2024年1月1日、朝に目が覚めて最初に浮かんだ言葉がこの言葉でした。

 

「明け渡し、あけわたし・・。」

 

何を?誰に?

 

何となくこの数日、悶々としていた自分の今後の生き方、未来への思い・・。

このメッセージには深い意味がありそう。と直感的に感じています。

 

そこでふと思い浮かんだのが、フーマンが語った「明け渡し」

もう10年近く前に読んだフーマンというマスターが書いた「恩寵の扉が開くまで」という三冊の本。

あるサニヤシンの方に薦められて衝撃を受けた本です。

 

その本で何度も何度も強調されていたのが、「あけわたし」という言葉でした。

究極、そこまでいかなと恩寵の扉は開かないのだよと。

 

ぼんやりとそんなことを考えていると、目に入ってきたのが半年ほど前にさらっと読んでいた、天外伺朗著「運命のシナリオ」。手に取ってパラパラとめくっていると、なんと「あけわたし」のことがしつこいほど書いてあるではないですか。

 

天外伺朗さんがかの有名なソニーの土井利忠さんと知ったのも最近のことでのけ反るほどにビックリしました。

天外さんがCDやAIBOの開発者であることは知っていましたが、あの土井さんだったとは。

30年ほど前に私はソニーの創業者の井深さんや盛田さんの大ファンで、お二人に関する本をむさぼるように読んでおりました。その中に部下や次期経営者の話などもたくさん出てくるのですが、土井利忠さんはその時の優秀な技術者であり次世代のソニーの社長候補として名前があったのを覚えていたのです。

 

スピ系の本として何も知らずに天外さんの本を何冊も読んでいましたが、あの土井さんだったのか~と驚愕したのでした。

 

改めてかいつまんでゆっくりと読み直すと、まさに今、このメッセージが来てるんだな。気づきましょうよということだな。という確信がありました。

 

今までは、元旦というと家族や親族とだらだらと過ごし、知らぬ間に一日が過ぎていくことが多かったのですが、今回は初めて朝イチで本など開いてるもんだから何だか変な感じです。

 

「宇宙には目に見えるこの世の背後に、目に見えないあの世が隠れていおり、時間、空間だけでなく、宇宙のシナリオまでもが畳み込まれています。」

 

「私たちはその通りに行動するか、それから外れるかを選択することができます。」

 

「その通りに行動すれば、人生はとてもスムーズにいくし、それから外れると、あらゆることが裏目に出てぎくしゃくします。」(運命のシナリオ、天外伺朗著)

 

「自分自身を”人生”にあけわたし、”人生”が私に何をしてほしいのか耳を澄ますと、人生は簡単になる」F・ラルー

 

 

どうしても私たちは、「ああしないといけない、こうしないといけない」「こういう目標を立てよう」「これを達成しよう」「今年はこんな夢をもって努力してみよう」などと思ってしまいます。

 

特にこの今日のような、元旦の日には一年の計を立てますからね。

 

だから、こんなメッセージが来たんでしょうね~。

 

「あけわたしていいよ。いつまで、ああでもないこうでもないと、自分のエゴをおいかけてるんだい?計らいごとに振り回されるんだい?もういいんじゃないの?」

 

という事でしょうか?

 

天外さんは、蛹(さなぎ)が蝶になるときの話を例えとして挙げています。

 

「蛹が蝶になるのは宇宙のシナリオに乗っているとき、神様の計画通り。目標や夢を作って努力している蛹は、でっかい蛹になってしまう。宇宙のシナリオには乗れず蝶にはなれない。」

 

確かに蛹の状態の自分では蝶を想像することは難しいですよね。だから頑張って努力すればするほど、「でっかい蛹」になってしまう可能性があります。

努力は必ず報われる!という一般的な常識とは逆のことになってしまいます。

 

これは困りましたね。

私たちは今まで目標をもって努力することしか教わらず、それを正しいと信じ、疑うこともなく取り組んできたわけですから。

 

でも、本当の真理は違うかもしれないわけです。

必死になって「目標を作って努力する」というのが、実は正しい方法ではないかもしれないのです。

 

少なくとも、大きく社会が変容したり、環境が変わったり、ルールがや価値観が転換するときは通用しないことがあるかもしれません。

 

お金がないことへの不安、社会的地位がないことへの恐怖、信頼がなくなることや批判されることからの逃避、などから常に「戦い続ける」ことを自らに課してしまっているのかも知れません。

 

それも自分の頭の中に浮かんでくるレベルの浅はかな知恵の範囲で。

 

そういうことは、もういいんじゃないの~?

というメッセージだったのかもしれませんね。

 

元旦の日に。