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「創作列車」 目次 (2021/02/08更新)

 こんばんは。

 いつもご覧いただき、ありがとうございます。

 先日、「白馬で降りた王子」の(5)を公開させていただきました。

 以前から作成しているブログテーマ「創作列車」の目次についても、「白馬で降りた王子」の(5)を追加しました。

 

 ● 創作列車について ●

 私も鉄道ファンですので、自慢できるほどではありませんが、少しはいろんな路線やいろんな列車に乗ってきました。

 はじめのころは、「あれも乗った、これも乗った」と、乗った路線の数を数えたり、乗った距離を計算したり、はたまたその様子をこのブログに写真をまじえてアップしたり、といったことが楽しくて仕方ありませんでした。

 ですが、そんなことを繰り返していくうちに、私の中に疑問が芽生えてきました。疑問といっても自分でもよくわかりません。漠然と、それが何なんだろう?みたいな感じです。

 それでも、最初のうちは無視することができました。あの路線にも乗りたい、あの列車にも乗りたい、と思う気持ちの方が強く、小さな疑問なんて無視することができたのです。

 しかし、いろんな路線や列車に乗れば乗るほどその疑問が大きくなっていき、いつのころからか真剣に向き合わざるをえなくなっていきました。

 私は今から10年以上前、40歳の時に当時のJR全線をやっとことさで完乗しました。「よ~し!JR線全部乗るぞ!」というのが、当時の私には大きな目標でした。JR線を完乗したあと、私は「よ~し! これからはJR以外にも全部乗るぞ!」と、私鉄や地下鉄、モノレールやケーブルカーなどにも、範囲を拡げて乗ることにしました。

 でも、そうやって範囲を拡げても、私の中の疑問は解決しませんでした。というよりも、なおさら大きなものになっていきました。「全部ってなんだろう?」「そんなに価値があることをやっているのだろうか?」、そんな感じです。全部と言っても、自分でその範囲を決めているわけですし、「結局、乗れるものにしか乗っていなんじゃないか?」、「自分以外の誰かが走らせくれる列車に乗せてもらっているだけなんじゃないか?」、よく「やればできる」って言いますが、「そもそも、やればできることしかやらなければ、やればできるにきまっているんじゃないか」、「本当に価値のあることは、やってもできないことにあるんじゃないか」、もう収拾がつかなくなってしまいます。

 ただ、私の中で1つたどり着いたことがあります。「俺が走らせるところからやれば、俺はどんな列車にでも乗れるんじゃないか」、それがこの「創作列車」の出発点です。もちろん、それは私にとってとても大変なことです。とてもハードルが高いです。でも、ここからここまでの範囲で全部なんてもうありません。誰かが走らせてくれるかどうかなんて関係ありません。やれるだけやる、行けるとこまで行く。そんな感じになってきました。

 

 

 

「白馬で降りた王子」

新宿から松本経由で大糸線へ向かう夜行列車の話です。(1)は昭和39年ごろの急行「白馬」、(2)は昭和61年ごろの急行「アルプス」、(3)は1回とんで、(4)で平成30年ごろの臨時快速「ムーンライト信州」へと続き、そして(5)で少し未来の話になります。

 (1) 第1話 急行「第2白馬」 編 ~昭和39年ごろ~

 (2) 第2話 急行「アルプス9号」 編 ~昭和61年ごろ~

 (3) 第3話 塩の道 編

 (4) 第4話 臨時快速「ムーンライト信州81号」 編 ~平成30年ごろ~

 (5) 第5話 臨時快速「××××号」 編 ~少し未来~

 


 

「武蔵野線のメルヘン」

武蔵野線で活躍していた205系の話です。武蔵野線で活躍していた205系には、山手線から転属した車両もあれば、武蔵野線オリジナルの車両もありました。そんな車両たちが、日々、わいわい語りあいながらがんばっています。そして、さらに山手線に新型車両が投入されることになり・・、という話です。

 (1) 第1話 先輩(山手線からの転属組) 編

 (2) 第2話 後輩(武蔵野線オリジナルの205系) 編

 (3) 第3話 年に一度の終夜運転 編

 (4) 第4話 深夜の車両基地 編

 (5) 第5話 南の国 編 ~少し未来~

 

「マイホームは12号車」 ~電車とともに歩み、電車とともに旅にでる~

山手線の一番後ろにもう1両連結されていて、それが家で住んでいる人がいる、という話です。

 (1) 第1話

 (2) 第2話

 (3) 第3話

 (4) 第4話

 (5) 第5話

 

「ウルトラスーパーひたち」

常磐線が全線で復旧する日、新しく登場する特急列車の1番列車に乗車する話です。

 (1) 第1話

 (2) 第2話

 (3) 第3話

 (4) 第4話

 (5) ~時刻表~

 (6) ~竜田駅と移設先で建設が進む坂元駅の現在の様子~

 

寝台特急「山手線」

山手線を一晩中、ぐるぐる回っている寝台特急の話です。

 (1) 第1話

 (2) 第2話

 (3) 第3話

 (4) 第4話

 (5) ~時刻表~

 (6) ~あとがき~



 

 ときひろ.ねっと

 

「白馬で降りた王子」(5)

 こんにちは。

 

 3年前から取り組んできました「白馬で降りた王子」が、やっと完結しました。

 

 この「白馬で降りた王子」は、新宿から松本経由で大糸線へ向かう夜行列車の話です。(1)は昭和39年ごろの急行「白馬」、(2)は昭和61年ごろの急行「アルプス」、(3)は1回とんで、(4)で平成30年ごろの臨時快速「ムーンライト信州」へと続き、そして今回の(5)で少し未来の話になります。

 お時間のあるときに、読んでいただければ幸いです。
 
 なお、(1)~(4)をご覧になっていらっしゃらない方は、お手数ではございますが、(1)から順に読んでいただければ幸いです。
 

「白馬で降りた王子」

(1) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12428607797.html

(2) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12463991385.html

(3) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12559539565.html

(4) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12610478507.html

(5) 今回

 

 今までに書いたフィクションは、ブログテーマ「創作列車」にまとめています。こちら↓↓が、その目次です。

 

「創作列車」 目次

 

 

-----------

 

《物語の時代》

 少し昔 ~ 少し未来

 ※ 本章は、少し未来の○○××年ごろをイメージしています。

 

《登場列車》

 臨時快速「××××号」

 ※ 新宿 23:×× →(松本経由)→ 白馬 5:×× 間の夜行列車

 ※ ×××系で運行


《登場人物》

 男1(私/オマエ/アイツ) ・・・ 主に(一)(二)(三)

 男2(俺) ・・・ 主に(三)(四)(五)

 

 

(五)

 

 午前0時をまわった。この列車はまだ発車しない。

 新宿駅の9番線は、最終列車の出発を静かに待っている。列車の発車時刻と行先を示すホーム上の電光掲示板には、この列車しか表示されていない。この白馬行きの臨時快速は、今夜、この長距離列車用のホームから出発する最後の列車だ。

 空席ばかりの車内に放送が流れる。遅れている山手線からの乗り継ぎの客を待つという。同じ内容の放送をすでに2回聞いた。

 今日は寒かった。この冬一番の寒さになると、予報で言っていた。夜になって一段と冷え込みが厳しくなった。ホームで待つのは寒い。列車の中は暖かい。

 右側の窓に映る中央線の上りホームは、東京行きの電車を待つ人たちが列を作っている。左側の窓に映る中央線の下りホームや、その先の山手線、総武線のホームは、帰りの電車を待つ人であふれている。左右の窓に映る景色は別の世界だ。

 山手線の外回りのホームに電車が到着した。一つ手前のホームにも内回りの電車が入ってきた。あの電車たちを待っていたのか、9番線にも出発を知らせるメロディが流れる。乗り遅れそうになった人がいたのか? 少し間が空き、もう一度メロディが流れた。そして今度こそドアが閉まり。列車は動き出した。

 

 0時×分、白馬行きの臨時快速「××××号」は10分遅れで新宿駅を発車した。

 遅れていた山手線から乗り継ぐ人はどのくらいいたのだろう? 俺と同じ車両にも三人かけこんできた。それでも俺の周りは空席ばかりだ。前も後ろも、右側の通路側の席もみんな空いている。

 放送が流れ、新宿駅の出発が遅れたことを詫びている。街の灯りが流れていく。中野、高円寺、阿佐ヶ谷と通過していく。スピードはあがらない。少し行っては徐行し、少し行っては徐行し、を繰り返している。荻窪を通過、西荻窪を通過、吉祥寺も通過・・、三鷹の手前で一瞬停車した。先に発車していった中央線の通勤電車を追い抜くことはしない。

 この列車には、何度か乗ったことがある。昔はもっと違う車両だった。列車名も違ったように思う。時刻も少し違っていたかもしれない。この列車を利用すると、白馬駅に朝早く到着することができる。それは、昔も今も変わらない。

 ずっと考えていた。長い間、迷っていた。母さんに電話した。二日前の仕事帰りだ。母さんのいつものか細い声だった。母さんはどう思うのか。母さんの反応が怖かった。電話ではわからない。電話では肝心なことは言えない。この列車で帰ることだけを伝えた。

 

 0時4×分、10分遅れのまま立川駅に到着した。ホームで待つ人はまばらだ。いくつか席がうまった。すぐに発車するのだろう。

 だが違った。発車のメロディの代わりに、また放送が入った。南武線の終電が遅れているため、その接続待ちをするという。南武線からこの列車に乗り換える人がいるのか。山手線といい南武線といい、今夜は何かあったのだろうか。仕方がない、まわりの乗客たちの中にも文句を言う人はいない。南武線の終電を静かに待つ。

 隣のホームに豊田行きの電車が入ってきた。この列車の後に新宿駅を発車した中央線の電車だ。深夜にもかかわらず下車する人が多い。あちらも南武線の接続待ちをするのだろう。

 だが違っていた。隣のホームに到着した豊田行きは、すぐに発車し行ってしまった。なぜ、あの電車は待たなくてよいのか? 南武線からあの電車に乗り換える人はいないのだろうか? 豊田行きから下車した人たちでホームが一瞬賑わったが、皆、階段を上って行ってしまうとまた静かになった。

 10分ほど待った。南武線のホームに電車が到着した。あれが遅れていた南武線の終電か。下車した人たちが、急ぎ足で階段を上っている。あの中に何人か、この臨時快速の切符を持っている人がいるのだろう。先頭集団が、こちらのホームの階段をかけ下ってくる。こんなにいるのか! 思ったよりはるかに多い。ホームに放送が流れる。

 

 「本日、中央線の豊田、八王子、高尾方面の電車はもうありません。日野、豊田、八王子、西八王子、高尾の各駅までご利用のお客様は、このホームに停車中の列車にご乗車ください。本日に限り、日野、豊田、西八王子、高尾の各駅にも臨時に停車いたします。中央線の八王子方面、高尾までの各駅までのお客様、この列車が本日の最終列車です。お乗り遅れのないようご注意ください。繰り返しご案内します。本日、高尾行き、豊田行きの電車はもうありません。・・・」

 

 乗っていいのか戸惑っている人もいれば、躊躇なく乗り込んでくる人もいる。空いている席に座っていいのか逡巡する人もいれば、ちゃっかり座ってしまう人もいる。

 車内にも放送が入る。今夜に限り、この列車が高尾までの最終列車であること、日野、豊田、西八王子、高尾の各駅に臨時に停車すること、高尾までの各駅まで乗車する人は指定席の切符はなくても利用できることを伝えている。

 さっきの豊田行きは中央線の終電だったのか。あの電車は先に行かせて、こちらは南武線の終電から乗り換える人たちのためにわざわざ臨時停車までするのか。何か釈然としない。

 ホームに発車のメロディが流れる。豊田行きに乗り換えたかった人たちはみんな乗ったのか? 乗り遅れた人はいないのだろうか? ホームの駅員に何やら確認している人がいる。放送だけではわからなかったのかもしれない。どうやら無事に乗り込んだようだ。

 発車のメロディが繰り返し流れる。乗るべき人はみんな乗ったと確認できたのだろう。駅員から車掌に合図が送られ、やっとドアが閉まった。

 

 立川駅で席がうまった。デッキに立つ人もいる。「南武線が遅れて酷い目にあった」、近くの席に座った人がそんな会話をしている。「間に合ってよかった」、そんな声も聞こえてきた。

 日野駅に停車した。今夜限りの臨時停車だ。下車した人たちが、急ぎ足で階段へ向かっている。

 続けて豊田駅にも停車。今夜限りの各駅停車だ。下車した人たちが、足早に階段へ向かっている。みんな少しでも早く家に帰りたいのだろう。

 

 

 

 1時×分、八王子駅に到着した。下車していく人が多い。立っている人はもういない。席も半分は空いた。すでに30分近く遅れている。すぐに発車するだろう。

 だが違った。発車のメロディの代わりに、また放送が入った。横浜線の終電が遅れているため、その接続待ちをするという。またか! どうなっているんだ。山手線といい南武線といい、そして横浜線といい、今夜はどうかしているんじゃないか。みんな怒りだすぞ!

 だが違っていた。不思議だ。文句を言う人はいない。みんな静かに待っている。

 横浜線のホームに電車が到着した。あれが遅れていた横浜線の終電か。先頭集団が、この列車をめがけて階段をかけくだってくる。ホームに放送が流れ、この列車が高尾までの最終列車であることを伝えている。

 あっという間に満員になった。デッキや通路に立つ人もいる。みんな安堵の表情を浮かべている。間に合ってよかった。乗れてよかった。みんな、そんな顔をしている。乗るべき人はみんな乗ったのだろう。遅れに遅れ八王子駅を発車した。

 西八王子駅に停車した。降りるべき人たちが、急ぎ足で階段へ向かっていく。

 続けて高尾駅にも停車。降りるべき人たちが、足早に階段へ向かっていく。先頭の何人かは、全力で階段を駆け上っていった。タクシーの争奪戦でもするのだろうか。

 高尾駅を発車した。東京への通勤路線はここまでだ。車内は静かになった。降りるべき人はみんな降りたのだろう。席もかなり空いた。俺の隣の席も空いている。

 

 さっきから気になっていた。なぜ、立川駅では後から来た豊田行きを先に行かせたのか?

 遅れていた南武線に、この列車の切符を持っている人がいたのは確かだろう。その人のために、この列車は立川駅で接続待ちをしなければならかった。

 しかし、遅れていた南武線から、先に行かせた豊田行きに乗り換えるつもりだった人もいたに違いない。いや、南武線の終電が時刻通りだったなら、もっと前に行ってしまった高尾行きの最終にも間に合うようになっていたのではないだろうか。

 豊田行きを待たせたところで、豊田よりももっと先の八王子、西八王子、高尾の各駅まで行きたい人たちを救済することはできず、かといって、その前の高尾行きから接続待ちをさせると、高尾行き、この列車、豊田行きの3つもの列車を待たせることになってしまい、それだけ多くの人に影響が及んでしまう。

 だが、この列車を、本来は通過してしまうはずの、日野、豊田、西八王子、高尾の各駅にも今夜に限って停車することにして、南武線の終電から先に発車していった高尾行きに乗り換えるつもりだった人たちもこの列車に乗ってもらうことにすれば、先に行った高尾行きも後から来た豊田行きも、南武線から乗り換える人たちを待つことなく時刻通りに運行できる。

 誰だって、少しでも早く家に帰りたいに違いない。この列車は、遅れていた南武線の終電に乗っていた人たちのためだけではなく、高尾行きや豊田行きの中央線の終電に乗っていた人たちのためにもなった、ということなのか。

 今夜は思わぬことばかりだ。新宿では出発が遅れ、立川で待ち、八王子でも待ち、日野、豊田、西八王子、高尾には臨時停車までした。でも、みんな、間に合ってよかった、乗れてよかった、ってそんな顔をしていた。

 

 列車は走り続けている。高尾から先はトンネルが多い。そして上り勾配が続く。いくつ目かのトンネルに突入した。電車のモーター音が、狭いトンネルの中で行き場を失う。長いトンネルだ。トンネルの内壁に跳ね返されたモーター音が、鼓膜を通して響いてくる。

 

 

◇◇◇

 

 

 気がつくとどこかの駅を発車しようとしていた。「こうふ」と書かれた駅名標が過ぎ去っていった。少しの間、眠っていたようだ。不思議だ。いつの間にか席が埋まっている。

 

 本当は、なんとなく気が付いていた。だが、誰でも歳をとれば衰える。動作が緩慢になったり、記憶があいまいになったりもするだろう。そんなのは当たり前のことだ。それがどうしたというのか。

 

 話し声が聞こえてきた。女の人の声だ。独り言を話すような声だ。

 あの女の人だ。俺より2列前の通路をはさんで右側の通路側の席に座っている。顔はわからない。後ろからではよく見えない。何かを大事そうに抱えているようだ。あの女の人の声が頭の中に入り込んでくる。こんな夜中に迷惑じゃないか。

 

 もう一年になる。たまには母さんに顔を見せておこうと、この列車で帰省したときだ。中年の女性が母さんを訪ねてきた。民生委員という肩書の人らしく、一人暮らしの高齢者を一人一人見回っているという。「お変わりありませんか?」と母さんに訊いていた。俺は合うのは初めてだった。そもそも、そんな人がいることを初めて知った。そんな人が定期的に訪ねてくることを母さんから聞いたこともなかった。

 俺も俺自身のことを訊かれたり、他に兄弟や親戚などはいないのかといったことをそれとなく訊かれたりした。母さんは、俺のことを話したことはないようだった。

 

 女の人の声が聞こえてくる。気になって仕方がない。耳障りだ。誰か注意してくれないか。

 人の視線を感じる。誰かがずっと俺を見ている。あいつだ。俺より1列後ろの通路を挟んで右側の通路側の席、初老の男が俺のことを見ている。何かいいたいことでもあるのか。

 

 いつのころからか、母さんの言うことに違和感を感じるようになった。最初のうちは、ちょっとした勘違いや物忘れのようなもので、誰にだってあること、まして歳をとれば少しぐらいは仕方がない・・、その程度に思っていた。

 だが、それは違っていた。この列車に乗って帰省するたびに、母さんは少しずつ変わっていった。母さんの頭の中が、異なる記憶ですり替わっていく。認知症の初期症状の一種らしい。そんなこと信じられるか。でも、次第に認めざるを得なくなっていった。

 母さんが遠ざかっていく。俺の知っている母さんじゃなくなっていく。虫のいい話だ。昔は俺の方が遠ざかっていったくせに、母さんが遠ざかっていくのは嫌なのか。

 あるとき、民生委員の女性と話した。将来、もし必要になったら、介護に関することにも相談にのると言ってくれた。俺は何にも知らなかった。俺一人では考えることもできなかった。

 

 「あれは、梅雨が始まろうとしていた時でした。ワタシたちは三人で、松本駅から歩き始めました。カレが提案してくれたのです。コノコと少しずつでも打ち解けていくために、一緒に何かしようって」

 

 女の人の声が聞こえる。何の話をしているんだ?

 

 「そう、滝を見に行ったこともありました」

 

 「コノコったら、まだ小さかったから、小さな水の流れを飛び越えることができず、カレに手を貸してもらっていました」

 

 違う・・。

 

 「コノコったら、路傍に並んでいた石仏をカレと競うように数えて、今いくつ目なのか、ワタシに教えてくれました」

 

 違う、違うんだ。そうじゃない。

 

 「コノコも、カレとすっかりうちとけて・・」

 

 初老の男が俺を見ている。

 あんたならわかるよな。あんた知っているよな。

 

 「ワタシも、それはもう幸せで・・」

 

 他の席に座っている人たちは気にならないのか。他人のことなんて興味がないのか。きっと変な人に違いないと、かかわらないようにしているのか。

 

 列車は走り続けている。

 どこかの駅に停車した。停車時間を削ったのだろう、すぐに発車した。

 

 俺だってわかっている。母さんが思い描いていた景色と、俺がしてきたことは、きっと違うんだ。

 俺だって、長い間、疑問を感じてきたんだよ。疑問といっても、最初のうちはとても小さく無視することもできた。だけど、歳を重ねれば重ねるほどその存在が大きくなり、どうしようもない圧迫感を感じるようになった。無視し続けて生きていくのか、向き合って生きていくのか。今からでも間に合うのか? もう後悔するしかないのか? 答えの出ない疑問が、俺の中でずっと響き続けている。

 

 不思議なことに、左側の窓に映った俺自身が語り始めた。

 

 「たった一人の母さんじゃないのか。ただ一人の息子じゃないのか。だがそれは、当たり前のことなのか。オレの独りよがりじゃないのか。オレが勝手に思っているだけじゃないのか。そうではないと胸をはって言えるだけのことを、オレはしてきたのか。オレはどこかで違っていたんじゃないのか。ああ、オレは今まで何をやっていたんだ」

 

 何を言っているんだ。もう終わりか? 今日で終わりなのか? そうじゃない。嘆くだけか? 後悔するだけか? なんとかしたいって、何が何でもどうにかしたいって、もっともっと強く思わないのか。

 左側の窓に歳を重ねた俺の顔が映っている。右側の窓にも年老いていく俺が映っている。いつの間にか何十年も経っていた。みんな消えた。女の人も初老の男も、みんな消えた。俺は一人になっていた。

 

 列車は走り続けている。

 またどこかの駅に停車した。やはり停車時間を削ったのだろう、すぐに発車した。

 遅れを取り戻そうとしているのか、スピードが上がった。

 

 

◇◇◇

 

 

 気がつくとどこかの駅に到着しようとしていた。「まつもと」と書かれた駅名標が目に入った。

 午前4時3×分、松本駅に到着した。下車していく人が多い。さらに席が空いた。ここからは大糸線に入っていく。外はまだ暗い。陽が長い季節なら、もう明るい時間だ。北アルプスの山々が出迎えてくれるはずだ。

 

 昔、母さんとアイツと俺の三人で歩いたのは、このあたりだった。昔の道を松本から日本海側の糸魚川まで歩いてみたいって、母さんが言いだしたんだ。

 あれは最初の時だった。朝早くに家を出て、白馬駅から大糸線の電車で松本へ向かった。松本駅から歩き始めた。松本城をまわってさらに歩いた。母さんと俺の後をアイツがついてきた。やがて生い茂った木々の中を行くようになった。人が通ったところだけが、長い年月をかけ少しずつ削られ、かろうじて道のようになっていた。そんな坂道を下った。梅雨の蒸し暑い日だった。なんでこんな日に、って思った。とても息苦しかった。でも、母さんはいつになく機嫌がよかった。 

 

 5時×分、安曇沓掛駅を通過した。この駅からも歩いた。仁科神明宮で参拝し、さらに歩いた。「滝を見に行こう」ってアイツが言いだした。滝があるって、どこかでそんな情報を仕入れてきたんだ。すぐに見つかるはずだったのに、見つからなくて探し回った。「滝はこっち」のような道標もなかった。アイツ、焦ってたな。結局、ガードレールの隙間から崖をくだって、やっと見つかったんだ。探し回ってやっと見つかったのに、とっても小さな滝だった。拍子抜けしちゃったよ。でも、母さんは楽しそうだった。

 

 5時1×分、信濃大町駅に到着した。わずかに残っていた乗客も降りていった。俺のまわりには、もう誰もいない。雪だ! 今朝は雪だ。雪が降っている。街の小さな灯りの中を白い雪が舞っている。

 

 

 

 5時2×分、簗場駅を通過した。左側の窓に歳を重ねた俺の顔が映っている。その窓に顔を寄せ、暗闇の中に目を凝らす。車内の灯りが、線路脇に積もった雪たちを照らしていく。さらにその先の暗闇の中を、小さな中綱湖が過ぎ去っていく。そして大きな青木湖が拡がっていく。寒そうだ。湖面は凍結しているだろうか?

 中綱湖、そして青木湖の湖畔も歩いた。路傍の木々を指差し、カラマツとスギの違いをアイツが説明し始め、母さんがそれを聞いていた。ゆるやかな坂道に石仏が点在していると、アイツが言いだした。「今いくつ目だっけ?」って母さんが訊いた。俺は数えてなかった。でも、アイツは数えていて、母さんに教えてやっていた。

 

 俺は、一緒に歩くのをやめてしまった。母さんの記憶と俺の思い出は、今でも同じだろうか? 今からでも間に合うのだろうか?

 

 この列車に乗ると、そのたびにいろんなことを思い出す。昔は思い出したくないことばかりだった。でも不思議だ。この列車に乗ると、正直に向きあうことぐらいは、できるようになってきたんじゃないか、そんな気がしてくる。思い通りにならないこと、腹が立つこと、せつないこと、そんなことでも、それが俺の人生のエピソードなんじゃないか、そんなふうに思えてくる。

 車内に放送が流れ、終点の白馬駅に到着することを伝えている。外はまだ暗い。昔から知っている街の灯りが出迎えてくれている。さあ帰ってきた。最後の踏切を通過した。

 

 5時4×分、臨時快速「××××号」は、終点の白馬駅に到着した。新宿、立川、八王子と、あれだけ接続待ちをして遅れたのに、最後は定刻だった。

 まとめるほどの荷物もない。左側のドアからホームに降りる。他の車両にも何人も乗っていなかったようだ。改札口へ向かう。その時、年老いた婆さんが一人、改札の横に立っているのが目に入った。あれは・・、母さんじゃないか。やっぱり母さんだ。母さんが迎えに来てくれたんだ。全く予想していなかった。何て言えばいいんだ?

 

 「やあ・・」

 

 もっと他にないのか。

 

 母さんと駅前の広場に出た。外は寒い。まだ暗い。駅舎の灯りと小さな街の灯りしかない。その灯りの中を雪が降っている。目の前の景色が、みんな雪に覆われている。歩道に積もった雪だけは脇に除けられ、人が通れるようになっている。傘をさす。母さんが、俺の分も傘を持ってきてくれていた。

 母さんがか細い声で言う。えっ? 朝飯の支度ができていない? いいんだ、そんなことは。そんなことはいいんだよ。

 駅前のあのそば屋が目に入った。店の灯りが点いている。入口の窓から、カウンターに座る客の姿が見える。昔、アイツが言っていた、「夜行のある日は、その到着に合わせて・・」って。そうか、臨時快速「××××号」の到着に合わせて、今朝は早くからやっているのか。・・そうだ・・、母さん・・。

 

 「そうだ、母さん、せっかくだから、そばでも食っていこうか」

 

 母さんはどっちだろう? 

 

 「知ってるかい? そこのそば屋、朝一に食うととても美味いんだよ」

 

 食べていきたいか? そうでもないか?

 

 「昼に食うと・・普通なんだ・・」

 

 そば屋の入口を開け、母さんを連れ中に入った。店の中は暖かい。

 狭い店だ。カウンターに木製の小さな椅子が並んでいる、その奥に、かろうじてテーブル席もある。母さんはテーブルの方がいいだろう。幸い、そのテーブルは空いていた。

 カウンターに座る客の背中を通り抜け、テーブルの席に座った。店内を見渡してみる。映りの悪いテレビが早朝の番組をやっている。壁にメニューがかかっている。カウンターに座っていた客が食べ終わり、代金を払おうとしている。カウンターの内側で、初老の男がその金を受け取ろうとしている。この店の主人なのだろう。

 何にするか母さんに訊いた。結局、かけそばを2つ頼んだ。時間がゆっくり流れる。早くかけそばがこないか。母さんはどう思うだろう?

 やっと来た。初老の男が、かけそばを運んできた。まず母さんに、そして俺の前にかけそばが置かれる。そばの器が暖かい。

 母さんのそばの器を見つめる。母さんがそばに手をつける。そばの器の中で箸が動く。俺も箸を動かす。無言のままそばをすする。静かだ。テレビの音が聞こえる。母さんはどう思うだろう? 少しでも喜んでもらえるだろうか?

 

 「母さん・・」

 

 「そう言えば、あれっどうなったかな?」

 

 「昔、三人で一緒に歩いたよね。古い道を松本から糸魚川へ向かって」

 

 母さんのそばの器を見つめる。

 

 「あれ、結局、どこまで歩いたかな?」

 

 母さんの箸が動く。

 

 「もう無理に歩く必要もないし、今度、大糸線に乗って糸魚川まで行ってみないか? 海を見て、美味しい物を食べて・・」

 

 「そうだ・・、雪が溶けて、春になったらそうしよう」

 

 母さんの反応が怖い。

 

 「俺・・、春になったら戻ってくるよ」

 

 母さんの箸が止まった。母さんの手先を見つめる。母さんの指はこんなに細かったか。恐る恐る顔をあげる。母さんを見た。

 

 「いろんなこと片づけて、帰ってくるよ。春なんて、あっという間だよ」

 

 「ここで暮らそうと思っているんだ。まあ、ここが俺の故郷だしね。そうだ・・」

 

 「今日は雪かきをするよ。家のまわりも積もっているんじゃない」

 

 「昼ごろには雪もやむって、今、そこのテレビで言ってた」

 

 俺は、言いたいことを言った。言葉や言い方が適切なのか、わからない。伝えたいことを伝えることができたのか、わからない。

 

 「このそば、美味いね。やっぱり朝一に食べると美味いよ。本当に美味い」

 

 でも・・、やっと言えた。言えてよかった。

 

 店を出た。外は寒い。相変わらず、雪が降っている。傘をさして歩き出そうとした時、母さんが凍りついた雪の塊に足をとられそうになった。俺は母さんの手を握った。そして、母さんの手を引いて、ゆっくりと歩きだした。

 

 

 

 

 (春を待つ青木湖)

 

 

 (完)

 

---

 

 この物語はフィクションです。

 


《参考にさせていただいた書籍等》

 

 「鉄道ピクトリアル 2007年10月号 【特集】ビュフェ」 電気車研究会

 「鉄道ピクトリアル 2017年5月号 【特集】郵便・荷物電車」 電気車研究会

 「鉄道ピクトリアル 2019年1月号 【特集】ディーゼル急行」 電気車研究会

 「国鉄形車両の記録 急行形気動車 2018年3 月号 鉄道ピクトリアル 別冊」 鉄道友の会客車気動車研究会 編

 

 「鉄道ファン 2019年6月号 【特集】オレンジバーミリオン物語 」 交友社

 

 「鉄道ジャーナル 1970年3月等 【特集】日本のアルプス鉄道〈中央本線〉」 鉄道ジャーナル社

 「鉄道ジャーナル 1980年6月等 【特集】アルプスへの道=中央本線」 鉄道ジャーナル社

 「新・ドキュメント列車追跡 No.2 国鉄1971~1977」 鉄道ジャーナル社

   ※ 急行列車ジグザグ日本縦断(1977) 主に「アルプス5号」のルポの箇所

 

 「急行アルプス&165系急行形電車」  イカロスMOOK 名列車列伝シリーズ

 「あずさ列伝」 イカロスMOOK 列伝シリーズ

 「jtrain Vol.73 【特集】昭和60年3月ダイヤ改正」 イカロス出版

   ※ 「ムーンライト信州81号」新宿-白馬間ルポ

   ※ 長野189系N102編成

 

 「中央線 オレンジ色の電車今昔50年 甲武鉄道の開業から120年のあゆみ」 三好好三、三宅俊彦、塚本雅啓、山口雅人 JTBキャンブックス

 「キハ58物語」 石井幸孝 JTBキャンブックス

 「国鉄急行電車物語 ―80系湘南形から457系まで国鉄急行形電車の足跡」 福原俊一 JTBキャンブックス

 「最後の国鉄直流特急型電車 183・185・381系物語」梅原淳 JTBキャンブックス

 「幻の国鉄車両」 石井幸孝、岡田誠一、小野田滋、齊藤晃、沢柳健一、杉田肇、高木宏之、寺田貞夫、福原俊一、星晃 JTBキャンブックス

   ※ 幻のサロ85形改造2階式展望電車

 

 「都電跡を歩く ―東京の歴史が見えてくる」 小川裕夫 祥伝社新書

   ※ 第七章 14系統 ~山手線から西へと向かう唯一の路線~

 「星晃が手がけた国鉄黄金時代の車両たち」 福原俊一 交通新聞社

   ※ 第5章 急行形車両の基礎を築いた153系東海形

   ※ 第9章 キハ58系とキハ82系ディーゼル動車

 「星晃さんのアルバムから 国鉄車両誕生秘話」 ネコ・パブリッシング

    ※ 電車にすし屋! サハシ153形の登場(1961.3)

 「鉄道とトンネル」 小林寛則、山崎宏之 ミネルヴァ書房

    ※ 4 明治時代を代表するトンネル 笹子トンネル 高尾~塩山間は日本有数のトンネル街道、碓氷峠 トンネルに始まりトンネルで終わった104年の歴史

 

 「塩の道・千国街道」 亀井千歩子 東京新聞出版局

 「塩の道・千国街道」 田中欣一 銀河書房

 「塩の道500景 千国街道を歩く」 田中欣一、田中省三 信濃毎日新聞社

 「塩の道を歩く」 文=田中欣一、写真=田北圭一 信濃毎日新聞社

 「消えた街道・鉄道を歩く地図の旅」 堀淳一 講談社

    ※ 第五章 旧街道―路傍の古仏・古跡に感嘆しつつ歴史の道を行く 「姫」と「犀」をつなぐ塩の道[長野県] 中綱湖から青木湖へ

 「あづみ野 大町の民話」 あづみ野児童文学会編、荒井泰三 絵 郷土出版社

 

 実在した各列車の時刻は、それぞれ以下の時刻表をもとにしています。

 

 (一)の急行「第2白馬」 → 昭和39年10月号

 (二)の急行「アルプス9号」 → 昭和61年2月号

 (四)の快速「ムーンライト信州81号」 → 平成30年12月号

 

 その他、とても書ききれませんが、これら以外の過去の時刻表や、ネット上のいろいろな情報なども、多数、参考にさせていただきました。

 

 

《あとがき》

 

 私が、この「白馬で降りた王子」に本格的に取り組み始めたのは、今から3年ほど前の、2018年のはじめのころのことでした。

 そのころはまだ、新宿駅から白馬駅まで、臨時快速「ムーンライト信州」が夜行列車として運行されていました。ですが、私も鉄道ファンですので、「この列車も、そう遠くない将来なくなるのではないだろうか」、そんな気がしていました。

 時代の流れと言えばそれまでですが、私はこう思いました、「よしっ! 俺が走らせよう! 」と。その列車はどんな列車でしょうか? もちろん人の役に立つ列車です。どんな人に、どんなふうに役に立つのか、それがこの「白馬で降りた王子」に取り組んでいく中で、とても大きなテーマになりました。

 そうなってくるともう大変です。列車そのものはもちろんですが、その列車に乗る人の背景のようなものも大切なような気がします。長い年月をかけて、時代や世代が変わっていっても繋がっているもの、そのようなものもあるような気がするのです。

 そうして取り組めば取り組むほど、私にとってとてもハードルが高いものになっていきました。思っていたよりも何倍も時間がかかってしまいました。測定できないほどのエネルギーも使いました。そして、毎日のように、才能の無い自分、能力の無い自分、センスの欠片も無い自分と向き合わなければなりませんでした。

 ですが、なんとか最後までたどり着くことができ、この物語の中に登場する列車や登場人物たちが、私を導いてくれたような、そんな気がしています。

 

 「ムーンライト信州」ですが、2018年12月30日、新宿発 白馬行き の列車を最後に、その後は運行されていません。この「白馬で降りた王子」に取り組んでよかった、今、心の底からそう思っています。

 

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 ときひろ.ねっと

 

怪獣が空を飛んでいた

 こんばんは。

 

 今朝、某駅のすぐ近くです。

 

 おわかりいただけるでしょうか?

 

 怪獣が輝きながら空を飛んでいました。

 

 しかも背面飛行で。

 

 

 上下を逆にして、かつ、ちょっと拡大すると、こんな↓↓感じです。

 

 

 ただ、この怪獣を目撃したのは、多分、私だけではないでしょうか。

 

 ほんの少し場所を移動して再度撮影しようとしたら、もう消えて(形がくずれて)いました。

 

 昔、こんな怪獣を絵に描いたことがあるような気がします。

 

 

 

 ときひろ.ねっと

 

時刻表をめくる

 こんにちは。

 

 いつもご覧いただき、ありがとうございます。

 

 時刻表にも、最近は電子版があるらしいのですが、私は、いまだに紙の時刻表を使っています。

 

 

 8月号の時刻表を買いましたので、1ページ、1ページめくっておりました。

 

 ちなみに、優等列車は、この↓↓のように赤字で掲載されています。

 

 この↓↓ページでは、秋田新幹線「こまち」赤字 になっています。

 

 

 そして、さらにめくって次のページ↓↓、、

 

 

 おわかりいただけるでしょうか?

 

 赤字 がかなりうすいです。

 

 これはこれで、紙の時刻表だからこそですね。

 

 ちなみに、このページに関して言えば、秋田新幹線「こまち」の時刻は、このページを見なくても、巻頭の方の新幹線のページを見ればわかりますので、これで困ることはありません。

 

 

 

 ときひろ.ねっと

 

「白馬で降りた王子」(4)

 こんにちは。

 

 もう誰も覚えていらっしゃらないかと思いますが、「白馬で降りた王子」の(4)がやっと書けました。

 

 この「白馬で降りた王子」は、新宿から松本経由で大糸線へ向かう夜行列車の話です。(1)は昭和39年ごろの急行「白馬」、(2)は昭和61年ごろの急行「アルプス」、(3)は1回とんで、今回の(4)で平成30年ごろの臨時快速「ムーンライト信州」へと続いています。

 今のところ、次回の(5)で完結するつもりでおりますが、(4)がやっと書けたばかりで、(5)はいつになるのか自分でもわかりません。

 

 また、これもいつものことですが、今回も結構長くなってしまいました。お時間のあるとき、例えば、電車にご乗車になっていらっしゃる時に、暇つぶしにでも読んでいただければ幸いです。

 

 なお、(1)~(3)をご覧になっていらっしゃらない方は、お手数ではございますが、(1)から順に読んでいただければ幸いです。

 といいますか、どちらにしても物語としてはまだ途中ですので、最後までいってからまとめて読んでいただくでも結構でございます。

 

「白馬で降りた王子」

(1) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12428607797.html

(2) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12463991385.html

(3) https://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12559539565.html

(4) 今回

(5) 作成中

 

 今までに書いたフィクションは、ブログテーマ「創作列車」にまとめています。こちら↓↓が、その目次です。

 

「創作列車」 目次

http://ameblo.jp/tokihirokoji/entry-12196772783.html

 

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2021/01/12

すみません、「ムーンライト信州」の時刻表に間違いがありました。

今さらで大変恐縮ですが、修正させていただきました。

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《物語の時代》

 少し昔 ~ 少し未来

 ※ 本章は、平成30年ごろをイメージしています。

 

《登場列車》

 臨時快速「ムーンライト信州81号」(オレ) ・・・ (四)

 ※ 新宿 23:54 →(松本経由)→ 白馬 5:40 間の夜行列車
 ※ 189系で運行

 

 

 

《登場人物》

 男1(私/オマエ/アイツ) ・・・ 主に(一)(二)(三)

 男2(俺) ・・・ 主に(三)(四)(五)

 

 

(四)

 

 23時54分、臨時快速「ムーンライト信州81号」は新宿駅を発車した。

 

 母さんから電話がかかってきた。いつもなら「もう家か?」「まだ外なら後でいい」と、気を使ってくれる。「最近どうか?」「正月には帰ってくるか?」と、そんな話をする。でも、今夜は違っていた。

 地下道を新宿駅へ向かっていた。ここは人が多すぎる。まわりが煩い。ヒールや革靴の底が地下道のタイルを叩く音。足取りの覚束ない男の喚き声。母さんのか細い声が続く。

 母さんが、俺にアイツの話をすることはなかった。母さんなりに、俺に気を使ってくれていた。俺だって分かっていた。だが、今夜は違った。

 いつの間にか東口の改札に着いていた。丸ノ内線の改札のところで左に折れ、階段を上ったはずだ。無意識のうちに歩いていた。数えきれない人たちが俺を追い抜き、自動改札に吸い込まれていく。自動改札の前で、俺だけが突っ立っている。

 誰だって歳をとる。もちろんアイツだってそうだ。あちこちにガタがきてもおかしくない。病気になってもおかしくない。でも、それを俺に言われても、俺に泣き言を言われても・・。それほど余裕がないのか。そんなに大変なのか。電話を切った後も、頭から離れない。

 いつも通り自動改札に定期をタッチし、中央線快速のホームに向かう。とりあえず、今夜は家に帰ろう。家に着いたら、俺から母さんに電話して、もっと話を訊いてみてもいい。

 

 いや・・、違う。そうじゃない。

 母さんは、今すぐにでも俺に帰ってきてほしいんじゃないのか。はっきりとは言わなかったが、それは母さんだからじゃないのか。それが分かっていて、俺は何もしないのか?

 俺は引き返すことにした。せめて、窓口の駅員に訊いてみるぐらいはしてみてもいいんじゃないか。そうだ、訊くぐらいはしてみるべきだ。俺は走りだした。今さっき通過した自動改札をもう一度走って通り抜ける。東口の「みどりの窓口」はまだ開いていた。

 今夜は、あの夜行列車が運転される日がどうか?

 もし、今夜は運転されないなら、それは仕方がない。明日の朝の特急でも昼には白馬駅に着ける。それでも充分なんじゃないか。母さんだって、喜んでくれるんじゃないか。

 だが違っていた。今夜は、あの夜行列車の運転日だという。しかも、キャンセルが出たらしく、1席空いているという。いや、もう発券されていた。「みどりの窓口」を出た後、俺は母さんに電話した。

 

 その最後の1席は、通路を挟んで左側の通路側の席だった。俺の左隣、窓側の席はまだ空いている。

 この白馬行きの臨時快速には、何度か乗ったことがある。滅多に帰省なんてしなかったが、俺だって、たまには母さんに顔を見せておかないとな。この列車は、朝早く着いてくれるから都合がいい。母さんに顔だけ見せて、夕方の列車で白馬駅を出れば、普通列車を乗り継いでもその日のうちにこちらに帰ってくることもできる。

 

 

 

 立川駅に停車した。何人か乗ってくる人がいた。

 八王子駅で席が埋まった。俺の左側の席の人もここで乗ってきた。

 遅い時間だが、この列車には立川や八王子からでも乗ってくる人たちがいる。

 車掌が車内をまわり、検札をしている。それも終わると静かになった。

 

 夜が更けていく。車内は明るい。この列車では車内の灯りを暗くすることはしない。

 電車のモーター音が響く。床下から振動が伝わってくる。時折、トンネルを通過する。

 1時をまわった。話をする人もいない。静かだ。

 外は真っ暗だ。左の窓を見つめても、通路を挟んだ右側の窓を覗きこんでも、俺の顔が映る。何にも見えない。他にすることもない。つい昔のことを考えてしまう。座席に座ったまま眠るのは得意じゃない。

 

 

◇◇◇

 

 

 みんな知っているかい?

 オレはとても人気があるんだ。鉄道ファンの人たちにね。

 その昔、昭和の時代から、東北本線や、上越線、信越本線、常磐線に中央本線、そういった東京と地方を結ぶ花形の特急列車として活躍した、「特急形電車」の最後の生き残りなんだ。

 「特急形電車」と一言で言っても、形式で言えば、181系、183系、485系、489系の先輩たちに、そしてオレ、つまり189系と、いろいろあった。でも車体には、みんなでお揃いのクリーム色に赤のラインをまとい、それが当時の特急列車の標準カラーでありステータスでもあった。形式の違いなんて知らない人でも、見れば特急だってすぐにわかったのさ。あのころが、オレたち「特急形電車」の黄金時代だったと言っても、決して言いすぎではないだろう。

 でも、181系、183系、485系、489系といった先輩たちも、オレと同じ189系の仲間たちも、オレ以外はもうみんな引退しちゃった。

 だから、古い時代を知っている人たちは懐かしくて、今しか知らない人は珍しくて、みんなオレに乗りたがるんだよ。その証拠に、今夜のようにオレが臨時快速「ムーンライト信州81号」として運転する日は、その一ヵ月前の指定席の発売日には、発売と同時に切符が売り切れちゃうんだ。

 でも、人気があるからといって、毎日運転するなんてそんな安っぽいことはしないんだ。たまにしか運転しない方が、希少価値があるからね。

 

【参考】臨時快速「ムーンライト信州81号」時刻表

 

 

 

 オレはもともと、主に上野-長野 間の特急「あさま」として活躍していた。

 「碓氷峠」って、知っているかい? 最近の若い人たちは知らないかもな。

 信越本線の横川駅から一つ隣の軽井沢駅まで、つまり、群馬県と長野県の県境を挟むたった11.2kmの間に標高差552mも登っていかなければならない。最大66.7‰(パーミル)もの急勾配で、もちろん我が国の鉄道界きっての難所だった。それが碓氷峠なんだ。

 明治の昔、初めて横川-軽井沢 間に鉄道が開通したときは、当時、我が国で唯一の「アプト式」という特殊な方式が採用された。

 「アプト式」というのは、2本のレールの間に、ラックレールと呼ばれる歯の付いた軌条を設置し、機関車の側に設置した歯車とかみ合わせて進んでいく。そのラックレールも専用の蒸気機関車も、当時は全て外国から輸入したんだって。

 それでも当時はノロノロ運転で、横川-軽井沢 間の一駅に90分もかかったそうだ。その後、電化されてスピードアップもしたらしいけど、「アプト式」という特殊な技術では限界もあったんだよね。

 そこで、昭和38年に一部を新線に切り替えた上で「アプト式」は廃止になり、EF63電気機関車が重連で、横川→軽井沢の上り勾配は後押しし、軽井沢→横川の下り勾配はブレーキの役目を果たしながら牽引する方式に変わった。

 でもその方法だと、たとえ電車やディーゼルカーであっても、横川-軽井沢 間はEF63の力だけで勾配を上ったり下ったりしなければならなかった。そのため、電車は8両まで、ディーゼルカーは7両までというように、連結できる両数に制限があった。

 昭和41年に上野-長野 間に特急「あさま」が誕生したんだけど、その時は先輩の181系で8両編成だった。でも、当時、特急列車で8両というのは、特急列車としては例外的だったんだ。他の特急列車は、12両ぐらいは当たり前の時代だったからね。その結果、やはり輸送力が問題になった。

 

 その輸送力の問題を解決するために、「協調運転」という方式が開発された。

 「協調運転」とは、一言で言うと、電車とEF63が、力を合わせて上り勾配を上ったり、一緒にブレーキをかけながら下り勾配を下っていく、という方式なんだ。

 横川→軽井沢なら後ろに連結した2両のEF63のうち後ろ側のEF63から、軽井沢→横川なら先頭に連結した2両のEF63のうち前側のEF63から、もう一両のEF63と電車の動力を一括して制御することができる。そうすることで、パワーアップにもなるし、安全性も高まる。そして、輸送力も増強できる。

 この「協調運転」のおかげで、横川-軽井沢 間を通過する電車は、最大12両まで可能になった。ちなみに、横川-軽井沢 間の所要時間は、下り列車(上り勾配)横川→軽井沢が17分、上り列車(下り勾配)軽井沢→横川が24分だった。明治のアプト式の時代に比べれば、ずいぶん速くなったよ。ちなみに、下り勾配の方が時間がかかるのは、ブレーキが利かなくなると困るから、その分、ゆっくり慎重に走るからなんだ。

 この「協調運転」は、まず急行形の169系に取り入れられ、続いて上野-金沢 間を結ぶ特急「白山」に投入された489系と、順番では先を譲ったけど、昭和50年、満を持して、主に特急「あさま」用としてオレたち189系が投入された。

 その後、特急「あさま」は運転本数を増やし、最盛期には1日に19往復も運転されるようになった。

 上野駅から長野駅へ向かう下りの特急「あさま」では、横川駅で後ろにEF63を2両連結し、「ワッショイ! ワッショイ!」って力を合わせて登っていくんだ。ああ、あのころが懐かしいなあ。

 

 

【参考】臨時快速「ムーンライト信州81号」編成

 1号車 クハ189 510 普通車・指定席

 2号車 モハ188 40  普通車・指定席

 3号車 モハ189 40  普通車・指定席

 4号車 モハ188 32  普通車・指定席

 5号車 モハ189 32  普通車・指定席

 6号車 クハ189 9   普通車・指定席

 

 ※ ク ・・・ 運転台付(先頭車)

   モ ・・・ 電動車

   ハ ・・・ 普通車

 

 

 そうそう、横川駅の「峠の釜めし」って知っているかい?

 容器にはちゃんと益子焼の釜が使われていて、中は炊き込みご飯の上に鶏肉や牛蒡、椎茸、うずらの卵、栗、杏子などが載っているんだ。横川駅では、EF63を連結したり切り離したりするために、特急でも停車時間をとるからね。その間にホームで買って、「あさま」の車内で食べると、なおさら美味しく感じるんだ。ああ、いい時代だったなあ。

 

 時代が移り変わっていくにつれ、次第に特急「あさま」も高速バスとの競争にさらされるようになっていった。

 もちろん負けちゃいない。まず、座席を交換したり、シートピッチを拡大したりして、車内の設備をグレードアップした。グリーン車なんて、通路を挟んで2+2の4列だったのを、2+1の3列にしたんだぜ。それから、車体の塗装だって、それまでのクリーム色の赤のラインの「国鉄色」と呼ばれた伝統的なカラーから、白地にグラスグリーンとグレーのラインに変更して、「オレはちょっと特別だぜ!」って、個性を出した。その「あさま」独自の塗装は「あさま色」とも呼ばれ、今のオレの塗装がその「あさま色」なんだ。

 

 

 

 そう、オレたちだってがんばったんだよ。でも、平成9年だった。長野まで新幹線が開業すると、それと同時に特急「あさま」はみんな廃止になってしまった。それどころか、横川-軽井沢 間に至っては、その一駅間だけ路線そのものが廃止になってしまった。この一駅間だけでも相当な経費がかかっていたからね。新幹線ができて、特急列車のお客さんがみんなそっちへ移ってしまうと維持することができない、と判断されたんだ。

 オレたち189系は、廃車になったものもあれば、他の路線に主に波動用として転属していったり、オレみたいにグリーン車なしの6両に減車したうえで長野地区のローカル線で細々と地域輸送に従事したりと、とにかく地味な存在になってしまった。

 この「ムーンライト信州」だって、鉄道ファンの人たちには人気があっても、特急形電車として一時代を築いたオレにしてみれば、場末の臨時快速でしかない。

 

 「ムーンライト信州」よりも前の時代には、急行「アルプス」っていう列車があって、その「アルプス」やさらにその前身の列車が活躍していた時代には、山登りをする人たちや、冬のシーズンにはスキーをする人たちに、とても人気があったそうだ。当時は自由席もあったんだけど、席を確保できなかった人の中には、通路やデッキに新聞紙を敷いて横になる人もたくさんいたらしい。そんな人たちは、みんな何処へ行っちゃったんだ? オレのお客さんは、物好きな鉄道ファンの人たちばかりだ。

 

 もうオレの時代は終わったのさ。とっくに時代遅れになっていた。

 結局、何が正解なんだい?

 豪華な列車ならいいのかい? それとも格安の高速バスならいいのかい?

 そんなのわからないよ。それがわかれば苦労なんてしないよ。

 

 

◇◇◇

 

 

 4時35分、「ムーンライト信州81号」は、松本駅を発車した。

 松本駅でかなりの人たちが降りていった。俺の左隣の席も空いた。残った人たちも、洗面所へ行ったり、荷棚に上げた荷物を降ろしたり、少しばかりあわただしくなってきた。

 

 一晩中、ずっと昔のことを思い出していた。そして考えていた。

 

 5時4分、安曇沓掛駅を通過した。日が短い季節だ。外はまだ真っ暗だ。でもわかる。昔、この駅で降りた。あれから何年経った?

 俺は、オマエが嫌いで仕方がなかった。どうしてもそうだった。俺がたまに帰省していたのは、母さんに顔を見せるためだ。オマエじゃない。

 でも白馬駅に迎えに来るのは、いつもオマエだった。そのたびに、オマエが何か理由をつけて言う。

 

 ***

 

 「母さん、ちょっと具合が悪くてな」

 

 「朝ごはん、まだか?」

 

 「そうだ、そばでも食っていくか?」

 

 「そこのそば屋、いつもは昼からなんだが、夜行がある日だけは、その到着にあわせて朝もやっているんだ」

 

 駅前広場の一角に小さなそば屋がある。入口の窓から見えるカウンターの席に、2、3人ほど客がいる。俺と同じ列車でやってきた人たちかもしれない。

 

 「夜行列車から降りて朝一で食うと、とても美味いんだよ。昼に食うと普通なんだけどな」

 

 「そうか・・、まあいい、家に帰れば何か残りものぐらいあるだろう」

 

 「後で、何か買いに行ってもいい」

 

 ***

 

 5時25分、簗場駅を通過した。外はまだ暗い。でもわかる。昔、この駅で降りた。そして歩いた。

 左側の窓に俺の顔が映っている。その窓に顔を寄せ、目を凝らす。車内の灯りが、線路脇に積もった雪たちを照らしていく。その先の灯りが届かない暗闇の中へ、さらに目を凝らす。

 小さな中綱湖を一瞬で通り過ぎる。大きな青木湖が浮かび上がる。昔のことを思い出す。子どものころのことを思い出す。暗闇の中にその景色たちが映し出されていく。

 

 いつも考えていた。来る日も来る日も考えていた。母さんにとって、オマエと出会って良かったことはなんだ? そう俺自身に問いかけてきた。

 

 オマエが男の責任をとること。

 

 オマエが母さんの面倒をみること。

 

 母さんがずっと安心して暮らせること。

 

 そうやって、一つ、一つ、ひねり出してきた。

 何もかも途中じゃないか。ここで終わっていいのか。オマエはそれでいいのか。俺がオマエを嫌いだとしても、それが途中で終わっていい理由になるのか。少しぐらい、認めてやればよかったのか。

 最近、オマエの具合がよくないのは、なんとなく知っていたよ。もう一年ぐらい前だ。オマエが白馬駅に迎えに来た時、妙に痩せたな、と思ったんだ。顔色もよくなかった。俺に何か言いたそうだった。少しぐらい、聞いてやればよかったのか。

 昔、母さんと俺とオマエと三人で歩いた、あれっ、どうなったのかな? あの後、母さんとオマエは、どこまで一緒に歩いたんだ? 俺は・・、そんなことも知らないのか。

 

 終点の白馬駅へ近づいている。外はまだ暗い。小さな灯りたちが点々と流れていく。みんな知っている街の灯りたちだ。速度が落ちていく。最後の踏切を通過した。

 

 5時40分、「ムーンライト信州81号」は、終点の白馬駅に到着した。

 左側のドアが開く。まとめるほどの荷物もない。人の後に続いてホームに降りる。新宿の夜とは比べ物にならない寒い朝だ。

 改札口に列ができている。一人ずつ駅員に切符を渡していく。

 待合室はいっぱいだ。後続の普通列車に乗り換える人はここで待つ。

 駅舎の外に出だ。タクシーのトランクに、荷物を積み込もうとしている人がいる。迎えの車が来た人もいる。

 雪が舞い始めた。これから本格的に降るのか? それとも止むのか? まだ暗いこの空はどっちの空なんだ?

 駅前広場の小さなそば屋は、今朝もやっているようだ。暖簾が出ている。入口の窓から灯りがもれている。

 急がなきゃな、母さんが待っている。

 俺は一人、歩きだした。

 

 

 

 

 

---

 

 (5)へ続きます。

 

 

《年表》

 以下、年表です。(主にこの章に関する部分)

 

 1893年(明治26年) (碓氷峠) 横川-軽井沢 間 が開業

                      ※ アプト式 ラックレール

                         専用の機関車を補機として連結

 1912年(明治45年) (碓氷峠) 横川-軽井沢 間 電化

 1963年(昭和38年) (碓氷峠) 横川-軽井沢 間 「アプト式」廃止、新線に切り替え

                      ※ EF63 2両を連結して運行

 1966年(昭和41年) (碓氷峠) 横川-軽井沢 間 複線化

                      特急「あさま」デビュー 181系8両

 1968年(昭和43年) (碓氷峠) 同区間の急行が169系に置き換え

                      EF63との「協調運転」開始

 1975年(昭和50年) (碓氷峠) 特急「あさま」189系に置き換え

 1997年(平成9年)  (碓氷峠) 長野新幹線開業

                      横川-軽井沢 間 廃止、特急「あさま」廃止

 2002年(平成14年) (ムーンライト信州) 急行「アルプス」廃止

                            臨時快速「ムーンライト信州」を週末等に運行

 2018年(平成30年) (ムーンライト信州) 現時点では最後の運行

                            ※ 新宿駅 12月30日発

 

 

《補足》

 本章の内容について、一部、写真などを利用して補足させていただきます。

 

① 「ムーンライト信州」

 

 「ムーンライト信州」は、2002年(平成14年)から、主に、新宿-白馬 間に運行された、臨時でかつ夜行の快速列車です。それまでの急行「アルプス」を置き換える形で誕生しました。

 快速と言っても、車両はかつて特急として活躍していた、183系や189系を使用しました。特に近年は、それらの国鉄時代の車両たちが引退していく中で、最後に残った長野総合車両センターの189系N102編成を使用し、鉄道ファンの方々にとても人気がありました。実際、切符を買うのはとても大変で、運転日の一ヵ月前の午前10時には、指定席の発売開始とほぼ同時に売り切れました。

 189系は、かつて主に上野-長野 間の特急「あさま」として活躍した車両です。1997年(平成9年)の長野新幹線(正式には北陸新幹線)の開業とともに在来線の特急「あさま」は廃止になり、189系は波動用などにまわることになりました。その最後の生き残りが「ムーンライト信州」だったわけです。

 

  

  

  

 

 「ムーンライト信州」は、現時点では、2018年12月30日、新宿駅発、白馬行きの列車を最後に、その後は運行されていません。かつて「ムーンライトXX」という列車はいくつもありましたが、現役の「ムーンライトながら」(*1)以外の各列車は、特に事前に告知されることなどなく、いつの間にか運転されなくなりました。「ムーンライト信州」も、あるいは後継の別の列車であったとしても、もう運行されることはないのでしょうか?

 なお、「ムーンライト信州」に最後に使用されていた189系N102編成は、すでに2019年6月25日付けで廃車になっています。

 

 (*1) 「ムーンライトながら」も、今夏は運転されないようです。

 

② 189系と特急「あさま」

 

 189系は、1975年(昭和50年)に、主に特急「あさま」用として誕生しました。

 特急「あさま」は、1966年(昭和41年)に、上野-長野 間に誕生した特急列車でしたが、信越本線の横川-軽井沢 間の碓氷峠を通過しなければなりませんでした。

 信越本線の碓氷峠は、当時、我が国の鉄道にとって最大級の難所で、最大66.7‰(パーミル)もの急勾配であったと言われています。群馬県側の横川駅と長野県側の軽井沢駅との間は、直線距離なら8.5kmほどしかありませんが、標高差はなんと552mもあり、横川駅から軽井沢駅へ向かう列車は急な上り坂を、その逆に軽井沢駅から横川駅へ向かう列車は一方的な下り坂を進んでいかなければならないわけです。

 そのため、横川-軽井沢 間の一駅間には、特殊な技術が使われていました。そもそも、明治期に横川-軽井沢 間が開通した際には、我が国で初めて「アプト式」(下記③を参照)が採用されました。その後、1963年(昭和38年)には、新線に切り替わると同時にアプト式は廃止になりましたが、それでも難所であることに変わりはなく、横川-軽井沢 間の一駅間だけ、横川駅側に専用のEF63電気機関車を連結し、上り坂はEF63が後ろから押し上げ、逆に下り坂では先頭のEF63がブレーキの役目を果たすという方式がとられました。

 ですが、その方式では、連結できる車両の数に制限があり、1966年(昭和41年)に、特急「あさま」が誕生したときに使用していた181系では、8両が限界でした。8両というのは、当時の特急列車としては短く、輸送力の点で問題がありました。

 その後、1968年(昭和43年)になると、単にEF63が後ろから押し上げたり、先頭でブレーキをかけたりするだけではなく、電車とEF63とが力を合わせて急勾配を行き来する方式、いわゆる「協調運転」が実用化されるようになりました。

 この「協調運転」が最初に導入されたのは、急行形の169系でした。その後、特急形の489系、そして189系の開発へと繋がっていきました。「協調運転」が行われるようになったことで、横川-軽井沢 間を通過する特急や急行は最大12両編成まで可能になり、輸送力が大幅に改善されました。


 特急「あさま」 1977年(昭和52年) 上野駅
 

  

 

 そんな特急「あさま」も、時代の流れとともに高速道路との激しい競争にさらされるようになりました、車両をリニューアルして、車内設備をグレードアップしたり、塗装を独自のいわゆる「あさま色」と呼ばれる塗装に変更して個性を打ち出したりしました。

 

 特急「あさま」(19997年(平成9年))

  1枚目:軽井沢駅 上り(上野行き)の「あさま」にEF63を連結する。

  2枚目:軽井沢駅から横川駅へ向かって下り勾配を下っていく「あさま」車内より。

      小さくてすみませんが、先頭にEF63が2両連結されています。

 

  

  

 

 そして、1997年(平成9年)に長野新幹線 高崎-長野 間(正式には北陸新幹線)が開業すると、在来線の特急「あさま」は廃止になり、「あさま」の名称は新幹線へ受け継がれました。

 

③ 「碓氷峠鉄道文化むら」と保存されている車両たち

 

 (こちらの写真は、すべて2018年12月24日に撮影したものです)

 

 信越本線 横川駅の近くには、「碓氷峠鉄道文化むら」という施設があり、ご当地のみならず全国で活躍していた車両が保存されていたり、かつての横川-軽井沢 間の廃線の一部を利用して運行しているトロッコ列車に乗車したりすることができます。

 

 アプト式とED42

 

 上記②でも触れた「アプト式」は、2本のレールの間に、ラックレールと呼ばれる歯の付いた軌条を設置し、機関車の側に設置した歯車とかみ合わせる方式です。

 信越本線の横川-軽井沢 間では、1893年(明治26年)の開業時から、この「アプト式」が採用されました。当時は、ラックレールも専用の蒸気機関車も、すべてドイツから輸入したそうです。

 1912年(明治45年)には、横川-軽井沢 間が電化され、この区間専用の電気機関車が導入されますが、その電気機関車もドイツから輸入したそうです。しかし、後に、輸入した電気機関車を参考に、国産化されるようになりました。

 その国産化の2代目の電気機関車が ED42 ですが、ありがたいことに、碓氷峠鉄道文化むらに保存されています。また、写真のように、アプト式の線路も復元され、当時を偲ぶことができるようになっています。

 

 1枚目:碓氷峠鉄道文化むらに保存されている ED42 1

 2枚目:ED42 1 のアプト式用の歯車

 3枚目:碓氷峠鉄道文化むらに復元されたアプト式の線路 

 

  

  

  

 

 トロッコ列車

 

 こちら↓↓が、碓氷峠鉄道文化むらのトロッコ列車です。かつての信越本線の横川-軽井沢 間の下り線の一部、2.6kmほどを使用しています。ちなみに上り線は遊歩道になっています。途中には、国から重要文化財に指定されている、旧丸山変電所を通ります。丸山変電所は、1912年(明治45年)の横川-軽井沢 間の電化時から、1963年(昭和38年)まで、電力を供給しました。一部とはいえ、このように保存かつ再利用してくださり、とてもありがたいです。

 

 1枚目:碓氷峠鉄道文化むらのトロッコ列車

 2枚目:トロッコ列車乗車車内より

 

  

  

 

 トロッコ列車は、休日など一部の日のみ運行されているようです。おでかけの際はご注意ください。

 

④ 峠の釜めし

 

 言わずと知れた、横川駅の「峠の釜めし」です。

 「峠の釜めし」は、「釜めし弁当」という名で、1958年(昭和33年)、まだ横川-軽井沢 間が「アプト式」だった時代にできた駅弁です。

 それまで横川駅でも幕の内弁当などを売っていたらしいのですが、せっかく機関車を連結したり切り離したりするための停車時間があっても、下り列車なら高崎駅までに、上り列車なら軽井沢駅までに、駅弁なんて買ってしまうらしく。当時は横川駅でわざわざ駅弁を買う人なんてそんなにいなかったそうです。

 それで、他とは違う駅弁を作るぞ! って、できたのが「峠の釜めし」なんですね。それでも、当時は釜容器の駅弁なんて前例がなく、また当時の駅弁にしては価格設定も高め(当時の駅弁は、普通で80円、少々よい駅弁で100円、という時代に120円という価格にしたそうです)だったこともあり、当時の高崎鉄道管理局に許可をもえるまで、試作品を何度も持ち込むなど大変な苦労があったそうです。

 さらに、発売当初は知名度もなかったために、1日に30個作っても10個売れるかどうか、だったとのこと。

 それが、週刊誌のコラムに取り上げられたことをきっかけに、急激に売れるようになり、誰でも知っている駅弁の仲間入りをしたそうです。

 

 ※ こちら↓↓の写真は、10年以上昔で2008年に、長野駅から乗車した新幹線「あさま」の車内で購入したものです。探したのですが、これしか撮影したものがありませんでした。もし、その後変わった点がありましたら、すみません。

 

  

  

 

 「峠の釜めし」と言えば、もちろん益子焼の釜容器ですが、近年は、この↓↓ような環境に配慮した紙製の容器を使用したものも販売されています。容器は違っても、中身は同じだそうです。

 近年、東京駅の「駅弁屋 祭」でも「峠の釜めし」を購入することが可能ですが、私が知る限り、直近ではこの紙製の方しか入荷していないようです。

 

 ※ こちら↓↓の写真は、東京駅の「駅弁屋 祭」で購入したものです。

 

  

  

 

 益子焼の容器を期待して、紙製の方しかないと残念かもしれませんが、軽くて持ち運びにもよいですし、捨てるのにも困りませんし、これはこれでよいのではないでしょうか。

 

 

《参考にさせていただいた書籍等》

 

 最後にまとめて掲載する予定です。
 

 

 

 ときひろ.ねっと

 

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