年あけてからも休みなく毎日塗装してますー。

 

ところで自分はもともとモデラーや塗装師や自営業でやってるほぼ潰れかけの

 

駄菓子屋が本職ではなくて、高校卒業してから入った美術専門学校をすぐに辞めて

 

そこから20代はずっと売れないミュージシャンを大阪でやってました。

 

インディーズで数枚CDアルバムを出したきりで結局プロにはなれず、そのころ精神を

 

病みましてついに音楽も諦めて、バイトすらできずの日々で当時同棲していた彼女

 

の紐みたいな状態で主夫やってた時期も数年ありました。

 

あんまりに暇だったので、もともと音楽でも曲よりは作詞のほうが好きだったので

 

その延長線上でちょこちょこ小説を書くようになって、とある関西の文学賞に

 

送ったらどういうわけか大賞をもらいました。賞金は50万円でした。

 

そこで勘違いしてしまったのが運の尽き、そこから「俺は作家を目指そう」と

 

毎日小説を書いてはいろんな賞へ送る日々。

 

もちろんそんな簡単に上手くいくはずもなく、最終選考まで残ることは何度かあった

 

ものの、デビューできるまでには至りませんでした。

 

今はアニメオタクのオッサンではありますが、当時はいわゆるライトノベルのような

 

ジャンルの小説はまったく興味がなく、何度か挑戦はしましたがラノベのほうは

 

まったくダメで、書いててもつまらないので主にミステリか純文学を書いてました。

 

駄菓子屋を始めたのも、執筆をしながらでもできる商売がこれくらいしかなかった

 

からです。(資本金もなかったし)

 

まだ今ほどSNSやYouTubeなどで宣伝することが当たり前じゃなかったので、

 

応募した作品は落選したらすぐデータ消去してました。

 

現在手元にある駄作品も数点しか残ってません。(50作くらいは書きました)

 

あれはデータ残しておくべきだったです。。

 

地方文芸賞でも最難関の一つである北日本文学賞でもけっこういいとこまで

 

いったのに、もう書いた小説のタイトルすら忘れてしまいましたわ。

 

そうこうしているうちに、ついに駄菓子屋しながら執筆して生活できる資金も尽き、

 

どうしようも無くなった時に、たまたま趣味で幼少からやってたプラモが

 

けっこう部屋に溜まってたので捨てるのも勿体ないしなんとなくヤフオクで売って

 

みたら思わぬ高値で売れて「偶然かな?」と何体か出品したらぜんぶ自分の想像

 

してた額の3~4倍の値段で落札され。

 

今度は勘違いではなく、藁にも縋る思いで完成ガンプラを作ってはヤフオクで売る

 

日々になりました。

 

そのあと、コトブキヤの美少女プラモのブームがきて今度は毎日美少女プラモを作る

 

日々。で、そのブームも去ってしまい、、今はガレージキットを主に塗装しながら、

 

代行制作の依頼も受けています。

 

ただ、昔から一貫して生活は苦しいままですが…(-_-;)

 

しかし、人生どうなるかまったく分からないし予定通りの人生など無いです。

 

ということで、今年も一応塗装師として続けてまいりますが、また突然に道が変わる

 

かもしれないし、そもそも、もうとっくに人生も折り返し地点を回って

 

しまったんで、希望も絶望もすでにごちゃまぜになってあとはどう死ぬかだけに

 

なってますんで、なんとなく毎日を鬱々しつつもそれを楽しみながら生きて行こうと

 

思っています。

 

特に今年の抱負とか無いので、これまでの人生の経緯を長々と書いてしまいました。

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

トキテツ工房 駄菓子屋トキテツ 代表・田中時尾