「出雲のお話しを随分とお聞きしましたが、古事記にも国譲りのお話しが出てきます。これも非常に不可思議な話で私たちはよくわからないまま来てるんですが、どんな話なのですか?」

 

「そこは気になるところでしょうね。アマテラスに罪を許されたスサノヲは八重垣を中心に治世を行い、櫛稲田宮を構えます。そこでクシナダヒメとの間に産まれたのがオオナムチ、オオトシクラムスビ、カツラギヒトコトヌシ、スセリヒメです。長男オオナムチは、出雲に加え、葦原中国、アワ国、琵琶湖周辺などのかなり広い範囲にまでその勢力を広め、治世を行っていきます。そこでアマテラスからも非常に高く評価されオオモノヌシの称号を与えられ、すべての武士の頂点に立つ初代大物主となります。私生活においてもアマテラスとハヤコの子である三姉妹の長女タキリヒメをめとり、クシヒコ、タカコ、ステシノが産まれ幸せな家族生活を送ります。この長男クシヒコも優秀な若者に成長し、オオモノヌシのもとで治世を加勢し父から多くのことを学んでいき、コトシロヌシ(事代主)と呼ばれることになります。やがてはアマテラスの孫である二ニギに認められ出世していくことになります。」

 

「つまり、スサノヲが落ち着いて出雲地方を治めだし、その子のオオナムチ(オオモノヌシ)とクシヒコ(コトシロヌシ)も非常に優秀であったのでその勢力を広め、葦原中国、アワ、琵琶湖のあたりまで開拓し治世を行いだしたということですね。すごいことですよね。」

 

「そうです。一人だけではなく、何代にもわたってそのような大きな国づくりを進めていくというのは並大抵のことではありません。もともとの家系の筋に加え、めとった嫁たちも非常に優秀で子育ても素晴らしかったからこそ出来たことなのです。」

 

「では、やはりクシナダヒメをはじめ次の嫁タキリヒメの陰の力も大きかったということですね。」

 

「そうです、一度左遷させられたスサノヲの子息、そしてそれを支える苦労した宗像三姉妹の長女、それは反骨精神も旺盛な状態で今に見返してやるという気持ちは心の奥底にあったと思います。」

 

「確かにそうですね。どちらも肩身が狭い思いはあったでしょうからね。でも、そのように苦労して作られた国を国譲りとしてアマテラスの朝廷に譲るようになるんですよね。オオナムチ(大国主)にとってはたまったものではありません。このあたりの話はどういうことなのですか?」

 

「古事記でも国譲りの話は大センセーショナルとして挙げられています。ある日突然アマテラスが、~豊葦原瑞穂の国は我が子オシホミミが治めるべき国ぞ~と言い出したという風に書かれています。そして武人のタケミカズチが派兵されるわけですが、詳しいことは述べられていません。ここでいう豊葦原瑞穂の国とは、オオナムチが苦労して勢力を拡大した琵琶湖から近江周辺のことを指しますが、この全域を差し出せと言われたわけです。」

 

「でも、急にそのようなことになったのですよね。」

 

「実は急でもなくて、これには随分と長い間の伏線があったのです。まず、八重垣宮を中心にスサノヲ、オオナムチは治世をはじめ、非常に民の信頼も受けながら発展繁栄していったわけですが、オオナムチが優秀だったこともあり、勢力を拡大し、領土を広げ、武人としての最高位にまで上り詰めていくわけですから、まさに破竹の勢いであったわけです。そこで暮らしも豊かになるわけですから、宮殿を豪勢にしたり生活も派手になったりで、どうしても朝廷の目に余るようなことが起こり始めるわけです。アマテラスの宮殿にも匹敵するような豪華な宮づくりなどを行い始め、自らもまるで西の王のような振る舞いが出てくるのです。そのことを諫めようとアマテラスのもとからも使者が派遣されます。その使者もオオナムチのもとに行くと寛大な接待を受け、取り込まれてしまいます。そのようなことが三回も続き、ついに密偵を送り込みますがその密偵が殺害されてしまうのです。そこでさすがに怒った朝廷側は、タケミカズチ、フツヌシなどの軍勢が出雲平定のために送り込まれるのです。」

 

「だから、鹿島神宮(タケミカズチ)と香取神宮(フツヌシ)は武の神様でもあるのですね。」

 

「そうです。武功をあげるための神として祀られていますし、関東の重要な神社としての位置づけになります。しかし、これはオオナムチを滅ぼすためではなく、武人としての最高位であるにも関わらずこのようなことはおかしいということを深く反省させるためであったと思われます。そうでなければ戦によって滅ぼすこともできたわけです。」

 

「そうですね、そこでタケミカズチは滅ぼさずにオオナムチに国譲りを要求した。」

 

「はい、オオナムチも最初は戦争をやる気満々でいたことは間違いありません。そこで長男クシヒコにどうしたものかと相談するわけです。クシヒコは当時、オオナムチの宮殿とは離れた美保が埼にて魚釣りでもしながらゆっくりとした生活をしていました。それが今は恵比寿様として描かれています。そこでクシヒコは、父であるオオナムチの今までの増長慢を諫め、今はもう釣り糸にかかった鯛のような状況であるわけだから、この釣り糸を切ることはできない。つまり朝廷の軍勢には叶わない。潔く降伏してこの国を譲り渡しましょう。我々一族郎党もそれに従います。と応えてオオナムチを説得したのです。それまでもクシヒコはオオナムチとその周辺の取り巻きの慢心に嫌気がさし、何度も諫言はしていたのです。そして国譲りの神話のような流れになっていき、その後は、アマテラスとモチコの子であるホヒが派遣され今の出雲大社を中心に治世を行います。」

 

「なるほど、だから今の出雲大社の先にある日御碕神社には、天照大御神と須佐之男命が祀られているのですね。」

 

「そうですよく気づきましたね。伊勢神宮と出雲大社、日御碕神社は一直線上にあり、日の出と日の入りを両方護る形になっています。ですから伊勢と日御碕から出雲を観ているともいえるのです。」

 

「その後のオオナムチとその一族はどうなっていくのですか?」

 

「国譲りがどのように行われたのかは詳細を古事記は語っていませんが、さきほども触れたようにオオナムチを諫める動きは息子のクシヒコを中心にすでにあったのです。恵比須顔とも言いますが、クシヒコ(恵比寿)が笑顔で国譲りに応じた背景には実は朝廷側とクシヒコとの間での調略がすでに完成しており、オオナムチはそれに従わざるをえなかったということです。戦う前に勝負はついていたのです。ですから、降伏の後オオナムチ一族は出雲から数百人規模での移住を行い朝廷に出向きます。そこで、朝廷への忠誠を再度誓うと今までのオオナムチの活躍などもあり、情状酌量の余地ありというここで罪に問われることはなく、オオナムチは津軽の地への移住となるのです。オオナムチの次男タケミナカタだけは最後まで抵抗して諏訪湖の近くまで追いやられ降伏します。タケミナカタはその地にて最後を迎えたので諏訪大社のご祭神として祀られています。」

 

「オオナムチは津軽で穏やかに過ごすことになるのですか?」

 

「オオナムチは元々相当に優秀な方ですので、そこでも一族郎党と地元の民と力を合わせ、一大勢力を創り地域を大発展させていきます。現在の東北方面の発展はこのオオナムチが治めた津軽地方から始まったともいえるのです。オオナムチは最終的に津軽の岩木山を中心に活躍しますが、亡くなるころには朝廷からも様々な意見を求められるほどまでに信頼関係を復活させていました。一族に見守られ、人民たちにも慕われながらその活躍をたたえられながら波乱万丈の人生を終えていきます。岩木山神社にてご祭神、顕国魂神(ウツクシク二タマカミ)として祀られています。」

 

「クシヒコはどうなのですか?」

 

「長男クシヒコはその後、朝廷にその人格を認められ出世していきます。オシホミミの正室の妹ミホツヒメをめとり、二代目のオオモノヌシとなっていくのですが、ここにも隠された秘密があると言わざるを得ません。左遷された父と裏腹に息子は出世させて天皇の妹をめとらせたわけですから、そこには大きな調略と取引があったと言わざるを得ません。人格だけとも思えません。いずれにしても、長男クシヒコは二代目オオモノヌシとして武人の頂点に立っていくことになります。さらに薬草の知識ににも優れていたため領地に多くの薬草を栽培し、和方医術の祖とも呼ばれるようになります。そして、この二代目オオモノヌシであるクシヒコの一族が三輪山に住み着き三輪一族となります。クシヒコもここにて最後を遂げます。この二代目オオモノヌシを祀ったのが今の大神神社となります。」

 

 

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