術が使われていました。そもそも、明治期に横川-軽井沢 間が開通した際には、我が国で初めて「アプト式」(下記③を参照)が採用されました。その後、1963年(昭和38年)には、新線に切り替わると同時にアプト式は廃止になりましたが、それでも難所であることに変わりはなく、横川-軽井沢 間の一駅間だけ、横川駅側に専用のEF63電気機関車を連結し、上り坂はEF63が後ろから押し上げ、逆に下り坂では先頭のEF63がブレーキの役目を果たすという方式がとられました。

 ですが、その方式では、連結できる車両の数に制限があり、1966年(昭和41年)に、特急「あさま」が誕生したときに使用していた181系では、8両が限界でした。8両というのは、当時の特急列車としては短く、輸送力の点で問題がありました。

 その後、1968年(昭和43年)になると、単にEF63が後ろから押し上げたり、先頭でブレーキをかけたりするだけではなく、電車とEF63とが力を合わせて急勾配を行き来する方式、いわゆる「協調運転」が実用化されるようになりました。

 この「協調運転」が最初に導入されたのは、急行形の169系でした。その後、特急形の489系、そして189系の開発へと繋がっていきました。「協調運転」が行われるようになったことで、横川-軽井沢 間を通過する特急や急行は最大12両編成まで可能になり、輸送力が大幅に改善されました。


 特急「あさま」 1977年(昭和52年) 上野駅
 

  

 

 そんな特急「あさま」も、時代の流れとともに高速道路との激しい競争にさらされるようになりました、車両をリニューアルして、車内設備をグレードアップしたり、塗装を独自のいわゆる「あさま色」と呼ばれる塗装に変更して個性を打ち出したりしました。

 

 特急「あさま」(19997年(平成9年))

  1枚目:軽井沢駅 上り(上野行き)の「あさま」にEF63を連結する。

  2枚目:軽井沢駅から横川駅へ向かって下り勾配を下っていく「あさま」車内より。

      小さくてすみませんが、先頭にEF63が2両連結されています。

 

  

  

 

 そして、1997年(平成9年)に長野新幹線 高崎-長野 間(正式には北陸新幹線)が開業すると、在来線の特急「あさま」は廃止になり、「あさま」の名称は新幹線へ受け継がれました。

 

③ 「碓氷峠鉄道文化むら」と保存されている車両たち

 

 (こちらの写真は、すべて2018年12月24日に撮影したものです)

 

 信越本線 横川駅の近くには、「碓氷峠鉄道文化むら」という施設があり、ご当地のみならず全国で活躍していた車両が保存されていたり、かつての横川-軽井沢 間の廃線の一部を利用して運行しているトロッコ列車に乗車したりすることができます。

 

 アプト式とED42

 

 上記②でも触れた「アプト式」は、2本のレールの間に、ラックレールと呼ばれる歯の付いた軌条を設置し、機関車の側に設置した歯車とかみ合わせる方式です。

 信越本線の横川-軽井沢 間では、1893年(明治26年)の開業時から、この「アプト式」が採用されました。当時は、ラックレールも専用の蒸気機関車も、すべてドイツから輸入したそうです。

 1912年(明治45年)には、横川-軽井沢 間が電化され、この区間専用の電気機関車が導入されますが、その電気機関車もドイツから輸入したそうです。しかし、後に、輸入した電気機関車を参考に、国産化されるようになりました。

 その国産化の2代目の電気機関車が ED42 ですが、ありがたいことに、碓氷峠鉄道文化むらに保存されています。また、写真のように、アプト式の線路も復元され、当時を偲ぶことができるようになっています。

 

 1枚目:碓氷峠鉄道文化むらに保存されている ED42 1

 2枚目:ED42 1 のアプト式用の歯車

 3枚目:碓氷峠鉄道文化むらに復元されたアプト式の線路 

 

  

  

  

 

 トロッコ列車

 

 こちら↓↓が、碓氷峠鉄道文化むらのトロッコ列車です。かつての信越本線の横川-軽井沢 間の下り線の一部、2.6kmほどを使用しています。ちなみに上り線は遊歩道になっています。途中には、国から重要文化財に指定されている、旧丸山変電所を通ります。丸山変電所は、1912年(明治45年)の横川-軽井沢 間の電化時から、1963年(昭和38年)まで、電力を供給しました。一部とはいえ、このように保存かつ再利用してくださり、とてもありがたいです。

 

 1枚目:碓氷峠鉄道文化むらのトロッコ列車

 2枚目:トロッコ列車乗車車内より

 

  

  

 

 トロッコ列車は、休日など一部の日のみ運行されているようです。おでかけの際はご注意ください。

 

④ 峠の釜めし

 

 言わずと知れた、横川駅の「峠の釜めし」です。

 「峠の釜めし」は、「釜めし弁当」という名で、1958年(昭和33年)、まだ横川-軽井沢 間が「アプト式」だった時代にできた駅弁です。

 それまで横川駅でも幕の内弁当などを売っていたらしいのですが、せっかく機関車を連結したり切り離したりするための停車時間があっても、下り列車なら高崎駅までに、上り列車なら軽井沢駅までに、駅弁なんて買ってしまうらしく。当時は横川駅でわざわざ駅弁を買う人なんてそんなにいなかったそうです。

 それで、他とは違う駅弁を作るぞ! って、できたのが「峠の釜めし」なんですね。それでも、当時は釜容器の駅弁なんて前例がなく、また当時の駅弁にしては価格設定も高め(当時の駅弁は、普通で80円、少々よい駅弁で100円、という時代に120円という価格にしたそうです)だったこともあり、当時の高崎鉄道管理局に許可をもえるまで、試作品を何度も持ち込むなど大変な苦労があったそうです。

 さらに、発売当初は知名度もなかったために、1日に30個作っても10個売れるかどうか、だったとのこと。

 それが、週刊誌のコラムに取り上げられたことをきっかけに、急激に売れるようになり、誰でも知っている駅弁の仲間入りをしたそうです。

 

 ※ こちら↓↓の写真は、10年以上昔で2008年に、長野駅から乗車した新幹線「あさま」の車内で購入したものです。探したのですが、これしか撮影したものがありませんでした。もし、その後変わった点がありましたら、すみません。

 

  

  

 

 「峠の釜めし」と言えば、もちろん益子焼の釜容器ですが、近年は、この↓↓ような環境に配慮した紙製の容器を使用したものも販売されています。容器は違っても、中身は同じだそうです。

 近年、東京駅の「駅弁屋 祭」でも「峠の釜めし」を購入することが可能ですが、私が知る限り、直近ではこの紙製の方しか入荷していないようです。

 

 ※ こちら↓↓の写真は、東京駅の「駅弁屋 祭」で購入したものです。

 

  

  

 

 益子焼の容器を期待して、紙製の方しかないと残念かもしれませんが、軽くて持ち運びにもよいですし、捨てるのにも困りませんし、これはこれでよいのではないでしょうか。

 

 

《参考にさせていただいた書籍等》

 

 最後にまとめて掲載する予定です。
 

 

 

 ときひろ.ねっと

 

今日は電車に乗りませんでした

 まさか、こんなことをアピールする日がくるとは、

 

 もちろん、ここんとこ何処にも出かけてませんが、

 

 

 

 私の職場でも影響が出始め、

 

 来週以降、ゴールデンウィークあけまで、交代制での勤務になりました。

 

 ゴールデンウィークあけまで、私の勤務は5日だけになります。

 

 それ以外は、全部休みです。

 

 

 でも、仕事がなくなるなど、すでに影響が出ている方々のことを思うと、、

 

 

 なんとか、少しでも、少しずつでも、よい方向に、、と思うばかりです。

 

 

 

 ときひろ.ねっと

 

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