今年の誓いの一つに
「やりたいことだけやっていく」
というものがあります。
「え?あんた、もうすでにそれしかやってないでしょ!さんざん我がままにやってきたじゃん!」
と数名からの声も聞こえはしますが。
そういわれると反論の余地もないのですが・・。
こんな私でも、十分に嫌なこと~というかやりたくないこともやってるのです。
語弊があるので言い方を変えると、嫌なことを減らしながら、我慢できる範囲に抑えながら?やってきたのです。
それだけでも十分でしょう~とも聞こえますが、いえいえそこに拍車をかけていきます。
「やりたいことをシビアに選んでいきます!」
何が違うかというと、一日の中で数千回、数万回にも及ぶ意思決定を限りなく「好きなほう」だけを選択していくというか、嫌なことを排除するというか、そんな感じです。
小さな小さなことからですが、そこあたりから思考の癖というか、そんなものを変えていく。
そうありたいと思っています。
今日は午前中から比較的ゆっくりした時間が流れていまして、周りに合わせることなく自分の時間を過ごせていました。
そこでぼーっと考えていたのですが、大概のことはかなぐり捨ててきた私ですが、まだまだ捨てるべき思考はたくさんあるんだなと。
というか、ほっとけばどんどん浮かんでくるこの無駄な思考や感情は、その都度バンバン捨てていこうと思ったのです。やってるようでも生きている以上はやはり蓄積もするし、とらわれてしまうなと。
嫌なこともどんどん浮き上がってきてしまいます。
だから日々の行動も、まだその感情などのゴミに引きずられているようです。
幼いころに私はプラモデルを創るのが好きでした。
そんな時は没頭してしまって、母親からご飯よと呼ばれても気づかないほどでした。
皆さんもそんな経験はありますよね。
好きなことだけへの「没頭!!」です。
これのミニバージョンをなるべくたくさん作っていこうという事です。
私はたくさんの転職をしてきました。
事務機メーカーの飛び込み営業から始まり、造船関係の営業、専門学校の講師、証券会社の営業、郵便局長、乗合保険代理店での営業(FP、IFA)、などなど、異業種を渡り歩きながら、異なる経験をたくさんしたものですから、苦労もしましたが多くのことを学ぶこともできました。
その分、浅いといえば浅いし、広いといえば広い知識と経験を身につけてきた感じです。
幸いにして、今の職種で様々な人種の様々な仕事をしている人に出会えますので、経験値からもお話を合わせた理解することはできると思います。
母親からは、「飽きやすい、続かない、ろくでもないやつだ」いまでもよく言われますが、言い方を変えると他の人よりも我慢をせずにその時に思った方向へと舵を切ってきたともいえるかもしれません。
もちろん損したところもたくさんあるのですが。
ただ、私はそれでも「嫌なこと」をたくさんやってたと思うのです。
自分の気持ちと違う行動をとってきたこともたくさんあったわけです。
ご飯を食べるために。
家族に食べさせるために。
そんな時は決まってサインが来ます。
つまり身体の調子が悪くなります。
肉体は分かっています。細胞は拒否するのです。
魂がこれ以上やるとよくないよという限界まで来た声を届けた時に本人が自我により気づかないふりをしていると、身体が強制終了をかけてきます。
シャッターが降ろされます。
だから、そこまでさせてはならないのですね。
もっと早くに気づいてやる。
いえ、もう選択の段階で我慢して流されてはいけない。
ましてやなんとなく続けてはいけない。
できれば、瞬間に手放して近づいてはならないわけです。
レストランでメニューを選ぶ時も、コンビニで飲み物を選ぶ時も。
車で通る道を選ぶ時も、聞きたい曲を選ぶ時も、もう何となくはしない。
誰と会って、誰と話して、どんな人とはつき合って、どんな仕事はやって、全てにおいて自分の心地よい感覚最優先していく。
「やりたくないことはやらない」
でも、これ怖いでしょう?
分かっていてもなかなかできませんよね。
まあ、現実には急にできないこともあるでしょうから、そこはトラブルにならない程度からやっていくしかありません。極端すぎると三次元は生存できませんから。
この頭をもたげてくる「恐怖」とか「不安」とかそのような感情。
まさにこのあたりの乗り越え方が問題です。
「あんた、そんな極端なことしても大変なことになるよ!今は我慢して嫌なことでもやらないと!」というもう一人の自分の声との戦いになります。
身内や家族からの無言の圧力もあります。
ただね、そのような「真面目にしないと、我慢しないと生きられないよ」という恐怖や不安を見えない圧力や制度で強制していく時代もいいかげん終わりに近づいていると思うのです。
よく「風の時代」になったといわれますが、まさに本格的にそうなってきたのではないでしょうか。
だからといって「土の時代」が悪いわけではないのです。
その価値観と感覚がある人はそれで生きていけばよいわけです。
新たな時代を生きる人は、やりたいことをやって、気のあう仲間たちとつるんで、それなりの収入も得られて、ご機嫌よく暮らしていく時代に入ってきたのかな。
本格的にそんな転換が行われてきたなと感じるのです。
いろんな混乱や淘汰の中から新しい文明が始まります。
私たちも勇気をもって、その時代へ一歩一歩進んでいく時なのでしょうね。
少しくらいヤンチャしても神さまは許してくれますから。
了